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 学校の授業を終えて、私は自宅へと帰ってきた。
 ポケットに入っている鍵を取り出して扉のロックを解除する。カチャンという機械音を鳴らしてドアノブが回るようになり、家の中の空気がお帰りなさいと私を迎え入れた。
 初めに断っておくが私は掃除が嫌いなわけではない。整理整頓はするほうだと思うし、掃除もきちんとしているつもりだ。料理も自分で作るようにしているし、バイトとかでできなかったらその時はコンビニ弁当で済ませるときもある。
 まぁ、何が言いたいかというと。部屋から出てくる匂いが独特のものでして。

「……こりゃ掃除しないとダメかしらね」

 玄関に入る。靴を脱いで入ったところには、先月読んだ空の気圧と天候の変化についての資料と参考書。腰の高さまで重ねられたそれが二つ並べられて鎮座している。
 玄関を右に曲がって広間にくる。まず見えてくるのはきちんと並べられた本棚が四つ、中には整頓されている本の数々だ。
 機構学、生物学、倫理学に魔術教本、裁縫のやり方から料理の本まで、それはそれで各種分別されて本棚に収納されている。問題はその本棚の前に重ねられている分厚い本の山だ。
 どれくらいあるだろうか。本の間にはレポート用紙が挟まれて、所狭しと並べられている。単に身長より高いやつもあれば、天井まで届いて柱代わりになっているようなものまである。ちょっと自分に驚いたのはいうまでもない。
 キッチンの前も同様、足の踏み場もないのはこういうことを言うのだろうか。最低限デスクの前までの道のりと、コタツの周囲は本が少ないが、いくらなんでもこの数は自重したほうがいいかもしれない。
 改めて惨状を見つめなおしてからどうしようか悩む。教本などの本は参考文献としてとっておきたいものだ。あまり手放したくない。かといってこのままでは地震が起こったらひとたまりもないだろう。そうなってからでは遅い。
 ならどうするか。

「本棚でもまた増やすかなぁ……」

 でもスペースがなどと言っている間にも現実から目を背けたくなるのに、情けないと思う自分がいる。本を置く場所がないならどこか図書館にでも寄付するか? かといって貸出とかされたら見たいときに見れないし、第一寄付できるかどうかもわからない。
 結局のところ現状維持で通してしまう自分に、少し凹む。
 っと、そうだった。バイトにいく準備をしないと。そう思ってカバンを自室の回転椅子の上に乗せ、タンスを開く。
 そこには別の人形がもう一体あった。腰まで伸びているエメラルドグリーンの髪、赤紫のワンピースで目こそ開いていないが、割と可愛げのある人形だ。
 それを簡単に一瞥してバイトの制服を探す。今日は予定だったもう一人の子が来れないから、きっと遅くまでやるだろう。そうであれば早めに夕食の調達とかをしなければならない。
 パッと引き出した制服をすぐに紙袋に入れて、タンスを閉めた。はみ出している下着が若干だらしないが、直すのも面倒なのでそのままにしておいた。
 あー、確かに人形とかが動けば片付けの手伝いとかしてもらえるのにな……。
 くだらない妄想もほどほどにして、私は再び玄関へと駆けて行った。今思えば、あんなことになろうとはこの時誰が予想できただろうか。それを思うとこれは、神様の私へのプレゼントじゃないかと思えたりもする。
 
