密度の濃い物体が地上に落ちてくる。目よりも早く理解した妖夢の行動はただ逃げることだった。

 あれほどの巨大な物体が地上に落ちたら、熱気流であたりの木々が燃え広がるだろう。直撃したら、いくら妖夢といえども助かる見込みはゼロに近い。

 逆にあれほどの面積がある分落下速度は比較的ゆっくりだ。それが不幸中の幸いか、全速力で飛行を続ける妖夢は逃げの一手をまずは強いられる形になる。

「くっ!」

 山が落ちてくるといった不可思議な現象以上に、何故山が現れたのかが判らなかった。突如として現れたそれは、時間が妖夢だけ止まっていたかのように発現したのだ。

 当然不意を突かれた妖夢には、何が起こっているのかはまだ完全には理解できていない。だから今はこの状況から逃れて、状況を把握しなければならなかった。

 徐々に押しつぶされていく大気が熱を帯びていく。それを肌で感じながら妖夢は下へと高度を下げていく。

 空山には当然のように木々が生えており、だが地上にも木々が生えている。

 押し潰されるような感覚でとにかく前を翔ける。木の山が服を掠めるが、そんなことを今は気にしている場合ではない。

 前を見つつも、地上に対して妖怪たちはいるのだろうかと目を配る。幸いなことに妖怪たちは一匹もいなく、安堵の気持ちで一瞬あふれかえる。

 未来もいない。もっともこの状況下で見つけるほうが至難だが、それはないと踏んでいいだろう。

 大気が振動する。轟音が辺りを支配し、耳を劈くような地鳴りが頭に響いて不快さを増す。

 それを耐えつつ飛翔を続けた妖夢が高度を高める。山と山との接触地点を大きく外れたのだ。

 振り返り姿を見る。

 ……何だこいつは。

 そう思うのも無理は無い形容である。

 妖夢の目に飛び込んできたのは山と思っていた敵の胴体だ。腹部から胸の部分までにあるギザギザの模様は恐らく苔や木だろう。どういう理屈かはわからないが植物が腹に生えている辺り、古臭さを感じさせる。

 脚は見えない。不釣り合いなほどにでかい胴体がそれを見せないからだ。

 胴体脇から顔を見せているのは尻尾だろうか。大蛇のように唸るそれは鞭のように撓り、妖夢目掛けて横一閃の薙ぎ払いを繰り出す。

 巨大な体躯に似合わず早い一撃を、身体の重心を変えることで妖夢は受け流す。相手の正体をきちんと把握せずに斬りかかっても、返り討ちにあうだけだとわかっているからだ。

 ……なるほど、これなら妖怪も逃げ出すし、下手したら食べられてもおかしくない。

 瘴気の渦から出てきた顔が顕になってくる。尻尾より若干太い首が縦横無尽に動き回り、禍々しさを強調させていく。その数凡そ八つ、間違いない。

「ヤマタの国の大蛇か…まさか幻想卿に封印されていたとは知りませんでしたよ」

 地面と地面が接触し、そこに小さな破壊衝動が生まれ周囲を飲み込んでいく。

 §§§


 未来に意識は無い。

 彼女に見えているのは見渡す限りの星空と、膝を抱えて目を閉じている自分自身の姿だ。

 言葉も出ない。代わりにできるのは自分自身の姿を見るだけ。まるで眠っているような自身の姿は幻想卿に入ってくる前の姿だ。

 揺れている姿は儚い。どうにかして手を伸ばそうとしても実体がないから手が届くことも無い。

 ……これが死っていうことなんだろうか。

 無意識のままに視点が変換していく。自分が左に寄せられていき、右から出てきたのは二人の大人の女性と男性。

 お互い向き合いながら笑顔を交し合い、そしてこちらを見て笑う。

 スーツを着ていた男性が、手を伸ばしてきた。

 ……だれ?

 心がそれを拒否しているのだろう、手を避けるかのように視点が自然と距離を取った。

 男女は口で何かを言っている。まるで私を知っているかのように、聞こえない声で少女を呼んでいる。

 ミ…キ…、ミキ、私の…、名前……。

 胸を押さえる仕草をする。それは以前見たことも無い両親が唯一つ残した宝物としていつも首からかけていた勾玉のアクセサリー。

 それがないのは先ほど胸にナイフを刺したときだろう。あの時に切れてしまったのかもしれない。

 目の前にいる二人の大人も胸に手を当てている。そこには未来が持っていたアクセサリーと同じ形をした宝玉がかけられている。

 ……お父さん、……お母さん?

 深層意識で呼ぶ声は果たして届いているのだろうか。呼びかけに満足の笑みを浮かべた二人が一層と手を伸ばしてきた。

 大丈夫、これからはずっと一緒だよ。そういった想いを手に乗せて、未来の手を取る。

少女に見えていた本当の未来は未だ眠ったままだ。

 目に入らないのは何故なのか、それすら考えることのできなくなってきた未来にはもうどうする手立てもない。

 ただ全身に浸透する懐かしさと愛しさ、そして自分に対する非力さに哀しみをただひたすらかみ締めていた。

 ごめんね、おばあちゃん。……二人はここにいたよ。

 泣く涙は無い。

泣く声も無い。

ただ少女の心に、一つの欠けていたピースが埋まっただけなのだから。

 
 §§§


 メキメキと折れる音は破砕された木々たちの悲鳴だ。

 巨大な隕石物を避けようとし、しかし根が地から離れることができずに横倒しになる。

 いかな所業がここまでの破壊と衝動を巻き起こすことができようか。

 魔理沙の技といえどここまでの大規模な魔砲は起こせまい。衝突をした地面はクレーター上に陥没し、辺りには火が燃え広がり巨大な渦を巻き始めている。

 ファイヤーストームだ。

 天へと高く昇り行く炎の竜巻は、まるでこの世の終わりを告げるかのように化け物を取り囲む。踊り狂った竜巻は、周りの酸素を飲み込むかのように激しい熱風をあたりに撒き散らす。

だがそれを上回るかのような轟音と衝撃波が妖夢を飲み込み、一気に後方へと押し流そうとする。

 腹の下に力を込めて何とか耐える妖夢の姿を、かの怪物は見えているのだろうか。八つもの首を低姿勢に構えて妖夢を睨み殺さんというばかりに、狂喜の声で咆哮する。

 声を聞いただけで普通の人間なら足がすくみその場にへたり込んでしまうだろう。だが少女は剣士、臆することは死に繋がることを嫌というほど学んできた。

「――――はぁっ!」

 心身ともに力をいれ己を鼓舞する。

鞘から勢いよく抜けるのは扱いなれた白銀の刃、その名も楼観剣、白楼剣。

 闇の中でただ二つ輝く線が、乱舞を始めた。

「六道怪奇。あなたにとっては蚊が刺さる程度でしょうが、付き合ってもらいますよ」

 線は幾度となく空気を切り裂き、それは次第にかまいたち現象へと発展する。そこに妖夢が持っている霊力と方向性を付け加えることによって一線のショットが生まれる。

「いきます―――っ!」

 突進する。

 ショットの狙いは首の付け根、ヤマタノオロチはスサノオに首を切られて死んだと伝説では残されている。それが正しいのであればこいつ自身も首が弱点、そうに違いないと狙いを定める。

 ショットが直撃し、弾かれる。殆ど効いていないのか、オロチの頭は平然としてこちらを見ているだけだ。

 それなら!

