暗く、紅く、恐らくそこは館の外とは別の異世界。

 普段としてその館には日が当たっているというのに、壁の向こう側では常に日が入らない。

 窓がある。六枚の硝子に区切られている洋風の窓が、風に煽られてか、キィキィ音を鳴らして揺れている。それが一つではなく、館の至る窓全てが不気味さを煽るように。

 否。音は窓の軋みなどではない。

 それは窓から外をのぞくように蠢く小さな鳥。果たしてそれを鳥と呼べる代物かどうかは、館に住み着くものしか判るまい。

 紅く、そして黒く、だが真っ白な牙を持つその鳥は、日の光や雨さえなければ優雅に世界の王となれる力を持っているのだから。

 故に彼の者達は自らの殻に篭る。己の出るべき幕は未だここではないというように。

 一陣の風が館を凪ぐようにして通り抜けていく、そこに見えるのは窓を埋め尽くすような蝙蝠の群。紅き悪魔の遣いが哭いている。

 それをさも愉快げに聞いているのは幼き少女だ。

 白と赤を基調としたワンピース、日に当たらないよう日よけのカーディガンを羽織り、室内だというのに大げさなギャザ模様のつばがついた帽子が印象的である。

 室内に音という音はない。ただあるのは規律とした規則正しい音と、決して人間には聴くことのできない超高音の波の数々。反響する音は、聞くものによっては一日と持たず発狂してしまいかねないほどの波のはずだ。

 だがそれすら彼女にとっては珍しく騒がしい程度でしかなかった。

「空気がおいしいわね…。ここ最近じゃ、こんなにも殺伐とした血の匂いすら感じなかったというのに」

 誰ともなく少女は呟いた。

 遣い魔を通して外を眺めてみれば、外は既に曇り、日の光すら湖面に反射することすら適わずにいる。波打つ水の飛沫が浅く震えているのが見えた。

 初めて心臓の音にも似た音が廊下に響く。絨毯の上で生まれた重低音は、一定のリズムを持ってこちらへと近づいてくる。

 馴染みのある音、いや、馴染みと言うにはこの館には多くの生き物はいない。そのほとんどが自動人形でできているからだ。

 少女の妹であるフランドール・スカーレット、瀟洒なメイドの咲夜とその侍女たち、そして……、

「随分楽しそうね、レミィ」

 発せられた声は小さく、しかし透き通った声だ。

「えぇ…、パチェ。わたし今凄く楽しいわ」

 レミィと呼ばれた少女、レミリア・スカーレットは妖艶に笑みを深める。果たしてそれが意味しているものは狂喜か狂気なのか。

 風が館を突き抜けていった。

「……何百年ぶりかしらね。こんなにも血の匂いが幻想卿に充満していくのは」

「二百と飛んで九年、あの頃は確か東と西の勢力が分かれていた頃ね」

「そうね、そうよパチェ。人間のいないこの幻想卿、いや、世界が幻想に包まれていたあの頃は人間と妖怪の間に何の隔たりもなかった。勝手気ままに人を喰い、人間が妖怪を追い払う、生存競争の一番激しかったあの頃が今再び訪れるなんて、夢にも思わなかったわ」

 もっとも、とレミリアは付け加える。

「今度は妖怪の中だけみたいだけど」

 もう一度空を見る。

 相変わらずの雲は黒く燃え盛っている。恐らく濃密度の妖気が、瘴気と交じり合いと反発を繰り返し、発火現象を引き起こしているんだろう。低級の妖怪があれに触れたら間違いなく消滅してしまう。

 だがそれを愛しくも思えてしまう少女には、むしろその空こそが待ち望んでいたものなのかもしれない。

「日は射し込まず夜が世界を支配し、闇は妖怪どもの血肉を沸きあがらせて戦闘意欲を掻き立てる。地に伏せた悪魔は黄泉から這い出し全てを喰らい尽くす。腐りきった平和の中にこれほどまでのバトルステージを用意した人に感謝しなくちゃ」

 それとも人でない何者か。

「パチェ、あなたはどうするの?」

「……わたしがでると、妹様を見る人がいなくなるわ」

「ん……それもそっか。どうせならあの子も連れて行きたいけど」

「レミィ、まだあの子は」

 判ってる、そういってレミリアは優しさに似た哀しい顔を浮かべて笑う。

「んー…こういう時あの二人がいたら連れて行ってあげるんだけどねぇ」

「仕方ないわ。片方は風来坊な人で、もう片方はとんでもなくのんびり屋だし」

ふぅ、とため息を吐いて決意を胸に秘める。ちょっといってくるか。そんなような気分でレミリアは準備をし始める。

「でかけるわよ咲……って、そうだった。咲夜でかけているんだったわ」

「調理に足りないものをとってくると言ってね」

「肝心なときにいないんだから…まったく」

 嘆息な言い方ではあっても含んでいるのは愉悦だろう。レミリアの言っていることは咲夜には向かない仕事なのだから。

 完璧な殺意ある衝動本能。それこそ人間では理解できない、魔物特有の生に対する執着心ともいえる。それにわざわざ咲夜を連れて行くのは果たして意味のある行動だろうか。

 いや、もともと意味なんてありはしない。わたしの横に常にいるのが従者としての勤め、それを怠った彼女が悪いのだ。うん、後で罰を与えねばなるまい。そう思いレミリアが目の前の空気を掴むように手を伸ばした。

