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湖面が太陽の光を反射して、私たちを照らし出している。
いつものようにどこ吹く風が、私たちと水面と野原を駆け抜け、またどこかへ過ぎ去っていく。友達もこの風を気に入っているようだ。
飛行速度を緩めて高度を下げると、水面から水しぶきが吹き荒れる。
気持ちいい。頬に当たる水の冷たさが表現を奪い去るように。
あははは、とつい笑ってしまう。こんなにも気持ちのいい冬が来たのだ、少しくらい惚けていても罰は当たらないだろう。
水面に今度は足の裏を合わせてみる。小さな波が、歩くのと同時に広がっていく。
どこまで行くのかなと思う。
これだけ広い湖なのだ。波はどんどん広がっていき、行き着いた先の壁からまた波が戻ってくるようなことがあれば、こちらでまた波を作って反射させて、どんどん大きくしていければいいのにと思ったりする。
どんなにそれが些細なことでも私は面白く思う。小さなことでも大きいことでも、楽しいことには変わりないのだから。楽しかったら楽しまないと損だ。
腕を広げて、全身で風と光を浴びてみる。
ふわふわと暖かい空気と、そよそよと冷ややかな空気が入り混じってなんだか変な気分だ。
あははは、と再び笑ってしまう。こんなにも楽しい事が世の中にあるのに、どうして他のみんなはわからないのかな。ちょっと伸ばせば届くのに、それをしないなんてもったいないな。
上を見ると水と同じくらい澄んでいる色が一面を覆っていた。
空色、少し混じった黄金色に、思わず眼を細めてしまう。
一色だけの世界、空の色に私は溶け込みたくて、自然と寝そべる形で空を浮遊してみる。
眼を閉じて耳を澄ますと、今度は野鳥の声、魚の跳ねる水の滴り、草木のこすれるざわめき。
これが、世界が感じていることなんだ。
少し感動する。自然のままにあるこの幻想卿が、いつまでも続けばいいのにと思えるほどに。
今度は苦笑してしまう。自分は妖精の立場だ。妖怪がこんなことを思うことがあるんだろうかと。
あり得ない。いやだからこそ、この幻想卿ではあり得る事なのかもしれないかな。
妖怪にもたくさんの変わり者がいる。少なくとも私の周りには、冬にくる妖怪を待ちわびる妖精もいるし、季節限定なく今を楽しむ妖怪だっている。
そんな人、でなくて妖怪を見ていると、私の心も笑顔になる。
ほら、妖怪でも妖精でも今を楽しめている。そう結論付けるとなんだかこの世界全部が楽しく感じることができた。
「――――あれ?」
北の空に、不思議と浮かぶ黒い雲があった。
雨かな。こんなにも晴れているのに、雨が降ってきたら濡れるのは嫌だなぁ。雨宿りする場所を探さないと。
けど、不思議とその雲から目が離せないのは何故なんだろう。こんなにも平和な世界に、一つだけ広がっている暗雲は私たちに雨を降らせてしまうんだろうか。
嫌だな、と思う私がいる。同時にそれもいいかと思っている。
これだけ平和な世界なんだ。少しくらいの荒波なら適度に起こったほうが刺激的だし、それに退屈もまぎれる。
なんだかんだ言って平和は退屈なのだ。静かに日常が過ぎ去ってまた当たり前の日常がくる。そんな繰り返しをここでは常日頃。
それじゃ普段の生活でもだらけるのは当たり前だろう。
あれ? さっき私は静かな日常が好きだったのに、今はスリルを求めている。
静かを求めて騒がしさを求めるなんて矛盾してるなぁ。と感じて、私は身体を起こした。本格的に雨から逃れる場所を探すためだ。
森はいたって静か。さっきまでいた野鳥も、今は気配を察知してか黒い雲とは逆の方向へと飛び立っていった。
湖から離れて森の中へと入っていく。小さな動物の死体が、これからの出来事を予期しているみたいで怖かった。
夕食の準備に取り掛かっているとふと妙な気配がした。
突き刺さる視線、朝の準備は基本的に私といくらかのメイドがやっているが、彼女達は私の横。ということは……。
厨房から出て目の前の窓を開く。
冬に見合った肌寒い空気と、快晴の空が私を出迎えてくれた。
その先を見つめる。気配は空の先にあるようだった。
「困りましたわ……。まだお嬢様の夕食の準備もさながらできていないというのに」
言葉は困惑、しかし表情は愉悦だ。面倒な事件ほどお嬢様は出たがるし、それを早期発見できたのは幸いだろう。
振り向き様手持ちのナイフを確かめる。
