「あ、夕方はどうもでした」
 夜。
 深夜まで及ぶであろうと思って夜食を買いに来たら、思わぬ人物と出会ってしまった。
 白を基調とした服に身を包んだグラマラスな女性、夕方に床で寝転んでいた人だ。
「えっと……」
 胸につけられている名前の欄は「紅 美鈴」と書かれている。名前から察するに在日中国人なのだろう。
 今時日本でアルバイトをしている中国人も珍しくはない。不法侵入している中国人だっているんだ。
「とりあえず名前の読み方がわからないから、一時的に中国さんといわせてもらいます」
「ひどっ、人権迫害ですよ!」
「そんなことありません。ちょっとしたユーモア豊富なコミュニケーションですよ」
「読み方を教えますんでちゃんと名前で呼んでください!」
「メイリンさん、仕事してくださいね」
「あぁぁぁすいません先輩、直に品物並べますんで」
 低姿勢で謝っているのが妙に滑稽で、少し笑ってしまう。
 なるほど、この人はみんなに好かれるタイプかもしれない。そういった雰囲気というか、相手の気持ちに対して凄く丁寧な対応をする。
 手にこんにゃくを持ちながら棚に並べて、こちらをちらちら見ながら何かを話そうとしている。はたから見てて酷く要領が悪いのがわかった。
「とりあえずそちらの仕事きちんと終わらせてからにしませんか?」
「えっ? あぁそうですね。それじゃ独り言を言うんで適当に相槌打ってください」
「いや、だから……」
 話を聞いていてくれただろうか。
「神社の巫女をやっているのはアルバイトって言ったんですが、実はアルバイト複数掛け持ちしてるんですよ」
「はぁ、随分と生活に困っているんですね」
「本職は別なんですが、その上司から支給されるお給料が少なくて。本来はここのバイトだけで済まそうと思っていたんですが、そしたら今度は上司の方から巫女のアルバイト任命されちゃいまして、今に到ってるんです」
「……ホント、要領悪いんですね。それならいっその事本職辞めちゃえばいいのに」
「とんでもない、辞めるなんていったら殺されちゃいますよっ!」
 強く否定していてもどこか辞める気になれないように聞こえるのは、何か弱みでも握られているんだろうか。
 アリスはそのことに少しの疑問を持ったが、直に考えを改めた。
 必要以上に探るのは良くない。きっと彼女なりの理由があるんだろう。もしくは、親切心旺盛な彼女のことなら最初から辞める気なんてないのかもしれない。
「……苦労してるんですね」
 二つの意味を込めて、そう呟いた。
「いえ、まぁそれなりに楽しくやっていますから。住めば都といった感じですよ」
「私にあったというのもここで?」
 独り言はいつしか会話になっていた。
 アリスもそれに気がつき会話を止めるべきか考えるが、考えるのをやめてしまった。
 この人と会話する時は、必要以上に考えることをしないほうがいいと判断したからだ。
「レジを打っているときに計算間違いしたのを指摘されたんです。お陰で売り上げの集計でミスがなくて助かっちゃいました」
「そんなことあったんですか」
 ガタッ。
 品物が乗っている箱が一つからになって畳まれた。
「えぇ。だからお礼を言わないとと思ってたら昨日のって感じです」
「なるほど……いや、お礼を言われるほどのことをしたわけじゃありませんし」
「いえいえ、ホントに助かりました。仕事をミスするのは好ましくないですから」
 どちらからともなく頭を下げると、ごちんと硬いもの同士がぶつかる音が頭に響いた。
 鈍痛が直接二人の頭に響いて、軽く痛い。
 そして苦笑。
「すいません、私いつもドジばかりで」
「いえ構いません。私も不注意でしたから。それより仕事のほうは大丈夫なんですか? まだ箱はたくさんあるみたいですが」
「あっ! しまった。すいませんアリスさん、よければ私そろそろ仕事の上がり時間が近いんで、一緒に帰りませんか?」
「私とですか?」
 若干困惑した表情をアリスは見せる。アリスの家はこの場所から結構な距離だし、神社や学校とは逆方向だ。もし帰り道が逆なら迷惑ではないだろうか。
「私の家は川を挟んだ先なんですけど……」
「あ、それなら帰り道もそんな変わらないです。ここ最近通り魔が多発しているって言うから一人で帰るのちょっと怖くって」
 あぁ、なるほど。
「いいですよ、それでしたら中を回っていますんで、適当に声かけてください」
「ありがとうございますー! それじゃ直に終わらせますんで!」
 そういって手に持った箱を軽々と持ち上げると、手際のいい手つきで品物を並べていく。
 早いな、あれなら仕事をミスするのもわかるけど。
 それにしても――――。
 中国、メイリンと言っただろうか。その背中をジッとみる。