 次いでくる音はまるで腸を裂いた音だろうか。グチュグチュと音を鳴らして蠢く少女の手が、蛇のように捻っている。

 蛇はしばらくすると大人しくなり、爪の先から滴る一滴の血が全て終焉を迎えている。

 ――――否、果たしてそれは血という液体なのだろうか。

 血のように見えるそれは確かにレミリアの爪先から床へと落ちている。が、それはカーペットに吸い込まれずに、まるでそれ自体が生きているように小さく震えている。

 そしてふと生き物のようなそれは震えることを止め、カーペットに円く広がり一メートルほどの波紋を広げた。

 湧き出てくる存在は細く長く、音も無い。だが館内部の壁が威圧を受けて振動するほどの存在感をもって、槍は這い出てきた。

 それは胎動、少女がイメージした伝説の魔槍が、紅褐色の色を持って具現化された。

 グングニール、北欧神話の名高い神の武器として有名な槍は、軽く少女の身長をふた周りほど超えている。それを難なく手に持ち、一振りする。

「やっぱり普段神社の巫女達と同じことをすると勘が鈍るわね」

 魔法で作られた武器には固有の形というものがない。エネルギーの放出が絶え間なく続き、形を維持できないからだ。

 もしあるとするならば、それは武器の原型に所有者の魔法を組み込んだ武器のことを示している。少女の作り上げた魔槍は自身の血を媒介にすることで、原型に形を固定させない、液状化変態を可能にしているといっていいだろう。更に自らの血を利用することで魔力の通しがスムーズになり、魔力に魔法を重ね合わせ相乗効果を引き出している。

 まさに武器と本人が一つの体となっているのだから、少女の意思一つで槍は斧にでも剣にでも、弓矢にもなるだろう。

「それじゃ、いってくるわ。後をお願いね」

「レミィ、判っているとは思うけど―――」

「日の光に気をつけろ、でしょ? その言葉を聴くのもいつ振りかしらね」

 パチェ、パチュリー・ノーレッジの口が初めて戸惑いを見せる。

 それは少女の言う言葉の歴史を探っているのか、それとも他に掛ける言葉を捜しているのか。この暗さでそれを確かめるのには多少無理があるようだ。

 左脇にある窓を片手で開き、遣い魔を放たせる。

 放ったと同時に少女は窓の縁に足を掛け、跳躍する。背中についた悪魔のシンボルが、久々の風だと嬉しそうに羽ばたかせながら飛翔を開始した。

 黒き蝙蝠の群、彼らをまさに引っ張る形で少女はポツリと呟いた。

「そういえばご飯まだだったなぁ」

   §§§

「そういえば侍女達に任せた昼食の準備はもうできたのかしら…」

 あぁ心配ですわという表情を浮かべた咲夜がいうが、ちっとも心配しているようには見えない。それより幽々子様はお出しした昼食できちんと我慢されているかが、こちらとしては心配だというのに。

 先程の瘴気が去って、童子達が帰り、私達は怒り狂った霊夢を抑えるために必死だった。正直こんな事をしに来た訳ではないのだが、なぜかここに来るたび苦労を迫られるのは、この神社特有の空気によるものだろうか。不思議でならない。

 暴れていた霊夢は童子が帰ったことで怒りを静めたのか、最後はやりきれないような沈黙を場に残して台所に去っていく。きっとお茶を汲みに行ったのだろう、そういった意味では彼女も割りと大人だ。

 止めに入ったわたしと魔理沙は、涙目の霊夢に苦笑を交えながら弾幕の相手をしてやった。流石の巫女も、ひどいことを言われた後では冷静さを欠くらしい。それくらい良い意味でひどく発散した弾幕だった気がする。