 妖夢の飛行速度が加速する。ショット自体があまり効かないのであれば直接首を切り取ればいい、そう考えての攻撃を始める。

 だが当然の如くそれは八大蛇にとっても望ましいことではない。 

 一直線に向かってくる妖夢に大口径の猛火を放つ。摂氏一千度を軽く超えたそれは、触れれば跡形もなく消える、掠っても重症といえるほどの熱を帯びて妖夢の頭上を捕らえた。

 妖夢もそれが飛来してくるのをわかっていた。前進していた推進力を強引に遮断、空気の壁を利用するように直角へと方向を変えることで難を逃れる。

 だがそれと同時にくるのは八大蛇の尻尾だ。

 鞭のように飛んでくる尻尾の攻撃方法は、なぎ払うか叩き落すかのどちらしかない。僅かに支点をずらすことで避けることは可能だが、

……八本の尾を避けるのは少し至難ですね。

圧倒的な数で体制を整えるまもなく攻撃してくるそれに、妖夢には攻撃のタイミングが皆無だ。尾を回避しつつ至近距離までに行くのであれば今度こそ先ほどの猛火が直撃するだろう、それだけは避けたい。

それなら……一度距離を置いて持久戦か?

そう思った直後だ。

「――――なっ!」

 一尾の払いを完全に避けた次の瞬間、八大蛇の攻撃は二尾を縦と横に分けての十字一閃だ。

 空中では避けるための方向が平面でなく空間である。故にいかな十字攻撃とはいえ、速さのある妖夢にとっては問題なく避けきれる攻撃のはずだった。

 しかしそれをまるで理解しているかのように八大蛇のうち二つが炎の弾幕を張る。

 ……しかも巨大な一撃と小玉を分けるようにするとは!

 予想外の展開に妖夢の顔にわずかな焦りの色が見えはじめた。

 平面は尻尾の払いが完全に決まっている。かといって上下に逃げればあの強大な炎の固まりに身を埋めることになる。ならば、

 ……斜めに回避して炎の玉を最小限に受けきる。

 炎の塊が高速なら妖夢の動きは超高速を極めている。上空から降り注いでくる塊を上空斜め上へ上がることで回避、熱風で服が一瞬のうちに焦げ付く。

 気にする暇もなく連鎖する炎の弾幕を、一気に突き抜けることで自らの被弾を最小限に抑え、空へと突き進む。

 当然迎撃体制がとられている炎の弾幕と八連の尻尾を視界に入れながらの飛行、攻撃する間などあるはずもない。

炎の弾幕からの脱出と、高速でなぎ払われる尾を掠めることで受け流し、敵の攻撃範囲を完全に抜ける。

「ふーぅ……」

 汗を拭う。尻尾の攻撃も、先ほどの炎もここからでは当たらないことを想定しての行動である。

 見れば先ほどの炎を直撃した部分が、火と強酸で地面が抉れている。自らの服も破け、さらしが見えている状態だ。

霊夢のような防御結界でも、あれを食らってはひとたまりもないかもしれない。

 自身の六道怪奇もこの位置からでは距離がありすぎる。かといって近づけば八頭の弾幕と鞭のような尻尾の攻撃だ。迂闊な行動は抑えなければあれほどの威力、食らえば当たらずとも想像に難くない。

 ……ならば低空飛行で炎を切り抜けられるか?

 できなくはないだろう。先ほどの一撃もぎりぎり避けることができる、放った場所からの距離を考慮すればよくて完全回避、悪くて掠りだと予想できる。

 尻尾は真正面から突っ込めば届きにくい、しかも地面スレスレでは狙いもつきにくいため脅威にはならないはずだ。

「ならば、行くまでっ!」

 幻想卿に白銀の雷が地上に落下する。

 その姿を八つの赤き眼は捉えきれているだろうか。その速さは既に動の域を超え瞬の世界まで到達しているはずだ。

炎の海と化している森林地帯を眼にも見えない風が疾走する。炎上した火の手が風を掴もうとするが、そこは既に風が通った残滓しかない。

飛翔する。己自身を弾道のように身を細くし、空気抵抗を一切なくすことで身体にかかる負担を最大限小さく留める事ができるのは、もはや妖夢の格闘センスが成せる業だ。

 ……いける。

 歪んで見える妖夢の脳裏に描いたシナリオが届く瞬間だった。

突如として尻尾が胴体以上の高さまで振り上げられる。

……無駄だ、何度シュミレートしても、あの高さから自身に振り落としてもこの速さに追いつけるはずがない。

確かに妖夢の考えは正しかった。今の状況下で尻尾を振り落としても届かず、雷鳴の如く突破してきた少女の剣閃が自身の首二つを切り裂く。それは変えられようもない事実だったはずだ。

が、それを覆すかの如く、八大蛇は尾を八つ同時に振り下ろした。

「――――っ!」

 非常識的というのはこういうことを言うのだろうか。

 叩きつけられた尾は確かに妖夢を捕らえることはない。だが叩きつけられた場所は妖夢より遥か前、自身の腹部の先だ。

 粉々に砕かれた岩石が盛り上がり、自然の弾幕が妖夢を待ち受ける。


 §§§


 雷は急激に方向を転換する場合、より高い建物へと落下するケースが多い。

それは雷という電子が、まっすぐ下に落ちるより金属へと引き寄せられるからだ。

 故に雷はまっすぐ落ちない。高い場所にある金属、あるいは電気を通しやすいものに引き寄せられる。

 だが妖夢は雷ではない。超高速の速さを持って猛進しているからこそ、方向転換をすることは不可能だ。

気がついたときには既に眼前に迫る岩石の群。避けることなどできるはずもない、それは己の自信が招いた僅かなミス、その小さな差が命運を分けたと言っていいだろう。

速さによる自らの力が、そのまま自身に返還される。流星の如く豪進した妖夢の身体に、冷たい岩肌が接触する。

破岩。

 幾重にも重ねられている岩肌に、間違いなく衝突した箇所から、容赦ない土煙が上がる。

 やったか。

 全ては一瞬のこと、と八大蛇は悟った。あの少女が突進してくるのがもう少し早かったら、逆に自身の首がなくなっていたかもしれない。だが少女が考えてしまった瞬間、その僅かな隙が、勝負の勝敗を分けるとはなんとも形容しがたい気分だ。

 しかしどうだ、結果として残っているのは分厚い岩に頭から突っ込んだ少女に、無傷の自分、それが全てなのだ。

 少女に向かって大蛇は吼えた。

 僅かな可能性も摘んでしまおう。その油断のないことが勝利に繋がるのだから。

 今この瞬間にも生き延びようとする可能性を、今ここでゼロにする。

 直径数メートルの炎酸砲撃を口に溜め込む。喉が光っているのは強力なエネルギーを溜めることに起こる発光現象だ。

魔呪―――」

 初めて蛇の口から声が漏れた。

「―――ブローディ・カノン

幾重にも重ねられた鱗の先に光る弾丸は白く、そして色を失い徐々に赤褐色へと変わっていく。

 狙いは岩壁直上、少女のいる岩内を中心に打ち込めば、逃げることもなく一瞬のうちに終わる。それこそ痛みを感じずに楽に逝けるだろう。

 二頭の首先が淡く熱を帯びる。微動にもしないその口から放たれたのは先ほどの猛火をはるかに超えた熱球。

 二つの弾丸が直線状に重なる。瞬間、それは亜音速を奏でて岩肌に直撃。

 否、付着した。

 スライムが火柱となり、螺旋を描いた。


  §§§

 

 人はそれをファイヤーストームと呼ぶかもしれない。

 だが霊圧を高められた液体は、付着しただけでどんな存在も消滅することができる。

 喩えそれが幽霊であろうと物であろうと、形がある限りそれは脆くも崩れ去る。

 血塗られた聖典、堕天使ミカエルが流した涙は、日頃読み解いていた聖書すら焔に包ませる。

 穿たれた地面は溶解し、後には何も残っていない。それだけが先ほどの技の威力を物語っていた。

 確認し、思う。自分は勝ったのだと。

 この力さえあれば博霊の結界など容易く破ることができる。これで晴れて妖怪が人間どもを恐れる必要はなくなったのだ。

 行こう、人間の下へ。行こう、この馬鹿げた平和を終わらせに。

ヤマタノオロチが一歩を踏み込んだ。そしてそれが油断を生んだ。

「――――甘いですね、その程度で勝利を確信していては」

 響いた声は明々清活、銀色に染まる声が周囲を浸食する。

 若干の驚きとその有り得ない事態に大蛇は疑惑の念で現実へと引き戻される。

 なぜだ。何故あれを食らって生きている?

