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 カッ、カカッ、カッカッ。
 無駄のない石灰の音が、緑黒色の板に白い文字を浮かべていく。
 紺色のスーツが黒板の前で小さく振動を繰り返しながら、左手に持った古めかしい教科書を覗き込み無表情に字を読み取っていく。
 時折落ちてくるのだろう、粉を吸い込んでしまい咽こみ、それでも字を書くのを止めないのは今時の教師にしてみれば、珍しいのかもしれない。
 左から徐々に右へ。埋まっていく黒板を何ともなく覗き込む生徒達は、到って表情に変化を見せない。それはもう静かに授業を聴くというよりは、単なる作業としての従業員のようで一切の楽しさを表面に出していなかった。
 大ホールには手の届かない位置に窓が並べられている。早朝ということも相成って、太陽の光がホール内部に入ることはまだない。それでも明るいのは、反射による空の光だろう。
 黒板に書いた字を生徒達はロボットのように模写していく。言い換えるならば、教師に操られた人形とでも言うべきか。
 自らの教え子達が静かに授業を聞いているのを満足しているのか、無精髭の映えた三十台の男は振り返り、自慢げに講義を進める。

「近年における科学の発展とは目覚しいものがある。海面の水位上昇を抑えるための環境対策、各国で起こる地震災害の対策、あげれば沢山の問題が、この地球上では起こっている」

 まるで独裁者気分を満喫しているようなそれは、一人を除いた生徒の耳に果たしてどれだけ浸透しているだろうか。

「しかし我々が積み重ねてきた科学は、振り返ればもう地球を越えた場所にまで行くことができる。今更幽霊や妖怪の類を信じるものも少なくないが、わたしから言えば彼らこそナンセンスな考えだ。見たこともない妖怪、幽霊を何故そこまで信じられる? 実際見た? どうやって? 人の想像は、時に科学を脅かすこともある」

 黒板の一部を叩きながら、男はなおも続けた。

「しかしそのどれも科学の前では屈してきた。発火現象や人魂、妖怪の存在など合成したという事実が既に明確となりつつある。我々人類の前では、伝説は所詮伝説でしかないのを諸君らには覚えて欲しい。では教科書の――――」

 そういって男は教科書を再び捲りだし、文字を書いた黒板を上に持ち上げる。すると何も描かれていない二枚目の黒板が、そこに現れた。
 どうやらフックのようなもので二枚の黒板が繋がれているらしい。書き始めた字を別に気にすることもなく、周りもそれに合わせてまた書き写していく。
 そしてまた静寂がホールを包み込んだ。

「先生、質問なんですが」

 ふと、その声が音のない世界に響く。シャープな声はまだ肌寒いこの空気に、酷く似合っていた。
 視線が声のある方向に人形達の目線が行く。それを気にした風も見せずに、薄着の少女が立ち上がり教師を見た。

「何かね、……アリス・マーガトロイド君」
「はい。先生のおっしゃりたい事はわかりました」

 ウェーブのかかった金髪が若干揺れたのを、どれほどの人間が気がついただろう。

「先生は魔術というものをご存知ですか?」
「魔術、ね。非科学的な存在としか認識していないが、それがどうしたのかな」
 
 くだらないと思う質問にあくまで平静を装った顔で男は問いを返した。その表情を見て、アリスはやはりといった顔でそのくだらない質問に答えをぶつけた。

「魔術は科学の先行した言わば科学の最先端です。それは人体のメカニズム、自然に広がっている流れや熱の分子配列。それら全ての知識が与えられ、これを非科学的な方法として現代では扱われているようですが、れっきとした科学の一つです。わたしが問いたいのは先生がこれから講義される内容に、魔術について語られることがあるかどうかを問いたいのですが―――」
「魔術は科学ではない」

 にべもなく男は少女の言葉を完全否定した。

「魔術なんていうものは西洋の女性を魔女として喩えられた、その付属品に過ぎん。仮に科学の最先端だったとして、何故表現を魔術として変える必要があるかね。魔術なんていうくだらないものを学びたければ、アメリカにでも留学するんだな」

 一切の言葉を否定された少女に落胆の表情はない。これもいつもの事と言わんばかりに人形の付いたカバンに荷物をまとめ、静寂に包まれているホールをこれもいつものようにでていく。
 その背中を無数の白い眼が刺していることに少女は気付いているだろうか。あぁそうだとまるで今思い出したかのように、本当の人形のような表情で教師の横にある洗面器を指しながら忠告した。

「その洗面器についている蛇口、あけないほうが良いですよ」
 
 そういってアリスはホールの外へと出て行った。
 教師の顔に再び先ほどの表情が戻る。自分の異論が、少女の質問に勝ったことで自信がついたのだろう、手についたチョークの粉を洗おうとして、洗面器の蛇口を捻った。

「!」

 突如大きな破裂音とともに教師の身体が黒板に叩きつけられた。何事かと思い蛇口をみると、凍った水で水道管が固まり、捻ったことにより圧縮された水道管が破裂、水が噴出したのだ。
 爆発した水が教師の体全体を包み、教材もろともずぶ濡れになった。驚いた生徒達も、一体何が起こったのかと現実を把握し切れていないようだ。

 
 それは人間社会で生きるアリスの、ある冬の出来事だった。


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