 っと、そうこうしているうちに霊夢が帰ってきた。手に持っている器には五人分の煎茶が載せられている。

 私たち四人と、一人の迷子の少女だ。

「ほら、飲みなさい。そんな震えているといつまで経っても力は抜けないんだから」

「あぁまったくその通りだな霊夢、いやまったく飲んでないとやっていられないな」

「……魔理沙、わたしを見ながら言わないでほしいなぁ」

 言いたくなる気持ちもわかる。というか止めに入った私達の気にもなって欲しい。

 案の定気恥ずかしそうに「まぁいいけどね…」と呟きながらちゃぶ台の上にお茶を乗せていく。魔理沙も咲夜も自然とお茶を取りに足を向けるのは、もう癖。

「さて、ズズッ……。っあー、お茶がおいしいですこと」

「あなたからもらったものだしね。丁度いいし」

「ズズッ……、とりあえずズッ……話をズーッ……、あぁお茶がうまいぜ」

「啜る前に話を進めたらどうですか……」

 苦笑いして湯飲みに入ったお茶を一口頂く。あっ、確かにおいしいですね。

 そんな私達を見て少し顔色をよくしたのか、少女が湯飲みに入ったお茶を手に持った。

極力意識しないようくだらない会話を心がけるが、やはり自然と目が行ってしまう。

 ズッと一口お茶を口に含んで、フゥと息を吐く。

 そんな動作がゆっくり流れて、多少落ち着きを取り戻した様子だ。

「ちょっと魔理沙、煎餅食べすぎ」

「硬いこというなよ霊夢、わたしとお前の仲じゃないか」

「煎餅一枚で昼食なんて、この神社は生計が成り立っていないんじゃないかしら」

「うるさいわねぇ、そんなこと言うなら賽銭箱にお金入れてよ。硬貨じゃないほうを」

「生憎と私の住まいは神様とかを信じることはしていないので。悪魔なら信じますけど」

「紅くて小さくてわがままな悪魔とかな」

「えーい、なら文句を言わないの!」

「……三人とも和むのはいいですが、ひどく今の状況忘れてますよね?」

 話がどんどんそれていく三人をどうにか元の話に戻そうとする。

 さて問題は――――、

「問題は、そろそろお茶を入れるほどお金がなくなってきたのよ。咲夜どうにかならない?」

「人にものをお願いするときには腰を低くして欲しいものですわ」

 とりあえず二人の頭を鞘で殴っておいた。

「こほん。えっと……落ち着きましたか?」

「え? はっ、はい。ありがとうございますっ!」

「それほど畏まらないでください。ここにいる限り最低限の身の保障は……します」

「今の間はなんだ?」

「気にしないでください。それよりあなたの名前と年齢、それと――――」

 一息、

「それとどうやってここまでたどり着いたのかを」

 少し、肩が上下したのは怯えからだろうか。

 まだ口が簡単に聞けないのに、いきなり質問を浴びせるという行為は、更に緊張に拍車を掛けるものではないかと思う。

 順序を誤ったか?

 そんなことはない。童子が去ってから既に半刻は過ぎているし、私たちも少女に対してはさり気なく接してきたはずだ。そこまでしてもまだ喋れないということはつまり、信用されていないか、言えないなにかがあるということか。

 幻想卿に入る方法はあまりない。

 香霖堂を通るか、結界を破壊して内部に入ってくるかの二通りだろう。

 大結界を破壊することはとにかく無理であろうとして、香霖堂から来たというのが一番現実的な考え方ではある。だが実際あそこからこの神社までの距離は人間の足では大人の足でも二日はかかる。その間に襲われたのが童子の悪戯程度では納得がいかない。

 まるで妖怪から見捨てられたような運命にあるこの少女が、果たして本当にただ迷い込んだだけなのかは、これからはっきりとさせなくてはならないだろう。

「………………えっと」

「魔理沙、蔵に薪があったと思うの。それとってきて。 咲夜は夕飯の準備をお願い」

「なぜ私たちがそんな神社でお煎餅の御礼とかをしないといけないのかしら?」

「そうだな。お茶の御礼で薪を持ってくるのは些か有意義だぜ」

「わかってるならさっさといきなさいって!」

 流石に四人の視線が注目するのは口を閉ざしてしまう原因の一つかもしれない。そう思ってどうやら霊夢は気を利かせたようだ。

 他の二人も同様に感じていたのだろう、ブツブツ文句を言いながらも素直に従う辺り、彼女達なりの気の遣い方が伺える。

 それを察してなのだろう、少女もどこか決意をした目で顔を上げ、話そうとしていた。

「名前は、未来といいます」

「お酒ですね」

「お酒だな」

「お酒ですわね」

「さっさと行けお前らっ!」

 二人に何か投げつけていたような気がするが、見ていなかったことにしておく。

「ここにきた理由は……よくわからないんです……。家にいたと思ったらいつの間にか森の中にいて、周りの雰囲気が怖かったからとにかく走って逃げたんです」

 そしたらここに、と少女は口を噤んだ。

 ふぅんと相槌をうって霊夢は思案している。嘘かどうかを判断しているんだろう。

「ここはどこなんですか? それにあの妖怪はなんなんですか。それに姿がなぜか子供っぽいし……」

「とりあえず、場所だけでも知っておいたほうが良さそうですね」

「ここは幻想卿。あなた達人間界の人が訪れることのないよう、結界を布いて隔離した世界よ。もっともどういうわけか、あなたはこちら側に来てしまったみたいだけど」

 唖然とした未来の表情は引きつり、しかし同時に諦めにも似た息を吐いて顔を下げた。

 無理もない。幻想卿の世界に入ってきたということは、一度は死を考えてしまったということ。それが越えてくる一つの条件なのだから。彼女の過去はどうあれ、恐らく死ぬ気で結界近くの山中に入ってきたのだろう。