……丁度五十本、まぁこれくらいあればなんとかなるかしら。
急ぎ、しかし清楚に騒がず慌てずを保ちながら厨房へと戻る。待っていたのは二人の侍女だ。
何事かと手を休めて待っていたのは感心しないが、急に何も言わずに飛び足した私にも非はある。とりあえず何か言い訳がないかパタパタと引き出しを漁っていると、侍女の一人が声をかけてきた。
「あの、咲夜様……」
「ん、どうしたの?」
「えっと、その…ですね」
「いえですね咲夜様、侍女の鈴が愛しのメイド長とどうしたら夜をしっとり過ごせるとかいきなり言い出すものですから直接聞いたら? ってわたしがごふっ」
良い感じに恥ずかしがっている侍女の裏拳があごを捉えた。
「すっ、鈴ちゃん私まだ本心まで語っていないんだけどなぁ!」
「うるさい黙れそこで這い蹲って寝てろクソ肥溜め野郎」
「鈴ちゃん、ここ厨房……」
「はっ、すすすすいません咲夜様っ! わたしったらつい……」
ついにしては随分とドスの聞いた声だった。
顔を赤くして俯く鈴が、申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「気にしなくていいのよ、鈴。それより何かしら?」
「は、はいっ! そのえーっと、あー……そ、そうなんですっ。今日の夕食に使うお醤油が切れちゃいまして、あははは……」
「もーじれってないでこういえばいいじゃない。咲夜様、わたしと夜通しベッドでアバンチュールな世界をつくりああぁぁぁべしっ!」
まるでアニメの世界のように鈴の手が突いたと思ったら、その反動でか侍女の一人が吹っ飛んでいった。若干顔が歪んでいるように思えたが寝不足だろう、幻覚を見ているようだ。
「蘭ちゃん、余計なことを言わないで」
「――――、っぷきゅう」
「………なにか今、激しく危ない発言をしたような。気のせいかしら?」
「気のせいです、ですので気にしないでください。それよりどうされました咲夜様、急に厨房を御出になられて」
「えっ、あぁ…ちょっとね。それより夕食の準備任せていいかしら?」
構いませんが、と鈴は頷いてくれた。
「どちらに?」
行かれるのですか、とはあえて言わないのだろう。長年一緒に仕事をしてくれる知り合いはこういうときに気を使ってくれる。疚しいわけではないが、それでも隠し事をしているようでちょっと後ろ髪引かれるような思いだった。
「お醤油を買いに。それとわかってるとは思うけれど、そろそろ朝だからって部屋を出たりしちゃいけないわよ。お嬢様に見つかったら血を吸われて妖怪になってしまうから」
「わかりました。咲夜様、夕食はどちらに持っていけばよろしいでしょうか?」
そうね……、お嬢様のことだから。
「冷蔵庫に入れておいてくれれば結構ですわ。よほどのことがない限りはきっと摘み食いにくるでしょうし」
「わかりました。では摘み食いするときに遭遇しないよう迅速に夕食を作った後、冷蔵庫に保管、部屋にいます」
「お願いね、あぁそれと……」
「まだ何か……」
含み笑いを浮かべてやる。
「えぇ……、そこで寝ている子に、今月の給料は寝ている分減給と一言」
桜。
花見の象徴的な存在である桜は、元は神が宿る場所として、農民から豊作を願われた木なのだ。
そして神が辿る道は霊の波動、つまりは道標ができてしまい、動物霊や人間霊が集まりやすくなる。自らの救いを、神に求めるためだ。
死して尚も神に祈りを捧げにくる人間とは、かくも可笑しい生き物だと、私は思う。私自身も半分人間ではあるが、神に祈るほど困ってもいないし救ってほしいこともない。死んだら死んだ時にどうするかを考えればいいと思うのが私の持論だ。
「なぜこうも、人とは欲が深いのでしょうか」
ポツリと呟いた。言ったところで死霊たちに届くわけがないことを知ってはいるものの、それでもなぜか言わないと気が済まなかった。
人とはわからない。欲に限度がないから、どこまでも罪に溺れていくこともある。何故それをわかろうとしないのだろうか。
目の前の罪を背負ってまで、何の意味があるのだろうか。
「あらあら、妖夢が陰鬱な顔をしているなんて珍しいわ。桜の木でも一本散るんじゃないかしら」
「幽々子様、不吉なことを言わないでください」
後ろから声をかけてきたのは先ほど朝食を済ませた幽々子様だ。というか朝食出してからまだ五分も経っていないのは、きちんと噛んで食べたんだろうか?