 確かに岩の壁にぶつかって沈黙をしていた少女が、何故今も生きていられるのだと。

「岩の壁を作られた時は確かに焦りましたよ。逃げることもできずに突っ込んだ、そこまではあなたの予想通りといっていいでしょうね」

 有り得ない。あってはならないことだとただ己の中で繰り返す。

「けれど私には手がある、物に触れる。岩を破壊する程度、お茶を入れるより簡単ですよ?」

 吼えた先は暗雲が広がる空。そこに存在するのは三日月、楼観剣。

「だからこそ、有り得ないと思い油断したらこの世界は負けなんです。まぁ授業料としてこれは取っておいてください」

 月光が瞬く間に降り注ぎ大蛇を強襲する。速さを生かした妖夢の剣筋は、金剛石の迷いすら断ち切るだろう。

「―――人符」

 その一刀が、大蛇の首を二つ捕らえた。

「現世斬!」

 閃光の刃が空を二つに分ける。

 首の重みすら感じさせない動きで妖夢は再び空を飛翔。

 一瞬の静寂は妖夢の行動に合わせてのことなのだろうか、八大蛇はおろか周りの炎でさえもが、剣線の輝きに目を奪われているように静まり返っている。

 直後、巨大な大首が二つ、縦と横にずれ始めた。

 痛みなどない。ただ自然と体の一部が抜け落ちた感覚が、大蛇の中で渦を巻いた。

 静止を続ける大蛇を見て妖夢は再び翔ける。この瞬間こそが勝機、今を逃してはならない。

 風がさらしになった妖夢の肩を撫でる。

冬だったはずの幻想卿が今では暑いほどの空気に、僅かな涼しさをもたらしてくれる。

目の前に映る大蛇の死角から二度目の剣を振り下ろす。

 これで三頭目、そう思った妖夢の心は何の油断も隙もなかった。

「封呪――――」

 今このスペルを使われるまでは。

――――ターン・ザ・ワールド」

 世界が真逆に変わっていく。


  §§§


 深緑に囲まれた世界がある。

 左にはくもの巣が張られ、右には蛙。

 視界が捉えられるのは、僅か数メートル先の空間のみ。

 幹が見えるのは、緑色の葉が淡い光を出しているからだ。

 腰の丈まで伸びた草の下には水が溜まっている。

 地下水が震動の影響で浮上してきたのだろう、そのお陰で薮蚊が出てきている始末だ。

 お陰で辺りは蒸し暑い。水分が蒸発している分湿気がある。

 草に張り付いた水滴が、水面に波紋を広げる音をだす。

 小さくそれは空間に浸透し、そして消える。

 そしてまた草は光りだす。

 ほんの少しの明かりを頼りに、少女二人が森を歩いている。

 霊夢と魔理沙だ。

 右手に持った御祓い棒を乱雑に振り回し、左手に持った色褪せた箒は草木を分けようと必死にもがいている。

「なぁ、霊夢。……ちょっとこれ手入れしたほうがいいんじゃないか?」

 腰まで埋まった草を払いながら魔理沙が口を尖らせた。

「こうまで草が伸びてると服も汚れちまうし、何で空飛んでいかないんだ?」

「私だって空飛べたら汚れるようなことしたくないわよ。蛙だってあめんぼだって、生きているんだし?」

「……実は昆虫系嫌いだったりするか?」

 乱暴に御祓い棒を振り回す霊夢を見て魔理沙は悟る、マジなのかと。

 一方の霊夢は、露出した腕の部分に草が当たるのか、何度も腕を掻いている。

 掻いた部分が赤みを増して、血が出るかでないかのところまで来ている。

「あーもうっ! うざったい草ね……」

「そんな寒い格好で来るからだぜ」

「魔理沙、よくあなた平気ね。痒くないの?」

「軟膏あるからな、痒み止め」

「よこしなさいっての」

「酷い言い方だぜ、物を頼む時はもっとキュートに……エレガントに。そう、熱く情熱的にっ!」

 半眼で睨む霊夢をよそに魔理沙の妄想は一人でエスカレートしていく。

「あぁ、そんな上目遣いとか一体どこで覚えたんだいこのおませさんはっ」

「病気ね魔理沙、一日安静にしていることをお勧めするわ」

「そんなこといって、家に来て看病を始めて「たまたま通りかかったから見に来てやっただけよ、ふんっ」とかツンデレ爆発させる霊夢もまたいいっ!」

 無言で背中に前中段蹴りを放っておく。

いい具合に魔理沙の体が、生えている草をなぎ倒して道が開けた。

「さすがねぇ魔理沙。私の変わりに道を作ってくれるなんて」

「今、間違いなく足蹴にされたはずなんだが…気のせいか?」

「心配しないで、仕様だから」

 それより、

「気付いているんでしょ? 今回の瘴気の正体」

「……なんのことだ? 私にはさっぱりだぜ」

「とぼける必要もないわ。勾玉に霊気をもった未来、神酒とでも言えばいいかしら? うちの神社の管轄かどうかはしらないけれど、こうも大きい霊気が出てきた。そして今私たちが行こうとしている祠に、祀られている剣。偶然にしては、できすぎと思わない?」

「偶然かもしれないぜ」

 そんなわけないでしょうと、草を分けながら霊夢は言う。

「未来が私たちを人間と思ったこと。姿かたちを言えば私たちは人間に見えなくないわ。けど童子だって人間の格好をした妖怪よ。経緯はどうあれ童子を妖怪と思ったなら、私たちだって妖怪だと思わないはずがないわ」

「今日の霊夢はやけに饒舌だな」

「思ったことを教えてあげてるのよ」

「確信してるわけじゃないのか」

「ないわ、だからなに。目の前の事件を見逃せっていうの?」

 苦笑いをして、未だ振り返らない霊夢の背中を見ながら魔理沙は語った。

「なに、いつもどおりだなと思っただけだぜ」

「もぅ……。未来が霊体だったのは瘴気の正体が元々持ち合わせていた。人の器は影響を受けやすいから、その残滓ね。そこまでいくともう偶然も何もないわ」

 仕掛けられた話。わざわざ未来を博霊神社に投げ込むことで、事件を明るみにしてきたという私に対しての挑戦状。

 そう解釈するしかないだろう。

 だからといって霊夢はあわてない。伝説上の生き物が自分にケンカを挑んできても、常に冷静に対処しなければ勝ち目はないのを知っているからだ。

 右のほうで流れる川の音が、気分を和らげる効果を果たしている。水が多く、草も豊富なことから、ここにはたくさんの妖精や妖怪の憩いの場所ともなっていた。

 当然私たちのような人間でも、ここに入ることはほとんどない。自然は自然のままに、妖精や妖怪たちの憩いの場所に、汚れた人間が入ること自体が聖域を侵す行動なのだから。

 ふと同時に空を見上げ、

「…………困ったわね。時間がそんなにないみたいだし」

「困った割に、声は楽しそうだぜ」

 魔理沙の声もどこか上擦っていた。遠くのほうで何かが戦っている気配を身体で察知したのだろう。箒を握る手に若干力が入っているようだ。

 霊夢も懐にしまってある符を取り出し、力を込める。だが、

「符の力は完全に消えちゃってるかぁ…魔理沙のほうは?」

「あ? ダメみたいだぜ。どうなってるんだ?」

 お互いがお互いのため息を聞きつつ、魔理沙は霊夢に問いだした。

 何故ここでは力が使えないのかと。

「……ここはね、元々マナが多く存在した場所なのよ。自然と妖精、妖怪たちが十分に暮らせるほどの大源がここにはあって、それがあるから皆ここに集まってきた。きていたの」