 それがいざ入ってしまったところは妖怪が棲んでいる世界。死ぬということより喰われるという先見的なイメージが死を超えてここまで走らせたのかもしれない。そういう意味では未来がどうやってここまで来たかを説明できないのも腑に落ちる話だ。

「そっか、蓮子がいっていたのは本当にあったのね……」

「まぁつまりよ、あなたは幻想卿に迷い込んじゃったわけ」

「なんていうか内容がほとんどないだけに、纏めも何もあったもんじゃありませんね」

「さっきの妖怪は座敷わらしっていって、しらないかな。よく家とかにいたりするんだけど」

「えと、確か悪戯好きで子供の姿をした幽霊って話を……」

「語弊が少しありますが、大方そんなところです」

「そういうこと、あなたを追ってきたのは近所に住んでいる子でね。ちょくちょく遊びにきたりするのよ。あなたの容姿が子供っぽかったからきっと遊び相手にされたんでしょうね」

 お茶を一口含みながら、「それよりどうするの?」と霊夢は未来に問いだした。

「えっ?」

「えっ? じゃなくて。このままうちにいてもあなたを生かせるほど蓄えはないし、それにうちより妖夢のところに行ったほうがいいかもしれないし」

「私のところですか。確かに……」

 確かに彼女は私のところで引き取ったほうがいいかもしれない。というのも理由は明白、少女には既にある特異な現象が起こっているからだ。

「あ、あの……」

「あぁ、説明がまだだったわね。妖夢のいるところは白玉楼っていって、幽霊達が集まるようなところよ。あなたもあそこだったら呑気に過ごせるだろうし」

 少し言い方に違いがある。

 白玉楼は確かに幽霊が多い。しかしそれは幽々子様が自ら呼び寄せて幽霊が多数存在するようになったからであり、自然と集まる場所ではない。幽霊は成仏をするために三途の川を渡り閻魔に罪を言い渡されるが、白玉楼にいる幽霊はある意味自縛霊といえるだろう。

「ちょっとまってください。なぜ私が幽霊が住まう場所で過ごさなければいけないのですか? 理由がわかりません」

「いったでしょ。うちじゃあなたを生かしておける蓄えがないって」

「そうじゃなくて、なぜ幽霊のいないところではいけないんですか。確か人が住まうところもあったはずです」

 どこでそんな情報を手に入れたんだか。

「確かにあります。霊夢の場所以外にも咲夜のいる紅魔館、魔理沙の住んでいるところも一軒家です。あとは香霖堂といったところでしょうが」

「私はパスよ。人間は館に入れないのが私の規則、もっとも妖怪になりたいのなら別ですけど」

「私のうちもダメだぜ。人だろうと幽霊だろうと置けるほど余裕はないところでな」

「それじゃ香霖堂というところは―――っ」

 食いつかんばかりに顔を寄せてくる未来を見つめながらも、至極普通に霊夢は回答を与えた。

「あそこはダメね。人間じゃないとご法度」

「私は人間ですっ!」

「未来さん落ち着いてください。声を荒げても事実は変わりません」

「何が事実ですか、私が人間じゃないことが? 冗談じゃないですよ!」

 肩で息をする未来はもう興奮を隠せないでいる。霊夢が言ったことに対して腹を立てたこともさることながら、それ以上に受け入れてくれる場所がないことに激昂しているようだ。

 何とか落ち着かせないと話が進まない。だからどうにかして未来を落ち着かせるための言葉を頭の中で検索する。

 そのときだ。

「―――わかってるじゃない。冗談でもなんでもなく、あなたはもう人間じゃないのよ」

 台所から戻ってきた咲夜が霊夢の後ろを通り過ぎた。彼女の向かう先は古ぼけた木でできている箪笥、その上には小さな手鏡がある。

「いえ、元人間といったほうがいいかしら?」

 足音はない。静かに足を進めながら手を伸ばし手鏡を取り、自分の顔を覗き込んでいる。髪の毛を整えたと思いきや、ふと顔だけをこちらに向けて鏡を未来に対して向けた。

「みてみなさい。自分の姿が映っているかどうか、それが真実なんですから」

 §§§

 突きつけられた事実は重く、私の肩にのしかかってきた。

 なんと表現すればいいだろうか。私自身死んだことの後を考えたことがなかったので、あなたは既に死んでいるといわれてもまったくと言っていいほど実感がない。むしろ私の心臓は今でも鼓動を続けているし、疲れを感じることだってできる。生としての実感があるというのにどうやって死を体感しろというのだろうか。

 手鏡は私に対して向けられている。鏡の中にはテーブルにおかれたお茶と畳が見え、他は何もない。対称の位置がづれているのだろう、そうとしか思わなかった。

 だから私は立ち上がり手鏡を取ろうとした。

 何の疑問もなく、それが偽りだということを自ら証明したいから。

 メイドの格好をした咲夜といっただろうか。その人から鏡を取り覗き込む。映っているのは茶色の天井だけで、肝心なものが映っていない。

 ――――私がいない?

