カァ――カァ――
 カァ――カァ――

 よくもまぁ飽きずに鳴いていられるものだと俺は空を見上げた。
 照りつける灼熱の太陽。青い空。白い入道雲。
 目の前に大きな海原が広がっているのに、この上には二番目に大きな海原が広がっている。
 青。よく言えば俺も蒼。
 カッと捨て吐く。俺がこの青に負けてるか? 馬鹿いってんじゃねぇよ、俺のほうが色でいえば鮮やかだし、大きな器量がある。断然俺がトップだね。
 スゥと息を吸い、ハァと息を吐く。
 肺に流れ込む煙が心地いい。
 気分よく、釣りに集中できるってもんだ。
 ゆらゆら揺れる波にあわせて、海風が緩やかに凪ぐ。
 海風に誘われて、カモメも悠々と飛ぶ。
 ……悪くない。こういうのも、親しんだ時間の中ではなかなかに悪くない。
 垂れた釣り糸も心なしか、魚が釣れることを教えているようにも思えてくる。

 ―――喰―――

「おっと……今日の一匹目は稚魚かよ」
 残念だな。稚魚は俺の趣味じゃねぇ。
 もっと大きくなってから挑戦することだな。それまでは逃がしてやるよ。
 口元にかかった針を捻って外し、キャッチ、アンドリリース。
 手の上で暴れていた稚魚も、水の中に入った後は魚らしく、いい速さで海の色に消えていった。
 ふぅ、やれやれ。
 餌を針につけ、再び釣りを開始。
 堤防に波が打ちつける音で聞こえはしないが、ポチャンという音とともにまた思考の渦に戻ろうとして、

「釣果はどうですか」
「まぁまぁだな。たったの10分しか糸を垂らしてないことを除けば」

 そいつは俺にわかりきったことを尋ね。
 俺はそいつにわかりきったことを答えた。
 目線はそのまま海の面を見て、ただ気配だけは久しく感じる。
 気配の色とでも言おうか。トオサカの嬢ちゃんを赤と喩えるなら、こいつは赤紫のような。
 ふむ、と一言だけそいつは近くのバケツを見て真面目そうに――顔はぜってぇニヤけてんだろうが――聞く。

「なんならあなたに似合った職でも紹介しますが?」
「遠慮しておくぜ、これでも花屋と魚屋、茶店をはしごしてるんでね」
「……ほぅ、最近のサーヴァントは自主性を鍛えているのですか」
「時代が時代なんだよ。働かざるもの食うべからず、欲しいものは自ら動いて手に入れろってことだ。……おっと、そいつは今も昔もかわらねぇか?」

 確かに。とそいつはやけに簡単に頷く。
 
「珍しいな。大方明日の飯にありつけなくて集りにでもきたかよ」
「私はあなたみたいに今晩の夕飯を海で釣るというほどに野生化じみていません。少なくとも家では住み心地のいい環境が保てています」
「はっ、そいつは良かったな。住居があるってことは働き口も見つかったってワケだ」

 おめでとさん。と口にしようとして、そいつの雰囲気が妙に硬いのが伝わった。

「…………」
「あんだよ、まだなのか?」

 あれだけの堅物なんだ。簡単に見つかりそうなものなんだがな。
 第一金なら腐るほどにあるんだろうから別にいいだろうが。そこまでして働く理由なんて、さしてあるわけでもないだろうし。

「働いていない人間など生きていないに等しい。サーヴァントにはわからない感覚でしょうが」
「あーはいはいご高説はごもっとも。よーする今までずっと働きづめだったからその矛先が消えて手持ち無沙汰なんだろ?」
「それこそあなたにしては珍しく正鵠を射ていますね。確かに今まで動いていなかった分、方向性の見えない労働意欲が沸いていますが」
「勘はどこぞの金髪のねーちゃんとまではいかねえが、割といいほうでね」
「そうでしたか?」
「女限定でな」

 ――喰――

 っと、……あんだよまた稚魚か。
 今日はついてねえな。二度も稚魚がかかっちまうなんて。
 針を外し、波の様子を見て、……ほらよっと。

「ほぅ、逃がすのですか」
「弱ぇ敵は逃がすのが主義でな。小さい魚なんぞ捕まえたところで何の意味もないんだよ」
「殊勝な心がけですね。とはいえ向かってきた敵ならどんな敵であれ全力で排除するのが通説ですが」
「人間と魚を同等に考えるんじゃねえよ」
「何故。稚魚であろうと何であろうとエネルギーになります。それをあなたは何のためらいもなく見逃した。サーヴァントとはいえ、エネルギーは自らの身体を維持するのに必要でしょう」

 堤防に一際大きな波が当たり、飛沫が舞った。
 塩水を気にすることなく俺は魚の逃げていった軌跡を眼で追い、横のほうにいつの間にか座ろうとしている奴は俺を見ないまま。
 ったく、やりづれぇな。

「小さい魚を取って食うより、大きい魚を取って食ったほうがいいだろ」
「なるほど、効率的です」
「なんていうと思ったかよ」

 あ、怒った。

「うそ、うそだって。おいお前なんで俺の後ろに……ってバカバカ押すんじゃねえ! 落ちる落ちる落ちるって、蹴るな!」
「大丈夫です。落ちたところで塩水に浸かるだけですから」
「そういう問題じゃねえ!」
「ところで、何故です」