 十分に間を取って、

「けど昔、私が産まれる前の話ね。幻想卿で大きな火事があったのよ。森を焼き払うそれは多くの妖怪の住処を飲み込み、逃げ込んできたのがこの場所だった。火の手は当然ここまできていたのにね、ほとんどの妖怪はこの場所を離れることをしなかったそれくらいここは彼らにとって聖域のような存在だったのよ。」

「なんとも殊勝な妖怪達で……」

「けど火の勢いは止まらず、そのまま妖怪達を飲み込んでいったわ。森も水も何もかもが炎に包まれて、あたり一体は焼け野原になった。それが原因でこのあたりのマナはなくなったのよ」

 その言葉を聞いて、魔理沙は右手で草を払いながら前に進む霊夢の肩を掴んだ。

「ちょっとまてよ。マナがなくなったってことは草も水もあるなんておかしいし、ましてや生物がこのあたりに住み着くなんてことはできないだろ? 純粋な魔力であるマナは、言い換えればそれが命の源にも繋がる一つの欠片だ。それが欠けていたら何も……」

 そこまで言いかけて、黒き魔女が息を呑んだ。

 理由は二つ、まずは目の前に現れた巨大な木だ。

 それは他の木よりも幹が大きく、そして高く聳えている。緑が辺りの木々と呼応して、まるで息をしているかのように彼女達を迎え入れている。

 風もないのに小さな淡い色の蛍が飛んでいる。

 いや、それは蛍のように見えるマナだ。濃密度のマナが、力を光に変えて放出している現象。

 ……その一端を、私たちは見ているのか。

 構うことなく霊夢は前に進み、根元にある小さな一つの社の前にたどり着いた。草はいつからか途切れ、辺りは土が剥き出しになっている。

 赤い屋根、小さい囲いの中に祀られている赤銅の仏像と、いつ置かれたのだろうか、仏像の前には廃化した線香が添えられている。

「………確かにマナが存在しない場所に生物がいるはずもない。魔理沙の見立ては間違っていないわ。けどそれは思い込み、眼前に起こっている現象が必ずしも真実だっていう思いが生んだ幻想よ」

 そしてもう一つの理由が、彼女達が社の前に入った瞬間、霊がいたからだ。

 身体は不鮮明、手や胴体などは薄暗くともはっきりしているが、脚から先が見当たらない。

 亡霊の知っている自分の身体、普段見ることのない足先をイメージしきれないからだ。

 そしていつの間にか、二人を取り囲むように半透明の霊が徐々に姿を現した。

 一、十、三十……。数え切れないほどの多くの亡霊が、悲しみと苦悶を表情に滲み出し、二人に近寄ってくる。

 魔理沙もそれに気付き箒を振るう。だが魔力も篭っていない箒を振り回したところで霊体はビクともしない。それどころか魔理沙に近寄った霊が、そのまますり抜けていく。

 魔理沙のことを亡霊たちは見ていない。それは純粋に魔法使いとしての魔理沙と、霊力を持った霊夢の資質の違いから、霊夢に対して亡霊は取り付こうとしているのだと魔理沙は瞬時に悟る。

「霊夢っ、逃げ――――」

 振り返り叫ぶ。

 魔力のない魔法使いは単なる人間だ。効かないとわかっていて箒を霊夢を囲む亡霊に向けて振ろうとし、そして気付く。

 ……こいつら、敵意がない?

 近寄ってきた霊は霊夢の周りを取り囲む、ただそれだけだ。それぞれが苦悶に満ちた顔をしているのに、霊気の塊である霊夢を冥界に引きずり込もうとしないのは何故か。今の彼女には理解の外だ。

「魔理沙、魔法が使えないのは確かにマナがないからよ。そして私たちが見えているこの世界こそが――――」

 霊夢の手にしていた祓い棒が、社を乱暴に弾いた。木屑と仏像が激しく土に打ち付ける音を耳にしながら、意に介さずして霊夢は幹にできた隙間に手を伸ばし、何かを掴む。

 力を入れて引き出す。

 握られていたのは古めかしい剣だ。銅で作られているようなそれは、泥と土が剣の腹に付着して一見錆びているようにも見える。

 霊夢が剣を一振りする。

 先ほどまであった世界が真っ二つに割れ、本当の世界が二人の間に垣間見せた。

 そこは死の森、木という木が完全に生命活動を停止し、生物はまったく見当たらない。

土は風が吹くだけで舞い上がり、川があったであろう場所には岩肌がむき出しの状態    で放置されている。

「偽者、いや幻想だった……、というわけか」

 なるほど、と魔理沙は頷く。確かに大気にマナが存在しないここでは魔法は使えない。

 幻という理由であれば先ほど見ていた木と水も説明がつく。恐らく剣か亡霊か、そのどちらかがこの聖域に近づけさせまいとして作った守護防壁、元々あった姿を形取った場所だったのだろう。

 先程まで取り囲んでいた亡霊は、既に霊夢の周りから消えていた。つまり亡霊の仕業でなく、崇められていた剣の仕業ということだ。

「行きましょう、今頃妖夢あたりが戦っているかもしれないし」

「あぁ、そうだな。その通りだと思うぜ」

 けど、と魔理沙は再び霊夢に尋ねた。

「別に霊力はマナに影響しないから使えるんじゃないか?」

 言葉を放つと同時に、霊夢は空高く飛んでいた。


 §§§


 軽い眩暈を引き起こしながらも妖夢は体勢を立て直した。

 急激な視界の歪みが引き起こす作用は、脳の神経系統に負担をかけ妖夢の神経を逆なでする。ふらりと着地の地点を見失いかけたが、ぎりぎりの所で地面の平衡感覚を取り戻し、着地。

 靴の裏地と地面の摩擦による砂煙と焦げる匂いが、少女の身体を包み込んだ。

先ほどまで自身がいた空を振り返る。巨大な大蛇が二つの首を失い、もう一つの首すらも刈り取る筈だったそれを、妖夢は自身の目で視認するはずだ。

 ……あれ?

 だが確認するはずだった声は言葉として口から出ることはなかった。空を覆うほどの姿をした巨躯はそこに在らず、見えたのは壮大なまでの星空。瘴気の欠片もなければ、周りの木々でさえ燃え盛る炎の海に包まれていない。

 あり得ない。先ほど自分が言った言葉を覆すように半濁してしまうのは、目に見える全てが自然のままと変わってしまっているからだろう。緑豊かなそれと曇り一つない夜空は、先ほどまで見ていた焔と暗瘴の世界とは異なるもの。あり得ないと思わないほうがおかしい。

 動き出そうとして、ふと頭を過ぎたのは小さく、しかし確かな疑問だった。

 右手を見ようとして、妖夢は右を向くよう意識をして首を左に動かしてしまう。

 自然体の左手拳を握ろうとして、逆に右手の拳を開いてしまう。

 すると右手に握られていた剣が、カチャンという金属音を残して地面に吸い込まれていく。

 ……自分が行動する全てを反転させているのか?

 いや、それどころか世界そのものを反転させているのかもしれない。まるで木々が焼けていないような静に刀が地面と接触する騒、炎だった世界から一転、深緑溢れる世界。全てが絡み合ったところで妖夢の答えは、未だに正解を見出せないでいる。

 なんとかして刀を拾おうとするが、逆に身体がおかしな方向に行ってしまう。焦らされるような思いを何とか振り切ってようやく地面についた刀に手をつけた。

 ―――その瞬間だった。

「なっ!」

 突如地中から出てきた灰褐色の手が妖夢の腕を掴み、地面に引きずり込もうとした。

 腕だけではない。音もなく温もりも冷たさもなく、まるで全ての感覚が消え去ってしまった感触を妖夢はその足でも受けている。

 ――――不死者かっ!