 もう一度良く見る。だが何度見直しても、自分がいるところだけすっぽりと抜け落ちたような気持ちだ。

「……随分手の込んだトリックですね」

 不安とかそんなんじゃない。ただそう見えるだけだ。コーティング剤を使って恐らく暗色しか見えないようにしているのだろう。

 そうと思えばこんなことは不思議でもなんでもない。ただの子供だましだ。

「これを見たからって本当に自分が死んだなんてわかりませんよ。映ってないなんて今時普通ですから」

「あらそう? 残念だわ。もう少し驚いてくれるかと思ったんですけれど」

「いい加減にしてください。幽霊を信じないとは言いませんが私が幽霊になっている証拠がまったくないじゃないですかっ!」

 だけどこの人はこんなにも冷静な顔をして、

「それじゃ、あなたの胸から出ている手は一体どうやってかしら?」

「えっ……?」

 私に当然という死を突きつけた。

 胸部の辺りから真一直線に突き出た手、それは決して私の手ではなく、だが咲夜の手でもない。

 後ろから先程まで薪を運んでいた魔理沙という女の手が、深々と私の胴体を突き破っていたのだ。

「――――いゃ!」

「おっと、動かないほうがいいぜ? 気分が悪くなるらしいからな」

 そんなことを言っていられるほどの余裕などもうどこにもなかった。

 恐怖に煽られた私の心が早く現実を元に戻そうと暴れだし、忠告も聞かぬままに身を捩って手を這いずりだそうとする。次の瞬間私は猛烈に体内をぐちゃぐちゃにされたような嫌悪感を感じて意識が朦朧とする。そして、

「うっ、げぇぇぇっ………!」

「あらあら、仕方ありませんわね」

吐く。吐いて、吐いて、とにかく吐いた。

目の前に洗面器を出されても驚かない、背中を叩かれているのもそれほど気にもならない。

それ以上に私の胸から手が出て、そしてなにより体が透けて見えてしまったのが恐怖だった。

おかしいものだ。生きる理由を失って声を頼りに彷徨ってみれば連れてこられたのは得体の知れない山奥。前を見ても後ろを見ても木々と暗闇だけがあり、聞こえてくるのは野鳥の声。どこを歩いても出口はなく、ただ当てもなく歩くだけ。そして待ち受けるのは死か。

それもいいとあの時は思った。どうせ意味もない世界に私がいる必要もない。それならいっそのこと死んでしまったほうがどれほど楽なことだろうか。

だから私は歩くのを止めてしまった。背もたれにした木が唸り声を上げるまでは。

正直なことを言ってしまえば、死に対する恐怖はさほどなかった。それは本当のことだ。

だが、まるで非現実的な世界が、鞭のように撓らせている枝や、木の皮が剥がれていくその中で私を見ていただろう目が、普通に死ぬ人たちのイメージをはるかに上回った。

手を伸ばし、腰を掴んで持ち上げて、腹からは臓物を垂れ流しながら呻くも死にはせず、血の匂いをかぎつけた野鳥が我先にと群がり地上には妖怪どもの群ができる。

ずっと痛いと思いながら死ぬことのできない自分を先見的にイメージした私には、それが死という恐怖よりも上位に来てしまった。その時点で私は死ぬことを諦めてしまったのだから。

「っげぇ、うぅぷ……。っはぁっはぁ……」

 情けない話だ。既に死を覚悟した私が、今では死を認めようとしていないんだから。けどそうだとすれば今の私は一体なに? 幽霊とでもいうの?

 それこそ非現実的だ。幽霊というのは魂の器が破損して現世に留まれないとき、初めて魂だけが元の形の似せて作る云わばイメージ。人が触れるどころか見えることもできないはずなのに、この四人は完璧に見えている。

 矛盾。だからこそ私は幽霊でないとはっきり言える。でもそれならさっきのは一体なんだというの?

「言っておくが、さっきのはトリックでもなんでもないぜ」

 反論しようにも胃の中のものが逆流し、できないで終わる。

「未来さん、今あなたはこう思っているでしょうね。なぜ自分の体に腕が通るのか、そして自分が幽霊ならなぜ周りの人たちは見え、そして触れるのか。その有り得ない矛盾こそが幽霊でないという証明だとも思っているでしょうね」

「な、なら…………」

「では逆に問いますが、なぜ人間は幽霊を触れないんですか?」

 それは…、

「こう思っていませんか? 幽霊は先見的な人のイメージで、イメージだからこそ見ることができない。触れもしない。それこそが幽霊の幽霊たらしめる理由だと」

「……そう、だけど」

「人という器にも、魂が存在するというのに?」

「…………あっ」

 そうか、魂は器に入り全身へ溶け込むんだから、見えなかったり触れないほうがおかしいのか。

 確かにそれなら私に触れるという理屈はわかった。けどそれなら、

「それなら、さっきの手は……」

「器と魂が離別した直後というのは存在が強いなのさ」

 声の主は先ほど手で私の胸を貫いた魔法使いだった。

「急激な肉体の損傷は魂にも影響を及ぼす。例えば火事が起こった場所で死んだ魂は火事の熱さで器が焼かれ、その痛みが直接魂にも響いたりするんだ。未来の場合は何らかの原因で肉体と魂が離れて、知らずのうちに死んだ。死んだ魂は当然触れもするが、存在を強めないと通り抜けたりもする。手を体内に入れたときに急激な嘔吐感は、前の器がまだあると思って引き起こしたショックだろう」

