……背丈は大体二メートルはあるだろうか。
三人くらいが入れる程度の試着室に備え付けられた鏡は三つ。映るのは着替えを手伝ってくれる人と、椅子に座った私。
っと、隣で座っている子を忘れたわけではない。初めて着る服に、少し戸惑っていただけだ。
絹の色、白銀というのは可笑しな喩えかもしれないが、今私が着ている服はまさにそれだった。
重さを感じさせない肌触りに雅な光沢が申し訳程度、透明感のあるヴェールにも散りばめられた宝石が蛍光灯に反射して眩しい。
顔にもほんの少しだけ化粧をして、口紅を塗る。それだけで、なんだか自分が自分じゃない気がするのはこの服のせいだからだろうか。
けれど、不思議と嫌じゃない。
うぅん、むしろこんなにもキレイな服を着れることに、感謝したいくらいだ。
「―――あの…」
着替えを手伝ってくれる人に聞いてみた。この服は一体なんですかと。
パッと見て二十台後半の人だろうか、右脇のしわを取りながら、形のいい笑顔でその人は答えてくれた。
「ウェディングドレスですよ」
……ウェディング、…ドレス?
口の中でその言葉を反芻する。甘く、切なく、でもどこか優しく心が温まる響きで、それは何度も私の頭を駆け巡った。
名前からして行事の時に着るものなのだろう。しかもここまで入念に着なければいけないほどの大切なこと、一体どのようなことが行われるんだろうか。
「キレイな肌ですね、婿様になられる方が少し羨ましいです」
そっか、私お嫁に行くんだ。だからこんなキレイな服を……、
「って、わたしがお嫁に行くんですか!?」
驚きと興奮の二つが重なって、大きい声が口から出てしまったのは仕方ないと思う。だって私はお仕事の依頼でここに着たのに、何の前フリもなく嫁に行くということを聞かされていないからだ。
それを今言われても困るのは相手側もだろうが、ちょっと待って欲しいと言いたい。
「お静かに、折角の可愛い顔が台無しですよ」
「あ……すいません」
な、何を謝っているんだろう私は…、そうよっ、とりあえずここは組み伏せてでも断らないと。
「そのですね、わたしはまだ結婚とかそういうことは考えていなくて、この仕事を受けたのも斡旋してくれた人が楽な仕事だということを信じたわけでして」
「……えっ? 結婚?」
その言葉を聴いてお手伝いさんは控えめに笑い、「あぁ確かにそう聞こえますね」と小声で言ってきた。何か間違ったことを言っただろうか。
「いえ、結婚はしませんよ。お客様にはウェディングドレスの試着モデルというご依頼だと承っておりますから」
「……あっ、そそ、そうだったんですか。すいません変な声上げちゃって」
うわっ、おもいっっっきりはしたない声をあげちゃったよ……。わたしの馬鹿。
「いえ、そんな硬くなさらずに。もっとリラックスなさって結構ですよ」
ベテランさんなのだろうか。若いのに口調からはしっかりとした気遣いと、手は一時も休まずに服装の乱れを直している。
少し、この人のしている仕事に興味がもてた。
「この仕事に就いて、もう長いんですか?」
「えっ? あぁ、そうですね…もう五年目くらいになります」
「着付けを手伝うのはかなりの気苦労があると思うのですが……」
「そうでもないです。キレイな方を見るのは好きですし、その一つ一つに自分の手が携わっていると思うと、それだけで嬉しいですから」
本当に嬉しそうな笑顔で、彼女は言ってくれた。
実際嬉しいのだろう、気持ちが表情にでて、見ているこちらがつられて嬉しくなってしまうような顔を見せてくれた。
「あなたはモデルをなさらないんですか?」
そういうと彼女は少し困った顔を見せて、でもすぐに笑顔を取り戻して答えてくれた。
「私は、そういうのあってないみたいなんです。だからこちら側の仕事についたんです」
「……そうなんですか」
深く聞くことは躊躇われた。なんとなくそれは、その人の深い部分に障ってしまうかもしれないと思ったからだ。
なら、聞かないほうがいい。そのほうがお互いのためだろう。
「さて、大体できたと思いますけど、見た感じどうですか?」
はっと我に返って顔を上げた。
いけないいけない、今私はモデルの仕事なんだから、他人の仕事どうこう関わっていたらダメじゃない、しっかりするのよアリス。
そう思って、前を見た。
「あっ―――」
息を呑むというのはこういうことを言うのだろう。
映っていた私は、わたしじゃないような気がした。いや、わたしじゃないのかも知れない。それほどキレイな姿をした少女が、鏡の前で静かに鎮座していた。
少しだけヒールの高い靴、シンデレラとまでは行かないが、十分なほど磨かれた光る靴。
スカートから胸までを覆っている白乳色の服、選んだ時は少し控えめなほうがいいかなと思ったが、これだけでも十分なほど目立った服装だった。
七色に輝くものは本物だろうか。服のいたるところに添え付けられ、ちょっと動かすだけで色が変化していく。魔法みたいだ。
……こんなキレイな服、あいつが見たらなんていうかな。なんて思ったりして。
肘まで手袋で覆われた手先を口まで持ってくる。本当にこれがわたしなんだろうか。自分で触ってみないと実感できないほどだった。