謎だ。別な意味でここにも謎が残った。
「それで、どうしたのかしら?」
「何がです?」
「沈んでる理由」
「……人の欲についてです」
気恥ずかしい思いをしながら私は答えた。だってそうだろう、指南役としての立場や庭師として目下働いている私が、目上の方に相談するようなことを言っているのだ。立場上なにか問題がありありな気がする。
それを察してか高らかに笑って人の陰鬱さを煽ることをする幽々子様、まぁいつものことといえばそのままなんだが。
「人の欲ねぇ、妖夢にしたらとても深いことで悩んでいるわね」
「笑い事なんですか?」
そうねぇ、と一言間をおいて幽々子様は話し出した。
「欲はね、煮物と同じなのよ」
「煮物ですか……」
「煮物はね、煮込めば煮込むほど味が濃くなって、舌がつけられないほど煮込んでしまったらそれはおいしくないでしょう? だから煮物を作る時は、味が濃くならないように水を時々足してあげないと、その味が保てないの。人の欲求もそう。欲を深めれば深めるほど醜いものになって、手がつけられないほど大きくなった時にはもう遅い。だからそうならないように、適度に欲求を抑えるか、欲求を解消してあげればいいのよ」
「みょん……それが欲求というものなのでしょうか」
「そう。生まれながらにして持つことのできる欲求、泣くこと笑うこと、食べたいこと食べたくないこと、見たい聞きたいという全てが元々欲求からきているのよ」
「……ですが、私は泣きたいと思いませんよ」
「それは妖夢が意識して泣きたくないと思っているから。無意識で人は欲を出してしまう、どんなときでもね」
「水差し加減にも、味を深めるのにも加減が必要ってことですか」
そうよ、と満面の笑みを浮かべて幽々子様は桜を見上げた。
「桜に集まる霊はね、昔大きな罪を犯してしまった人たちなの。神様が降りてくる時に自分達の罪を少しでも軽くしてくれるよう、願い祈りを捧げるためにね。けれど神様は彼らの罪を決して軽くはしない。それは誰もが罪を背負って生きるため、罪を払い黄泉の国へ行くことを神様は決して望んでいないからよ」
「神様も何かを望む存在なのですか?」
「その通りよ。神様だってご飯を食べるし、話をするし。一人じゃ退屈でしょ?」
「はぁ、なんか急に真実味がなくなってきましたが……」
幽々子様の言ったことは確かにみょんなことだ。
確かに霊は集まってきても、それが自然と成仏するという話を聞いたこともないし、だがかといってそこにいつまでも佇む訳でもない。霊たちを現世に取り残されないように、死神が迎えに来ているのが幻想卿的な考え方か。
それなら神様は? 昔は豊作を聞き入れるために桜の木に降りたというのであれば、今はどうなんだろう?
「簡単な話よー。花見をしている人間といれば騒げるし楽しいからじゃない」
そんな簡単な神様が豊作を聞き入れてくれるんだろうか。内心疑問に思いながらも苦笑する。
幽々子様が言っている神様がいるのであれば随分いい加減な存在だと思う。はっきりした正確なのかと思ったらわりと淋しがり屋で、その癖賑わいごとはきちんと参加するあたり、誰かさんとそっくりな気もする。
「まぁいいんですけどね……」
「あっ、それより妖夢。今年は少し暖かいみたいなの、お願いね」
「はっ? 何がですか?」
「だから、寒くないの。寒くならないと雪が降らないでしょ? だから原因を突き止めて、寒い冬をくるようにして頂戴ね」
「そんな自然現象まで私の力じゃどうにもなりませんって……」
「がんばれー妖夢、その魂魄は何のためにあるのっ」
「気象を変えるためにあるわけじゃありませんっ!」