 手はあらゆる場所から妖夢の身体を掴もうと手を伸ばしてくる。まるで自らの黄泉の国へと引きずり込むようにぶつけてくる力は、怨根か辛苦か、今の少女にはそれを判断するほどの余裕は皆無に等しい。

 腕や足に絡み付いて話さないそれを条件反射で振り解き、空へと逃げる。しかし未だに理解のできない自分の動きは空への飛翔すら制限し、空中で浮遊することが精一杯だ。

 だが彼らの腕は地面から這い出てきているばかりではない。

 それは妖夢の胸、背中、腕からも植物のように生え、四肢を完全に固定してしまう。対する妖夢も一瞬自らの身体に生えたそれを畏怖の目で見るが、すぐさま引き剥がそうと抵抗を試みる。

「ちぃ! こんな腕なんて……っ!」

 だが刀でさえも満足に握れない妖夢の身体は、既に隙間がないほどの腕に埋め尽くされている。

 一つ一つの腕にさほどの力はない。数が多すぎるのだ。

 這い出てくるのは腕だけではない。臍の下の部分から出てきたのは眼球が陥没し、頭蓋すら粉砕され人間かどうかもわからない不死者の顔。それも一つではなく、複数だ。

 彼らに少女の姿が見えているかどうかは定かではない。ただ不死者は、生きた人間がいれば食人をする。生存本能の名残が、彼らを動かすただ一つの行動理由なのだろう。

 群れとなったそれは半人間である妖夢の存在を求め出す。自分達が蘇生を果たそうと、生者の肉を嗅ぎ付けたのだ。

「ひっ!」

 今度こそ妖夢の顔に恐怖の色が浮かび上がった。

 眼球も歯もない。だがそれは生者でもなければ死者でもない。この世にもあの世にも見捨てられた者が今、妖夢の身体を埋め尽くしている腕を伝って少女の顔に近寄る。これを恐怖せずに何を怖がると言えばいいだろうか。

 顔だけではない。一つは身体に潜り、臓物を食い漁るのかもしれない。或いはもう一つが生かさず殺さずと少女の身体を貪るのだろうか。想像が想像を拡張し、それが恐怖を煽るとわかっていてもどうしてもイメージしてしまう。

 ゆっくり、まるでそれは妖夢の顔を見ているだけで楽しいかのように近寄る。動けない少女は、最後の力を振り絞って抵抗するが、数の多い手はそれを決して良しとはしなかった。

 口が開く。奥に見えるのはなんなのか、少女の目がそれを凝視して、叫んだ。

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!」

 

 目覚めて、その先には紅光があった。


 §§§


 穿たれた地面を大蛇は何の感慨もなく見下ろし、何もないことを不思議と思うことなく首だけを背後に振り返らせた。

 理由はいたって簡単。最後の一撃を与える直前、羽根の付いた妖怪が敵を背負って避けたからだ。

 妖怪、という言うべきなんだろうか。一度ならずに二度も止めを刺し損ねた自分に苛立った様子で、彼はその妖怪に対して睨みをきかせる。

 だがその妖怪は一向に涼しい顔を見せたままで、手の脇に抱えている死に損ないの敵を乱暴に地上に放り投げる。それも炎の海になっている場所にだ。

 敵なんだろうかと疑問に思う大蛇を眼前に、妖怪と思しき小さな少女は新しい玩具を見つけたかのように嬉々として大蛇を見ていた。

「あなたがこの世界を作ったもの?」

 まるで幼子に語るような口調をしてから、少女は紅みを帯びて恭しくスカートを摘みあげお辞儀をした。

「はじめまして。わたしの名前はレミリア、レミリア・スカーレット。悪魔よ」

 悪魔、その一言に大蛇の心が高ぶった。

 この幻想卿に自分が神とまで思った悪魔がいる。その悪魔が自分に頭を垂れた。つまり、賛同してくれているのだと。

 狂喜した。悪魔が自分についてくれるのなら、もう誰にも負ける気はしない。博霊の者であろうと誰であろうと、これからは自分達が世界の中心なのだ。

 さぁ、ついて来い悪魔よ妖怪たちよ。今こそこの幻想卿に真の平和を築くのだ。

 狂声は確かにレミリアの耳に届いていた。そしてこの化け物が何を考えているか、何をしようとしているのかも。しかしそれを知ってなお、紅き少女の言葉は、色に相反してまるで深海のように暗く冷たかった。

「―――そしてさようなら伝説の生物。つまらない世界をありがとう」

 不釣り合いなほどの大きな槍が、大蛇の首に牙を剥く。

 唯我独尊の一撃は既に音を超えている。予備動作もない、目ですらも追えなかった大蛇の頭一つが朱に染まり、なんだと思った次の瞬間には花火のように爆ぜだ。

 一体何が起こったなど大蛇にわかるはずもない。まるで動いていなかった悪魔の右手に大きな槍が出てきたと思った瞬間には既に自身の頭が弾けていたのだから。驚愕するのが先に思考を支配し、次いで悪魔が見せた冷笑で初めてあの悪魔がやったことなのだと悟る。

 だがどうやって?

「……いまのはちょっとしたご挨拶よ」

 教え子がわかっていない教師のように少女は独り言を呟いた。手に先ほどの魔槍は見当たらないが、いつまた出てくるかなどわかるはずもない。それが目に見えていない速さで向かってくるということであれば尚更だ。手に持たせる前にどうにかしなければ次は狩られる。

「次はもう少し見えるやり方で行くわ。今度こそ期待に応えて頂戴ね、でないと本当に殺しちゃうから」

 何故だ。大蛇は紅に輝く悪魔に叫んだ。何故私とお前は戦わなければならない。

 わたしとお前が力を合わせれば、このような馬鹿げた世界なんぞいとも簡単に壊せるというのに。何故お前はわたしに牙を剥くっ!

 対峙した幼き悪魔の顔には質疑に応える様子はない。ただつまらなげに手を胸の辺りで不可解に広げ、まるで埃を払うかの様な仕草を見せると、少女と大蛇を囲うかのような濃い霧が分散していく。

 警戒を一層強めて大蛇は霧を吹き飛ばそうと風を起こす。だがこの濃霧自身が意思を持っているのか、まるで風の影響を受けずにそのまま少女の姿を紅い霧に溶け込ませた。

「たかが霧に何をそこまで不安になっているのかしら?」

 霧に紛れて聞こえるのはやはり若々しくも冷めた声だ。

「最近知り合ったやつに面白い技を使うやつがいてね。丁度いいからあなたで実験台にさせてもらうわ」

 声が霧に紛れて伝染していく。四方から来る声に、一体どこから攻撃が来るのかと全方位に気配を探るが、一向にそれらしい動きは見えてこない。

 焦りを利用してこちらが動くのを待っているのか? そう思ったところで自分の考えが甘いことに気付く。敵は悪魔、自分自身の考え以上に狡猾で非道な手段を持ち合わせた存在だ。それに対して焦れて動くのを待つといった回りくどいことなど生温い。

 ならどう来る。その回答に応えたのは霧の中、横平面で光る四つの紅い球だ。

 一直線上に近づいてくるそれは目にも止まらぬ速さだ。大蛇の胴体を貫こうとする紅球を、だがそれ以上の速さを持って大蛇の尻尾は迎撃する。はちきれそうなほどの衝撃が尻尾に響くが、それ以上に得体の知れない攻撃をくらった後を考えるなら、尻尾のほうがダメージが少ないはずだ。

「いい判断ね、……でも次はどうかしら?」

 先ほどと同じように紅球が大蛇の周りを取り囲む。だが今度は四つではない。空を埋め尽くすほどの目が大蛇に向かって凝視されている。

 それは血よりも紅い雨だった。

「呪詛―――ツェぺシュの楽園」

 しとしとと降り始めた雨は霧雨、しかし時が経つにつれて雨脚は強まり、大蛇の身体を濡らして行く。

 果て無き血の楽園。満月の夜に咲くシャンデリアには娼婦と子供の飾り、ランプは男どもの怯えた悲鳴。人間という人間の腹から飛沫を上げて沸き起こる血を、吸血鬼たちは恍惚に空を仰いで狂気の声を上げて哂った。