 有り得ないということ自体が、ここでは有り得ない。

「自分の頭で幽霊かもしれないという疑念ができた。今度はさっきより気分が悪いわけじゃないと思うが、どうだ?」

 そういって再び私の胸に手を潜り込ませてくる。先程のように嫌悪感はまだあるものの、確かに幾分気持ちも和らいでいるようだ。

「どうだ、これで自分が死んでいるって事くらいは認める気になったか?」

「っ!」

 認めたくない。だってそうだろう、だれだって自分がいきなり死んでると言われてそう簡単に認められるだろうか。

 突然の死、非科学的なトリックに妖怪。

 夢とは思えないほどの気分と熱が私を支配し、そして本当の自分を見つけるために必要なことを考える。

 女性が私の周りに四人、この人達が全て不可思議なトリックを使うとしたらまだ説明はつく。なら自分自ら自分の生死を証明すればそれが真実。

だから、走った。

彼女達が私を捕まえることのできない速さで、テーブルの上においてある果物ナイフを手にとって。

「ここで私がナイフを心臓に刺せば、生きてるかどうかなんてすぐ判るじゃない…?」

 空気が一層重くなった気がする。震える右手でナイフを逆手に持ち、心臓の前で止める。ただそれだけの行為に、私の心はもう破裂寸前の風船のようだ。

 呼吸ができないほどの緊張感が、普通の学生だった私には場違いに私の体を縛り付けた。

 その姿を見ている紅白の巫女が、先ほどとはうって変わって冷たい表情をしてこちらに問いかけた。

「―――――正気?」

 問いかけてくる言葉すら煩わしいのは恐らく興奮しているからだろう。普通に聞けばなんて事はない一言なのに、今の私には余計癪に障る一言でしかない。

「はっ……、もともと私は死にに来たようなものよ。今更自分の命で証明することなんて苦でもなんでもないわ!」

「ナイフなんて誰がテーブルに置いたんだ?」

「先ほどの水羊羹を切った時にですね。きったのは霊夢ですが」

「ナイフは咲夜のよ」

「何でもかんでも私のせいにされても困りますわ…」

 はぁ、っとため息を吐いて霊夢が私の目を見た。

 どう形容すればいいだろうか、それはまるで呆れというよりも、全てこうなることを知っていたかのようなそういった表情を彼女はしていた。

「好きにすればいいわ。それで気が済むならいいじゃない、遠慮なくやってみなさいよ」

「ばっ、馬鹿にしないでよね! 本気じゃないと思ってるんでしょ。今更死ぬくらいで怖いとか言ってたら、妖怪と向かい合った瞬間にもう動けなくなってるわよ!」

「自分で言っていること判っているわよね? なら止めないわ、だって本気なんだし。制止させようとしてこちらが怪我したら嫌だし」

「あら、お茶がなくなってしまいましたわ。代わりのお茶は……」

「私も一杯頂くぜ」

「――――っっ! 馬鹿にして……」

「馬鹿になんて誰もしていないわ。だってみんなそれで死なないことわかってるんですもの」

 それにね、と静かに霊夢は私を前に立ち上がる。

「本当に死を覚悟した人はね、言葉を口に発しない。そうすることで自分がまだ誰かに縋っていると思って、死を思い留まらせてしまうから。だからねぇ、逆にあなたに聞くわ。何故、私たちに向かって宣言するの?」

腕を組み、冷笑を浮かべて霊夢は言う。まさに自分達の言っていることが真実とでもいわんばかりに、はっきりと私に告げたのだ。

 お前のやっていることは間違っている。無駄にがんばるならがんばってみなさいと。

カチカチ、カチカチと音が鳴る。それが自分の歯が鳴らしている音だと気がついたのはそれからどれほど立ってからだろうか。

「うぅ……」

 右手の震えを左手で止める。左手も震えてくるから脇を締めた。だからもう震えはない。

 目を閉じる。全ての感覚をシャットダウンして心を落ち着ける。恐怖心をとにかく和らげるようにして、機械の様に動けばいい。今更死を怖がるな。

 頭ではわかってる。が、それ以上に体がいうことを利いてくれない。

 ちくしょう、私はこんな程度なのか……。

 ちがう!

「私は……っ」

 そう、私よ、勇気を振り絞れ! 本当の死に向かって証明するんだ!