 日常から非日常へ。私アリス・マーガトロイドの退屈な日常は、早くも崩れ去っていくのだった。


 バイト先の料理店「紅龍」は中華を主に取り扱っている。
 創業十余年、地元の料理屋としては年季の入った店構えに、結構なリピーターも少なくない。
 この店の主人との出会いは、まぁそれなりにインパクトのあったものだった。学校の帰りにウォークマンで音楽を聴きながら自宅へ帰っていると道路の真ん中で倒れている人、その人だったのだから。
 幸い道路に車の影もなく、小柄ということもあって私の力でも助けることはできた。どうやら足を挫いたようで、足首の部分を何度も擦りながら困り果てていたところを、暇な――果たして暇だったかどうかは今では記憶にないが――私が自転車の後ろに乗っけて店まで送って行ったことだ。
 店の中には奥さんらしき人がいて、後ろに乗っていたおじさんを見たと同時に駆け出してきてくれた。これで御役御免かと思ったが、どうも相手側がご飯をご馳走したいとの申し出がきてしまい、渋々承諾してしまうことになる。
 当時バイトも何もしていなかった私には、一日の食事量をそれなりに制限していた。その反動もあって、本来断るべきであろう場面も仕方なく、これはもう人間の本能といっていいほどに仕方なくご馳走を頂いたわけだ。
 店主であった自分の旦那さんが怪我をしたため、その日は早めの休業。奥さんと私はそんなことから私と仲良くなり、私の身の振りを見てバイトを勧めてくれた。それが今に到る。
 バイトの制服は単純なものだ。汚れてもいい格好に白のエプロン、三角頭巾こそはないが、周りの髪を気にして私はよく頭巾を被っている。
 奥さんのことを今は結さん、店主を祐さんと呼んでいる。隼人さんはこの頭巾のことを可愛いといってくれるが、どうだろう。私には金髪に三角頭巾という格好がミスマッチであまり似合っていない気がする。
 テーブルは四人席が四つ、カウンターが三つと少ないが、元々大勢を嫌う祐さんが増設するのを嫌がって増やさないらしい。それでも結構な人が来るので、改装をしようかどうかを悩んでいるというのだからわからないものだ。
 配置は主に私が注文受付、結さんが料理兼配膳、旦那さんが料理全般を任されている。多いときは人手が欲しいほどカウンターとテーブルを往復するが、忙しくない時はテーブルに座りながらテレビや新聞を見ている程度だ。この辺りは時間にもよる。
 今日はどうやら少ないほうで、テーブルに二組のお客さんがいるだけで後は暇だ。厨房に引っ込み、何か暇つぶしはないかと頭で今度作る人形のイメージをしていたところに、結さんが声をかけてきた。
「あらアリスちゃん、暇になったの?」
「はい。注文はあらかた受け取ったので、後は掃除をするくらいです」
 三十路くらいだろうか。正直二十歳でこの店を開業したという祐さんの一言は信じられないが、結さんの皺のない顔を見ていると、それも有り得なくないと思えてくる。一体どういう経緯で開いたのか以前聞いたが、秘密と一蹴されたのを覚えている。
「それならもう今日は帰りなさい。最近じゃここも物騒になってきて、女の子一人じゃ帰るのも危ないんだから」
「えっ、でもまだ時間が……」
 そういって時計を振り返ると、夜の十時を過ぎるかどうかといった頃だ。仕事の時間は十一時までに対して、一時間も早く上がるのは申し訳ない。
「いいのよ、テレビ見ていないの?」
 ほらっと結さんが指差した方向はテレビの画面だ。そこには一昨日十代ばかりの女性を狙う連続通り魔事件の特集が出されており、町への人々にリポーターが危険を呼びかけているところだった。
 ここ紫市は県の端っこのほうにあるところで、大都会のような場所よりは比較的平和な町だ。それをつけ込んでかどうかは判らないが、悪質な通り魔が後を絶たないらしい。
「アリスちゃんは人形みたいに可愛い子だからねぇ。私は心配よ、狙われるんじゃないかって」
「そんな、大げさです結さん…」
 ほんとうに、大げさだ。
「そんなことないわよ、ねぇあなた? アリスちゃん可愛いわよねぇ」
 その一言に祐さんは反応して首を縦に振る。喋れないわけではないが、単に寡黙というだけといったほうが適切だろう。
 二人に言われて私自身も少し恥ずかしいような、それでいて嬉しいような気分に浸る。言ってくれることに悪い気はしないが、本人を目の前にして少し自重して欲しい。
「なに、こういうときはさっさと彼氏の一人くらい見繕って傍においておけばいいのよ。男避けになるんだから。昔は私もそうだったわぁ……」
「は、はぁ…。そうなんですか」
 厨房で祐さんの振るう鍋から炒飯が零れたが、あえて見なかったことにしておく。
「判りました。では厨房のお皿とかを仕舞ってお先に上がらせていただきます。気苦労をかけになります」
「そんな難しい言葉なんて使わなくていいのよ。一言「お先に失礼します」って言えば、大体のところでも通じるんだし」
 クスッと小さく笑みを浮かべて私は並べられたお皿に手をかけた。


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