 一身に狂気を受けて大蛇は地に吼える。様々な怨痕の悲鳴がその身体を突き刺し、悪魔の目、まさに絶対的恐怖がその心を鷲掴みにした。

 肉体のダメージは比較的小さくても、気が狂うほどの苦痛が急速に精神を蝕んでいく。

 いつまでも続くかと思えたその時に終わりを告げなければならないのは、自分自身の大蛇故による誇りの高さだった。

「―――獄呪―――」

 震える声は、それでも血塗られた雨に打ち勝つように高く咆哮した。

―――魔焔蝶!」

 狂声と地団駄を踏んだのは同時だった。

叩きつけた言葉はひび割れた地面を深く抉り、次に底から現れたのは小金に輝く無数の蝶。

 キレイね、と悪魔は言った。これほどまでに密度の濃い蝶を見たのは本当に久しぶりだと、そして本当にこの獲物が自分にとって獲るに足る存在なのかを値踏みするように。

 蝶達は自然と揺らいで大蛇の周りを飛ぶ。一匹、また一匹と数が増えていき、いつの間にか大蛇の身体を埋め尽くすほどの蝶が姿を現した。

 際限を知らない蝶達は空高く舞い上がり、連結を組んだと思ったときにはもうそれは蝶ではなく金色の竜巻となって大蛇を包み込む。

「……ふぅん」

 果たしてそれは何に対しての感嘆符なのだろうか。

 金色の繭となって雨を凌いている大蛇は、確かに完全に動きを止めている。

 しかし産まれた赤子が一人で動けないのと同じように、繭に包まれた大蛇も赤子と同じくして動くことができない。

 以下に完璧な盾をもってしても、攻撃能力がなければ意味のないただの防壁だ。

 同時に、完璧な盾なんて無いことを教えてやるか……。

 フッと右手を振る。するとそこにははじめ持っていた紅い槍が自己を象徴した状態でレミリアの手に握られている。

 右手に力を集中させ、一点を見つめる。狙うは大蛇の腹部、死ねばそれまで、生きたらそれはそれでまた楽しめる。そういった願いを込めてレミリアは少しだけ顔を歪めた。

「できれば生きて頂戴。でなければこの世界を作ったところで楽しみなんてないんだから」

 バチッ、バチッ。

 手に持っている槍が呼応するかのようにマナを放出しだした。

「神槍――――スピア・ザ・グングニル!」

 振り上げた先に見える獲物に向かって、次の瞬間神の子の鉄槌が繭を破り大蛇の肉を内部から破散する―――はずだった。

 投げる直前、繭が急激な膨張をしてレミリアを襲うまでは。

 急激な膨らみを見せた繭はそのまま霧を払い、雨を乾かせ、更には投射寸前のレミリアにまで襲い掛かる。その速度は少女自身体感したことの無い広がりを見せ、瞬きをも許さない。

「ちぃ! 盾をそのまま武器として使うなんて……」

 だが振り上げた鉄槌はもう止めることなど不可能だ。目前に迫ってきた盾に向かって投射された槍は瞬き以上の速さを維持して盾を破壊しようと推進する。

 マナとマナが競り合い、小規模爆発を引き起こす。一点集中型のレミリアの槍が盾を貫きそうに見えるが、螺旋状に拡大を広げる盾に対して一点の攻撃ができずに、魔力だけ削られていく。せめて後に戦うかもしれないという余力を残さないでおけば、槍はそのまま大蛇を貫きこの戦いに終止符を打てたかもしれない。それこそがレミリアの最大の油断となった。

 ガリガリッ、ガリガリッ!

 ただの人間がこの光景を見たら、マナによる爆発の余波で声をあげることもできずに死ぬだろう。自らの身体を削られながらも貫きとうそうとする矛はそのまま、盾を破壊せんと牙を剥く。

 しかし、そこまでだった。

「!」

 矛先が弾かれ大気に霧散していく。盾には僅かな、指一本ほどの穴が開いただけにとどめている。

 怒涛。

 金色の波がレミリアの身体を飲み込んでいく。



 およそ金剛石以上の硬さを誇るマナの壁を直撃した地面には、もう草の葉一枚も残っていなかった。

 存在しているのは紅い少女、蒼髪の髪を紅く染めあげ華奢な左手を失い、夥しい流血を服に染みこませながら遥か下を見下ろしているレミリア・スカーレット。

「……見誤ったわ。ただの一撃でこれほどなんてね」

 その体を右に大きく傾いでいるのを少女は気付いていない。

 いや、気付いているが、もう自身が持たないことを悟っているのだろう。自重に耐え切れない身体をそのままにして、地上へと吸い込まれるように落ちていく。

 空しい落下音が辺りに響いた。果てた少女の姿は徐々に失われ、その姿を赤い液体へと変えていった。

 少女が見下ろしていた先には四つ首になった大蛇。それぞれの首からは悲観の色も、嬉々とした陰りも見えてこない。

 終わった。

 これでこの世界は自分以上の存在はいなくなった。と。

 そう思いたかったのに。

「――――フッ」

 少女が笑う。本当に嬉しそうに。

「ふふっ、はは、あははははははっ」

 冷たい声、それは修羅の前触れ。

 紅い目、それは血戦の宝月。

 幼くして紅い悪魔が死を超越して空にいた。

「まさか私を一人でも倒すなんてね」

「正直期待以上よ、あなた―――」

 一人、また一人。

「今度は私を満足させてね?」

「あらレミリア、私が先よ。あなたは私の後に来たじゃない」

「ちょっと二人とも、私が先に着いたんだからあなた達は後よ」

 瘴気に包まれた世界が紅色に染まっていく。

 その全てが先程の悪魔と同等の力を持ち、大蛇という獲物を先取りせんと集まってきた。

 改めて大蛇は思った。これほどの力があるのにも関わらず、何故この悪魔が幻想卿を支配していないのか。何故これほどの力を封印してまで、腐った世界にいるのか大蛇の脳裏は理解をすることができなかった。

「そんなの簡単よ」

 空から悪魔が一匹、ゆっくりと大蛇の前にやってきた。

「希少品は希少だから美味しく感じる。つまらない時があるから楽しい時間がより楽しいく感じる。何より私はね、毎夜起きたときに飲む紅茶が好きなの。殺伐とした世界なんて時々で十分よ」