「私はっ、――――死んでなんかいない!」

 両手が動き出す。

  §§§

 部屋の中で大気が揺るいだ。

 それは風、場の雰囲気も、まさに空気を読まない風が私たちの間を通り抜けていく。

 ……心地良い。

そう思えるのは肌に触れる風の温もりか、それとも外に広がる殺伐とした暗雲の香りか、私自身どちらなのか判らないでいる。

 しかしそれでいいと思う。それは本来あるべき幻想卿の形なのだし、平和だという普通なことが逆におかしいのだから。

 だからこれは喜ばなくてはならない。

 が、同時にこの事態を収拾しなくてはならない。

 それでもいいと思う。私はどんちゃん騒ぎが好きだし、かといって研究には静かに没頭していたい。それを得体も知れないどこぞの妖怪に騒がれ、邪魔されたものでは何もできやしない。

 私は私の邪魔をするものを排除する。それが昨日友人であったものであっても、全力で行く。

 だからこそこの事件の真相を知りたかった。

 一縷の妖気の乱れ、人間達に気がつかない理由、瘴気の渦に―――、未来。

 余りにもできすぎた配役が、しかも同時期に放り込まれるのはつまりそういうこと。

 ……犯人がいるってわけか。

 そう思って私は視線を部屋の中に戻す。

 畳に落ちている木製のナイフと勾玉のアクセサリーを拾い上げる。先ほど握り締めていた未来が落としたものだ。

 刺した瞬間の顔はなかなかだった。嬉しいような安心を混ぜた、だが同時に絶望の谷に落ちた。そういった表情。

 自分自身のプレッシャーに負けたのか、未来は駆け出していった。それも神社の周りを囲っている結界の外にだ。

 止める間もない。いや、寧ろ止める理由がなかったといったほうがいい。

 止めたところで未来には既に肉体はないのだから。

 ナイフの柄に僅かな温もりがある。連鎖的な肉体と霊体にある未来のイメージが、熱を生み出したのだろう。

 面白いな。

 フッと笑みを浮かべてしまう。ここ最近研究ばかりだったからまったく運動していない身体が、早く運動させろと狂喜乱舞の悲鳴を上げている。

「行っちまったな。どうすんだあれ?」

 白々しく後ろにいる三人に問いかけた。

 私はもう決まっている。こうなることを予測して未来を外に流させた一連の流れ、未来がこれからどうするか予測がついているのだろう奴らも、既に準備ができあがってますといったところだ。