「本当に、これがわたしなの?」
知らずに呟いてしまう。それを聞いて彼女が「えぇそうですよ」といってくれるまで、夢見心地だったのはいうまでもない。
「中身がいいと、やっぱり服も映えますね」
「そんな、わたしはそれほどでも……」
そんなことないと否定してしまう。いつもは暗い本の詰まれた部屋で一人ごそごそやっていたり、人形を弄っていたりして根暗なものだ。素材のいい人なら他にたくさんいるだろうに。
「あら? 丁度婿の着物を召された方が入ってきたみたいですね」
確かに耳を澄ましてみると、入り口付近で何か言っているような声が聞こえてきた。服がきついとか、男物の服なんて嫌だとかそういった声だ。
だらしがない、そんな小さい器では、将来お嫁に行く人の苦労が知れるというものだ。これは少し軽いお仕置きが必要かもしれない。いや実際やるべきだと頭の中で納得させる。
「ではどうぞ、キレイなお姿ですよ」
ありがとうと軽い会釈を返す。そうだ、この服後で上海人形に着せてあげよう。きっと喜ぶに違いない。肩に乗っている人形に笑顔を向けると、上海人形も笑っている気がした。わたしの姿を見て喜んでいてくれるのだろうか。
カーテンを開いてもらうとそこは広いホールだ。目の前の広場では、写真を取るための機材や照明が並んで、角度などの最終調整を行っている。
一方の婿といえば、
「なんか着心地がいつもと違うぜ……、もっとラフで黒くて帽子とかあるといいんだけどな」
「って、魔理沙じゃない!」
「おっ? アリスか。それとも幻か? キレイな服を着たアリスに似た人か」
「いや、アリスだから。幻でもなんでもないから」
ちょっと、なんでなんでこいつがこんなところにいるのよ! しかも婿で、わたしの婿として。こういう場合どういえばいいのかな、えーっとえーっと…。
「お二方、どうぞ写真を撮りますので、中央の位置まできてください」
「はいはーい、中央の位置まで行くぜ」
「え、あの、そのえーっと……わたし……」
どうしよう、心臓がバクバクいってまともな顔ができない。何とか落ち着こうとしても逆に魔理沙の顔が見えて逆効果だし、それに今着てる服が服だけに恥ずかしくて顔が熱くなっちゃうよぉ……。
「ウェディングドレスのモデルさん、いいですか?」
「あの…その………」
その時、彼女がわたしに助け舟を出してくれた。
「あ、すいません。ちょっと花を渡し忘れたので、少し待っていただけますか?」
その一言にカメラを持った人も納得したのか、魔理沙に簡単な指示を送っていた。つまるところわたしを待っているわけだが、今の状況でまともな顔を作るなんてできない。できるはずがない!
そう思ってしまうと余計ドツボにはまってしまうのがわたしの悪いところだ…。そんなわたしを見て彼女はどう思ったのか、わたしの肩を掴みながらこういってくれた。
「緊張しちゃった?」
言葉がさっきより砕けているのは、親密感を与えるためだと思う。
「はい…、ちょっと」
「そういう時はね、成りきっちゃえばいいの」
「成りきる…ですか?」
それができないからこうして緊張しちゃっているわけで。
「普段過ごしているあなた、普段過ごしている相手、衣装は違っていても、中身はお互い何も変わらないわ。だからね、婚約者に成りきるのではなくて、自分に成りきるのよ」
「自分に…、成りきる?」
うん、と言ってくれる彼女の声が、わたしに笑いかけてくれた。
「きっとあの人ならこういう、きっとわたしはこう返す。普段できていることなんだから、何も変わらないでしょ? だから、何も変わらない自分になるの。人形みたいにね」
「人形、みたいに……」
そっか、人形ならいつものように振舞えるし、言われたことをすればいい。そう思えばそれは確かにわたしの得意分野だ。
「他にもいっそのこと嬉しさをぶつけるのもありだけど、できる?」
「できませんっ」
クスっと微笑む彼女の顔が、きっとウェディングドレスに似合わないなんて嘘なんじゃないかと思った。
「ほら、花束を持って。いってらっしゃい」
「はい、がんばってきます」
そういって、わたしは婿の横に歩いていった。あくまでいつも通りのわたしとして、そして普段過ごしてきた二人の関係として。
足音は立てなかった。普段の歩きではないが、それがなんとなくいいと思ったからだ。
「おっ、今日は一段と光っているもん着ているな」
そういってちゃちゃを飛ばしてくる魔理沙を、軽くあしらってやった。
「似合ってるわよそのスーツ、胸のサイズも合っているみたいで」
ヒキッと頬を引きつらせて怒りマークを浮かべる魔理沙に、勝ったと心の中でガッツポーズをとる。
そうだ、これがあるからわたし達はわたし達でいられるんだ。二人の関係はこうでないといけない。覚えておこう。
立ち位置を少し修正されながらわたしは横を盗み見た。そこには先ほどと変わらない彼女が、わたしに向かって変わらない笑顔を見せてくれていた。
お礼を言わないとな。なんて思う。肩の力を抜いてくれて、わたしはわたしを取り戻せた。あなたのおかげですと。
「それじゃ、撮りますねー」
カメラに目線を向ける。
「いきまーす………」
わたしは今、最高の笑顔を出せただろうか。