 だからね、

「私たちを退屈させないでね希少さん。じゃないと簡単に殺してなんてあげないから」

 豪雨が大蛇に迫ってくる。

 恐れることも、嘆くことも許されない時間が再び始まった。



「これはもう、私たちの出番はなさそうだな」

 傍らで欠伸をかいている魔理沙が退屈そうに言い捨てた。

 十分距離をとって傍観していても、戦いの余波はここまで届いている。剣林弾雨の中を掻い潜ってまで獲物を横取りしようとするのは、よほどの馬鹿がする行為だ。

 にもかかわらず、手に持った剣が重たく肩に響いて仕方がない。

 一対たくさん。まるであの子のスペルと同じような戦いを、大蛇は味わっているんだろう。

「あら、二人もアレ目的で集まったの?」

 腕を組んで耳障りな音を立てながら、翼の生えた吸血少女がやってきた。

「オリジナルか?」

「オリジナルよ」

「オリジナルね。随分と手の込んだことしてるみたいじゃない、あなた一人でやれば十分倒せる敵でしょう?」

 うーんそうだけど、と可愛げに首を傾げてレミリアは呟いた。

「それじゃつまらないじゃない。私が本気で相手をしたら相手に手を差し伸べた瞬間に終わっちゃうし、背を向けても勝手に私の翼が相手をミンチにしちゃうんだから」

 前を見て、

「それにね、敵を倒すなら圧倒的な力の差を見せ付けないと、近寄ってくるかもしれないじゃない。ならいっその事、一撃で終わらせるのも良いんだけど……」

 フッとレミリアを顧みた。

「……ふふっ、いいわねその顔。あの時以上の力が見え隠れしていてゾクゾクしてくるよ」

「珍しいな、レミリアでも怖がるものがあるのか?」

 呑気な発言にレミリアは大声を上げて笑い、わたしの表情にも緊張感がなくなってしまった。

 まったく、魔理沙の間の外し方には脱帽してしまう。

「そんなわけないでしょ、からかってんのよこいつは」

「そう、からかっているのよ私は。珍しくこんな日だからちょっと退屈していてね、遊び相手が欲しいのよ」

「遊び相手か、悪いが私たちはまずいぜ?」

「ま、そういうことにしておいてあげるわ。それより―――」

 レミリアの目線が私の持っている剣に向けられた。

「古代の剣なんて取り出して、普通に倒せば手間暇かからないのに一体何をしていたの?」

 あー…レミリアは知らないのか。

「いやなに、霊夢が面倒なことをするのは今に限ったことじゃないぜ」

「こいつの言っていることは八割以上嘘だから。それはおいといて、さっき迷い込んだ人間が助けて欲しいって言ってるの。そいつの保護よ」

 少女の目の前に古びた勾玉を差し出す。それで理解したのか、あぁなるほどと関心のなさそうな頷きとため息を吐き出して、遠くのほうで爆音を響かせている大蛇を見つめながらポツリと呟いた。

「あれは時間に取り残された残骸ってことか。とうの昔にやつらの歴史は終わったというのに、今なおこうしてこの世界に現界しているんだから触媒となったそいつも哀れね」

 獣の雄叫びが響く。その声が、私には泣いているように聞こえた。

 涙を流しながら痛いと叫び、血を流しながらもう止めてと懇願し、しかしそれでも心は戦いを望み、充血した眼は敵を討とうと怨恨の色に輝かせる。

 だが、それも触媒となった体が持つことはない。天に向かって最後の咆哮をあげると、そのままゆっくりと力なく傾き、最後には炎の中に身を沈めていった。

「……レミリア、何か知ってるの?」

「知ってるも何も、私も実験台にされかけた者の一人だしね」

「その話長いのか? 長いなら道すがら退屈しのぎに話し込むか」

 えーめんどくさいわねとレミリア。

「そんなことに興味があるなんてちょっと意外だわ」

「私たちというより読――――」

 危険な発言をしようとしたため裏拳でを口にめり込ませた。「ガッ!」とか言っているが知ったことではない。自分の愚かさを呪うべきなのだ。

「別に昔の話に興味はないけど、退屈は嫌いよ。道すがら話しているだけでも話題が合っていいんじゃない?」

「……それもそうね。それじゃ目的の場所まで近いんだし、ゆっくりしますか」

 森を襲った火は爆風の余波でほとんど吹き飛んでいた。凝っている肩をほぐしながら地面へと降りていき、着地したと同時にむせ返るような匂いを鼻に受けながら炭の上をザリザリ歩く。

 一歩が炭に埋まり、危うく転びかけた。

「っと、けど随分とやっちゃったかな。もう少しアレしてもよかった……」

「手加減くらい覚えましょう」

「咲夜みたいなことをいうのね。別にいいけど」

「いいんだよ手加減なんて。霊夢なんていつも手加減してるからそれが本気になって、手加減じゃなくなってるんだから」

「そういう魔理沙はいつも本気よね」

「当たり前だぜ、本気を出してこそスッキリできるだろ?」

「うるさいわね、それだけ話しているなら語る必要ないのかしら?」

 あぁ、そうだった。

「ごめんごめん、それでなんだっけ?」

「まったく……。いいわよ、どうせ独り言なんだし」

 パチッと、足元の枝が割れる音の残症が消えた頃にレミリアの口が動いた。

「ずっと昔よ。博霊も霧雨もいなかった時代、人間世界と幻想卿に境がなかった時の、腐った時代に生きた研究者達と、私たちのこと」


 §§§


 それは遥か遠い昔のこと、戦に巻き込まれたある国があった。

 その国には軍隊がおらず、武器すらも所有していない平和大国の一つ。水や食料が豊富で、人々の中にも活気が溢れていて戦争なんて嘘なんじゃないかというほどの笑顔がそこにはあった。

「私はブルガリアのある小さな村にひっそりと住んでいてね。貧しくはあったものの貧困というほどでもなく、到ってごく普通の人間だった」

 人との交流も会って、父親も母親も、妹も一緒になってゴミを拾ったりしながらお金を集めて、その日の労働でご飯が食べられるかが決まっていたくらいのそんな日々だった。

 けれど苦しいと考えたことはなかった。

 それは私の後ろについてくる妹の存在。ちょっと人見知りをするけど、可愛くてつい甘やかしてしまいたくなるくらいの女の子。

「フランはね、昔から今のような情緒不安定な子じゃなかったのよ」

 空が夕日色に染まって、帰り道。

 いつものようにフランが暗くなっていく景色を見ながら、私の左手を握ってきた。

 お姉ちゃん、怖いよ。

 そういって、ゴミ拾いを止めて私にしがみ付き、帰ろうと促す。

 私もフランのいいたいことはわかっていた。平和に見えてもここは戦争が起こっている国の一つ、いつまでも外にいたら危険だと。

 うん、もう帰ろうか。

 背中の籠一杯に積まれているゴミを見て、私たちは一瞬の怖さを忘れて喜んだ。

 今日はたくさん取れたね。帰ったらお母さんたち喜んでくれるかな。

 きっと喜んでくれるよ。

お母さんたちもがんばっているんだし、フランも一生懸命がんばったよ。

 ……えへへ、お姉ちゃんも私と同じくらいがんばったもん。

 寒かった手が、ほんの少しだけ暖かくなった。

「……あの時は生きることが幸せだった。どんなに辛くても、フランや親が傍にいてくれるんだから。それ以上の幸せなんてないわ」

 蝋燭を囲んで家族の夕食。

 崩れかけた連歌の隙間から漏れる風が寒くても、それ以上に四人で囲む夕食と一日にあった出来事を話すだけで、心と体が温まるような気がした。

 ゴミと思ったら虫だったとか、仕事先の男が水を零したとか、そんな些細なことでも、私たちにとっては楽しい出来事。

 それを壊したのは、紛れもないあいつら。

「ある日、私たちの村に朗報が入ったの」

 その内容は、治験。

 つまり自分達の身体を被検体として差しだし、代わりにたくさんのお金をもらうということ。

 当時私たちの村にはお金に困っている人がたくさんいた。その日その日をゴミ拾い、大道芸などで得られる僅かなお金で生活する人がほとんどで、その日に出回った仕事の話は天から伸びてきた蜘蛛の糸だった。

 当然、私の両親もこの話に釣られる事にした。

 治験だから自分達の娘には受けさせられない。

父親はそういって母親を残し、一人実験施設に行ってしまった。

 その間、母親は一人で私達を支えてきてくれた。父親がいないというのに寂しそうな顔一つせず、期限である二週間を過ぎても、待ち続けた。

 お姉ちゃん。

 やがてフランが不安な声を出して、私にすがり付いて来た。

 お父さん、どこいったの……?

 少し涙目のフランをそっと抱き寄せて、私は安心させるように呟いた。

大丈夫よ、もうすぐ帰ってくるから。

 だから、もう少しの辛抱。ね?