「決まってるじゃない。釣りは魚が食いつくまで見張りながら待つものよ。」

「今外に出られたら後々大変ですし、早めに連れ戻さないとまずいですしね」

霊夢は神社裏の蔵に荷物をとりに行き、妖夢は日本の刀を背と腰に納める。

 帽子と箒を手に取りいつもの位置に収める。身体からアドレナリンが噴出してきているからか、妙に軽い感じがする。

「咲夜は行かないのか?」

 ふと疑問に思いメイドに問いかけた。

「私は皆さんと違って忙しいもので。今回は三人にお譲りしますわ」

「どこへ?」

「私用でちょっと散歩に」

「私用で散歩か。大変だな」

 自分で言ってなんだが何が大変なんだろう。とりあえず大変なのだから大変でいいと私は強引に飲み込んだ。

「それじゃあ、また後で」

 そういってまずは妖夢が空へ飛び立っていく。

「私も失礼しますわ」

 続いて咲夜が歩いて森の中へと消えていった。

 残されたのは私と霊夢の二人、いつもの二人といえばその通りか。

「あら? そういうあなたも珍しいじゃない。先に行かないなんて」

 霊夢の言う事も尤もだ。

 獲物は早い者勝ち。もちろん間に合えば手伝うこともあれば、邪魔をすることだってある。

 しかしそれはともかくとして、私個人の興味が霊夢に向いていただけのことだ。

「何、いつも勘で事件を解決しちまう巫女さんと、たまには歩を合わせようかなと思っただけだぜ」

「なに言ってるんだか。そんなこといって人の獲物を横取りするつもりなんでしょ」

「勘違いするなって、敵が見境なく攻撃してきたら自己防衛のためだ」

「聞こえはいいけどねぇ」

 苦笑。

「………で、本音は?」

「――――霊夢といると無駄な会話ができないから困るぜ」

「無駄なことは贅肉よ。私はスマートでいたいの」

「おぉ? なんならスマートな技を教えてやろうか? 幻想卿一、パワーのある直線的な弾幕だけどな」

「いらないわ。間に合ってる」

「残念だぜ」

「それで?」

 手に持ったアクセサリーを霊夢に投げつける。少し怪訝な顔をした霊夢だが、勾玉の形を見た瞬間、あぁやはりそうかといった顔をされた。

 仮説を口にしていいものか、ちょっと躊躇う。

 この仮説をいえば、それはすなわちとんでもないものと戦うことを示しているからだ。

「お前は何も感じなかったのか?」

「だから何がよ、はっきり言わないと判らないわ」

「未来だよ。いくら幽体だからって、体を完全に模写できるほどのイメージなんでできるわけないだろ?」

「できるかもしれないわね。別な意味で捉えれば」

「それにあいつは神社に駆け込んだとき何て言ったか覚えているか? 妖怪に殺されるってな。あいつは私達のことを妖怪じゃないように見えていたわけだぜ」

「見えなくもないわね。別な意味含めなくてもだけど」

「瘴気が現れたと同時に未来が現れたのはもしかしたら……」

「―――未来自身に何かが取り憑いていたのかもね」

 はぁ、とため息をついたのは霊夢だ。

 腰に手を当てて「何を今更」な顔をしながら頭を震わせている。

「おぉ? その顔じゃもう何が敵かわかっているみたいだな」

「当たり前でしょ。あそこまであからさまな仕込みをされたら魔理沙だって気がつくわよ」

「なんかひどいぜ……」

「にしても、………厄介ね」

 髪留めのリボンを弄りながらどことなく呟いた。

 同時に雷鳴が響く。

「広がっている瘴気のお陰で妖怪たちは興奮しているだろうし、きっと襲ってくる。そうなれば私だって手加減にも限界があるからなぁ」

「大丈夫だろ。霊夢の攻撃は常に全力以下だぜ」

「遠まわしに馬鹿にしてるわよね?」

「なんのことだか」

 同時に二人の足が地面から離れる。

 半瞬の時を置いて私たちは空を翔けた。

 朝日は無い。光もない。あるのは暗闇に染まった世界、子供の遊びとは違う生死をかけた世界。

 普段とはまったく違う風を受けて、私と霊夢は同時にこう言った。

「八つ頭だと、割り切れないわね」

 §§§

 パタパタと音をなびかせながら飛行する一人の人間がいる。

 右手後方には白い靄。人間との差を着かず離れずの距離を保ちながら、どこまでも続いている森を下にして。

 飛んでいるのは刀を二本差した少女だ。

 短く纏めた銀髪を揺らめかせて、唯ひたすら前を行く。その方向に目的の存在があることを知っているかの如く。

 暗い世界を白き刃が駆け抜ける。

 まるで目印は自分と誇示するように、そして取り囲む瘴気たちを挑発するように。

「……もし走ったとすれば、このあたりだと思うのですが」

 呟きが空気に溶け込んでいく。滞在する冷度の大気は少女の肌を容赦なく突き刺していく。

 だがそれを気にもせず少女は下を見る。その先にいる目的の女の子、未来を探すために。

 二度三度、辺りを見回し唸る。

 ……おかしいですね。

 周囲の異変以外の何かを即座に察知する。それは剣を持った少女ならではの気配の探りから来る異変だ。

 確かに普段通らない道ではある。それこそ今の状況では異様なまでの妖気と瘴気がそこら中に広がっており、人を探すに当たっては見つけにくい。それに未来を餌と考えているような奴らがいれば、それこそ身も蓋もないことになる。

 それを事前に考慮していた少女、妖夢にとって先ほどから腑に落ちない。

 何故、妖怪の声がしない?

 ここまで通ってきた道のりで妖怪の声がしないことは、まずあり得ない話だ。

 周囲の鳥や獣達もいるはずだし、鳴き声一つ耳に入ってきても普通だと思っていた。

 それがどうだろうか。鳴き声はおろか草木が擦れる音もしないとは。

「妖怪全部が大移動した? それにしては妖気が漏れ出ていないし……」

 呟き想像を働かせてみる。妖怪の声がしない理由、未来の所在。

 妖怪の声がしないのは上級の妖怪が低級妖怪を取り込んだからだろう。上級妖怪は力をつけるため、低級妖怪を食べることで妖気を吸収する性質がある。

 もっともそれを察知して低級妖怪が逃げるということも考慮できる。その場合は散り散りになってしまうため、他のテリトリーの中で大きな騒ぎが起こる。

 しかし野鳥達がいなくなるほどの上級妖怪とは一体どういう類だろう。その疑問は、少女の知識では計り知れないところだ。もし仮にそういった妖怪がいたとしても、出会ってしまったらやるしかない。幻想卿とはそういうところだ。

 それじゃ、未来は今どこにいるのだろう。今頃声を潜めて森に身を隠し、怯えているのだろうか。

 ………それじゃ非常に見つけにくいですね。

 その場合上空からでは木が邪魔して見えなくなったりする。そこまで着たらもう泥沼だ。地上に降りて地道に探すほか無い。

 しかし、先ほどの瘴気は一体なんなんでしょう…。

 未来を探しながら少女、妖夢はその疑問に至る。妖気を隠していたものが、急激に結界にさえぎられて突破できなかった。そう考えれば妥当だろうか。

 だが瘴気が現れた次にきたのは幽体化した未来だ。その後に続いた童子も至って普通だったし、その後にすぐ瘴気は消えてしまった。

 ……瘴気の正体に追われていた?

 その可能性も低い。あそこまで強い瘴気を放つ妖怪が未来を神社の中に逃すほど馬鹿ではないだろう。それに今言ったではないか。童子は至って普通だったと。

 なら……。そう思って一つの仮説に辿りついた瞬間、妖夢は自分の迂闊さに気がついた。

 視界が一気に暗を増し、視力を奪い去る。

 直感だけで上空を見る。その先に空はなく、聳え立つ巨大な山があった。


戻ります? 進みます?