 綺麗にスルーしやがって……。
 とはいえ、さしたる理由なんてないんだがな。稚魚なんか釣ったところで面白くもなんともないし、単にそれ以上の楽しみも何もないからなんだが。
 かといってそれを正直に伝えたところでこの女は納得しないだろうな。
 そういう女だ。

「あー、それはつまりだな」
「……」
「エモノはでかいほうが嬉しいだろう」
「は? エモノにでかいも何もありません。大きかれ小さかれ食べられるもの、無駄に大きければそれを仕留めるのに労力を使うのですから、自分で間に合う程度に抑えるのが普通でしょう」
「だからそうじゃなくてだ」
「違うのですか?」

 ゼロかイチで考える奴ほど説得するのに難しい奴はいねえな。
 その点、教会にいるサド女とたいした差はないか。
 ……大体こういうのはあのボウズのするところじゃねえのかよ。

「はっ? 何か言いましたか?」
「別になんも」

 あーもうヤケだ。適当に行って誤魔化そう。

「例えばだ。職を求めるのに大きい仕事と小さい仕事がある。一方は茶店で一方は花屋とかな」
「……」
「客の出入りとか職種に大差がないとかそんな細けーことはどうでもいい。とにかくそこに一人の客が来た、お金をとにかく持っている奴だな」
「ほほぅ」

 神妙に隣で顎を抑え、その馬鹿みたいにしわのないスーツを海風にあてながらそいつは聞いている。

「客の出すお金はつまり店の利益だ。お金の支出はここでいう魚の大きさと比例してる」
「つまりあなたはお金を少量しか持たない客を相手にせず、その大金持ちだけに的を絞って接待をすると?」
「ちがう。俺が言っているのはその過程だ」

 過程? とそいつは首を傾げた。
 それも仕方ないのかもしれない。もとから生産的な、効率的な考え方でしか渡ってこなかったような奴だ。こんな話をしたところで馬の耳に念仏みたいなもんだろう。

「その金持ちから金を掻っ攫うのには苦労して接待をしなければならない。汗水たらして、サービス旺盛にして、とにかく気のきかないようなことは絶対にしないようにしてな」
「何を無駄なことをしているのですか。それであれば周りの小金持ちから簡単に利益をせしめたほうが全然効率がいいでしょう?」
「だからそうじゃねえんだって。いいか、ここではプロセスの話をしてるんだ。周りの奴なんざほっとけ」
「あなたにしては回りくどいですね。何か誤魔化してませんか?」
「疑り深いやろうだな……。とにかく進めるぞ」
「むぅ、仕方ありませんね。話を振ったのは私です。最後まで聞きましょう」
「ともかく、そこまでがんばって働いた後に、その大金持ちはたんまりとお金を店員に渡すわけだ。その働きに見合った分の給料ってやつだな。疲弊しきった奴から見ればそれはもう喉から手が出るほど嬉しいお金なわけだ」
「……」

 その全てがそいつに行くわけではないとかいう無駄なツッコミはするなよ。

「そこで、だ。これを今やっている釣りに置き換えてみたらどうだ? 稚魚は小金持ちの客、普通のサイズは大金持ちの客だ」
「……なるほど、単体で仕事をしている分、その嬉しさが全て自分に帰ってくる。そう言いたいわけですね」
「そーだ。小さい魚を釣ったところでなんの嬉しさも感じないからな」
「食べなければ消えるというリスクを背負っているのに?」
「働かなければどうせ同じだろ。あとはそこに自分の拘りがあるかどうかだ」

 なるほど、と再び頷き、その超頭の固い女は身体も止まった。
 黙考しているのだろう。俺の言ったことが、自分に対する回答に見合っているのかどうかという。
 実にくだらない……。
 回答なんて他人から得るもんじゃなく、自分で得るものだ。俺が言ったのはあくまで喩えであり俺の拘りに対する触り程度であって、誰かの考えを買えるほどのものではないはず。
 だというのに、この女はそれを全部初めから考え直して、新しくそれが自分にとって最良かどうかを吟味しているというのだから。

「――あなたの考えはわかりました」
「そりゃ良かった」
「つまりあなたは、自分の命が危険とわかっていても、楽しいかどうかが優先されるということです」
「平たくいやそういうことだな」
「非常に非効率的、無駄なことの多い行動だということがわかりました」
「無駄もたまにはいいもんだ」
「ですが、あなたらしいといえばあなたらしい」

 ……あー。
 こいつは結局なにが言いたいんだ?

「これは差し入れです。海風に当たってばかりいると寒いでしょう」
「生憎サーヴァントってのは大体の環境に適応しているんでな。その辺はお前さんのほうが詳しいだろう?」
「えぇ、確かに」

 カコッ、と地面に置かれた円柱形のスチール缶。

「ですが、たまには私も無駄な行為というのをしたくなるのですよ」

 失礼します。そういってそいつはスーツに付いた砂を叩き、そのまま何事もなかったように歩き去っていった。
 水の汲まれたバケツに置かれている横。差し入れがそこに置いてあり、つまりはこれを飲む人間は俺しかいないわけで。
 ……無駄な行為ねぇ。
 プルタブをあけると子気味よい金属音が響く。手には焼けるような熱さが伝わってきた。
 一口。

「うへ、にげぇ」

 苦さは、暫く口に残った。


戻ります?