 ……うん、がんばるね。

 まだ不安が取りきれていない顔で、それでも懸命に笑顔を繕ってフランは静かに寝た。

 ……そして、程なくして一ヶ月を過ぎた辺り。

 不安に思った母親が、私達を残して父親を追うように施設へと入っていった。

 そして、また一ヶ月して。

 母も同じくして、帰ってくることはなかった。

「人体実験ね」

 冷えてきた手に息を吹きかけると、近くの木に手をかけた霊夢が酷く淡白な声で呟いた。

「戦争において最も効果的、かつ残虐な方法として使われるのが効果範囲の広い毒よ。例えば魔理沙、何があるか知ってる?」

「ボケとかいらない空気だし、真面目に応えるなら枯葉剤ってところが有名かもな」

 そう。外の国ではそんなことが日常的に起こっている。

 彼らの多くは大人達の都合で起こる戦争の武器の犠牲となった。

「霊夢の言うとおり、あの施設には毒そのものを研究する施設もあったわ。どれほどの量で人は致死量になるのか、肉体に打撃を与えるのか。事細かな実験をそこでは行われていた。現に対トルコ戦争の時には、毒を散布して打撃を与えようとしていたのよ」

 今から約五百年近くも前の話しだ。

「けどね、それ以上にあいつらはもっと残虐な方法を使って、戦争を有利に運ぼうとしていたわ」

 毒以上に、相手に恐怖を与える方法があった。

「それが私達のことよ」

「……あぁ、なるほど」

 霊夢より魔理沙のほうが、先に答えを導き出したようだ。

「霊夢、怖いって感覚を何故人や動物が感じるかわかるか?」

「さぁ? 怖いなんて思ったこと一度もないから」

 予想通りの解答に思わず声を上げて笑ってしまう。

 怖いと感じたことがない、か。感じないこと自体が人として怖がるべきことだというのに。

「動物の場合は自分達を狙うハンターを本能で理解している。例えば大きい人間が小さいリスを触ろうとしても、リスはほぼ間違いなく人の手にはおろか、目に触れることすらできない」

 一拍置いて、

「だが人間は想像することができる。痛覚をそのまま表現することができる。子供の頃に転んで膝を擦りむいて痛いということを知った後、大きな怪物がものすごい力で自分を握りつぶすという想像をしたら、痛いということを拒否するだろう? 近寄りたくもないし、傍にいたくもない。いつそいつが暴れだすかもわからないんだからな。つまりだ、レミリアの言っている施設のやつらは―――」

「化け物を作り出していた……か」

 呆れとも哀しみとも取れるような表情を浮かべながら、霊夢は私を見ようとはしない。それもそうだろう、生まれながらにしての吸血鬼でないとわかった私に、霊夢がどう取り繕えばいいか。仮に何か言ったとしても、私の神経を逆撫でする以外にない。

「母親が帰らなくしてから間もなく、私達も母親達の後を追うようにして施設に行ったわ。今考えれば、母親が帰ってこない辺りからおかしいのを感じ取っていたはずなのに、あの頃はそれを思わないほど二人の存在が大きかったのね」

 簡素な石造りの部屋に通された時に、私と妹は強制的に離れ離れにされた。

 今でもあの時に叫んでいた妹の顔を忘れることはない。

「身体に変な注射を定期的に打たれて、私は狂いそうなほどの絶痛を何日も、何ヶ月も味わうことになった。肉が裂け牙が生え、髪は大好きだった淡い黒紫から薄く青に変わり、爪は伸びきり眼から幾度となく血を流し続けた。そしてね、ふと思うのよ。血が足りないって。流し続けた血が底をついて、身体の深い深い部分から血が欲しいって言うのよ」

 初めて感じた吸血衝動。

 それはなんとも恍惚な痛みで私を刺激し、殺して欲しいほどの渇きと力を与えてくれた。

「次の注射を打つときに私は研究員を殺したわ。一人殺せば後は同じ、目の前に出てくるやつら全員殺し殺し殺し尽くして、ありったけの血を飲みまくったわ。あんなクソまずい血はこの先ないでしょうけどね」

 っと、そうこう話しているうちに目の前には先程倒れた大蛇の残骸が見えてきた。

「研究施設の中には生物を合成する施設もあったわ。目の前のこれで喩えるなら、蛇を媒介として色んなものくっつけたんじゃないかしら」

「でもそれだけで、日本国の伝説上の生物になるかしら?」

「その頃こっちの国と私たちの国は交流を取っていなかったよ。生物が生物に変換するための思念をある物質に閉じ込めて、素質があるものにそれを継がせていく。珍しいものが私のいた国の商人が引き取り、亘り亘って日本まで来た。そしてそれは受け継がれていったと思えばいい。清の国からならくることもあるでしょう? そして受け継がれた最後の人間が触媒となって、そいつの思念がそのままこれになった」

「未来ね。神酒が触媒となって大蛇がでるなんて……」

「偶然にしちゃ、少々できすぎているかもだけどな」

 まぁ、その通りね。

 実際それだけじゃ、ここまで完璧な伝説の生物を作り上げることなんてできやしない。

「原因はもう一つあるよ。普通こんな馬鹿でかい妖気を作り上げるなんてのは触媒になった人間にはできないことだ。引金を絞った本人が、その中にね」

 ふわりと、翼がはためいて身体を浮かせた。二人もついてきて、私たちは蛇の頭部分、最後に残った一頭を見つめながら声を立てた。

「でてきな、芝居はもう幕引きだよ」

 すると首筋部分、黒い靄が立ち込めてきたと思ったら、蛇の口から禍々しい塊が排出された。

「……なぜだ……………」

 それはそう呟く。

「何故我らと共に妖怪の楽園を築かんのだ」

 そして、

「何故だああぁーーーーー!」

 黒い球体は突如弾け、私たちを取り込んだ。

 そのまま強力な酸によって溶かそうというつもりなのだろう。

 なんて浅はか、なんて愚か。

「馬鹿ね。あなたは」

 知らず私はそう呟いた。

「秋、解きせしもののくるふ寒美の宴〜〜〜」

 それは詩、優しくも哀しい、哀歌の言霊。

「雪を請い人に焦がらう儚き幻想を待ちわびゆ〜〜〜」

「やれやれ、結局私の出番はなしか」

 黒い魔女は箒を片手に時を待ち、

「今ここよりて魔を除ける夢を掲げ様」

 巫女は陣を広げた。

「夢符―――封魔陣」

 濃縮された符の陣は黒い強酸を弾き返し、そのまま球面に張り付いて逃すことをしない。絶対的な力は相手が力を持つほど強力な気となり敵を封じる。

 小さなうめき声を上げたと同じくして、敵の動きも完全に止まる。それが終わりを告げる最後の声となった。

「まぁ、めんどくさい仕事もこれで最後かな」

 霊夢の手にあった剣が優しく弧を描いて落下していく。

 静かに、カシンという音を立てて突き刺さったそれを最後に、大蛇の姿が光を帯びて形を崩していった。

「昔もね、あったのよ。この幻想卿で大蛇が暴れるという事件、それを解決したのが私のおじいちゃん辺りなんだけど」

「断定じゃないのかよっ」

「あの頃は二匹いてね、あまりの力の大きさに何とか封印したんだけど、それ以来一部ではいつも木とかが生えない場所になったのよ」

「つまり、その大蛇っていうのはこいつの……?」

 両親、そう考えるほうが確かに理想かもしれない。

「……受け継いだのは、勾玉だけじゃなく運命そのものかもね」

 金の砂が風に舞う。姿をこの世界に留めることなく、逝くべき場所へ逝くように。

 ごめんなさい。思念がそう世界に告げる。

 お父さん、お母さん……どこにいるの……?

 そう言葉を残して、全て塵となり去っていく。

 空は白い雲に覆われ、白い粒が舞ってくる。

 雪。

 哀しくも嬉しい冬の到来。

「レミリア」

 日傘を差して空を見上げる私に、霊夢は小さく聞いてきた。

「あなた、両親はどうしたの?」

「…………、いないわ。そんなの初めから」

 そう。

 呟いて霊夢も空を見上げる。

 空は相変わらず、哀しい色をしていた。


戻ります? 進みます?