 機敏な動作、手の使い方にお客に対するあの表情。それを見ているだけでやっぱりといった感じでアリスの心中にため息をついた。
 好かれるタイプね、あの手の良い馬鹿っぽさは。


「お待たせしました。すいません、更衣室にしまっていた衣類がどこに置いたか忘れちゃって」
 ぽけっとした感じで歩いてきたのを確認しようと振り向いた先に、季節とはど外れした格好でいるのは待ち合わせ相手だった。
 赤い髪を目立たない程度に隠そうとしている帽子、上着はやや大きめの肌色セーターをきて、手を前に組んでいる。それだけ見ていたら確かに寒そうではない。この時期冷えるとはいってもそれだけの完備ができているならばいたって普通の話だ。
 下に目を通す。これは何かの冗談だろうか。
「…………今の時期にスリットですか」
 緑色の服がまるで垂れ幕のように腰の辺りからぶら下がっている。その横から見える脚のラインはばっちし太ももまで見えてしまい、脚線美をもろに強調させていた。
 流石のアリスもこれには顔をしかめることしかできなかった。これが道中、しかも昼間人通りの多い場所を闊歩されていたらそれはそれで引く。
 むしろ上着のセーターに薄着のこれでは、夜間に襲ってくださいといっているようなものではないのだろうか。
「えっと、ごめんなさい美鈴さん。ちょっとどうリアクションするべきか迷っちゃって」
「いえいえ、やっぱり当然の反応ですよね……」
 苦笑いを浮かべて下を向いてしまう。やっぱりということは一応自分でも理解はしているんだろうか。
「スカートとかないんですか?」
「あるにはあるんですが、まだ慣れなくて。ジーンズも試したんですけどやっぱりごわごわして動きにくいですし、昔から愛用していたこの服を未だに使っているんです」
「普段着慣れているのがスリットなんですか……」
「あの、やっぱりおかしいでしょうか」
 そんなことはない! といってあげたくても流石にこれは見ているだけで挑発的過ぎる。
 どうやったら相手を傷つけずにこの旨を伝えて上げられるだろうか。
 ……悩む。
「あ。えーっと……いいんじゃない、かな?」
 思いっきり顔を引きつらせてしまった。
 その表情を読み取ってか、やっぱりといった感じで肩を落とす美鈴にアリスは声をかけることができなくなった。
 なんというか、フォローのしようがない。
「いや、いいんです。私もなんとなくわかっていたことですから」
「ならやめなさいよ」
「えっ、何かいいましたか?」
「いや別に。それよりその格好で寒くないんですか? もう冬になってきてるんだし、いい加減スカートにしろそれでも寒いと思うんですが」
 それなんですよねぇと美鈴が寒そうに腕を組んで乾いた声を上げた。
「私も寒いからジーンズにしようと思ったんですけど、上司が「暫くそれで通いなさい」って言い出しまして」
「……はい?」
「いや、うちの上司はとある探偵をやっているんですね。それで通り魔の犯人が食いつかないかどうかを四六時中見張っているらしいんですが」
「えっ、今も!?」
 辺りを見回してみる。
 暗い住宅街は意外と肌寒いものがあった。
 寂しいくらいの外灯、近所の犬がいるとかそういうわけではないが、夜の路地というのは人がいなくなるだけでとても静かだ。そういったところに女の子が一人いたらまさに狙ってくださいといっているようなものだ。この人はこれをいつもやっているんだろうか……。
 とはいっても、つい最近まで私もそうだったわけだけど。
 けど落ち着いて見回すと確かに、危険な道な気はする。探偵さんは職業柄だろう、残念ながらそれらしい人影も見えないが見張っていてくれるというのであれば心強い。
「ま、まぁ職業柄姿は見えませんけどね」
 乾いた笑いを浮かべて頬を掻く仕草が、妙に可愛らしかった。
「でももし犯人がメイリンさんを人質に取ったらどうするんです? 追い詰められた犯人ていうのは何をするかわかったものじゃありませんし」
「それなら心配要りません。実はこう見えても私、武術にはちょっとした心得がありまして」
「武術……、少林寺拳法とかそういったものですか?」
「似たようなものです。アリスさんはそういったものには特技ないんですか?」
「残念ながら、私はどうにも運動が苦手でして。裁縫とか家事全般に関しては掃除以外何とかやれるんですが」
 大変なんですね、とメイリンさん。
 教材というのはとにかくかさばって、しかも置き場に困る。本棚を買ってもすぐ埋まってしまうし、かといって取り出しにくいと歯がゆいし、いつも最後には面倒になってそこら辺に放置してしまうのだ。
 お陰で本の虫がでてきて酷い目にあったときもあった。
「苦労しているんですね」
「いえ、そんなことはありません。一応それなりに通路は確保できているので、一人でいる分には問題はないんです」
 そう、一人でいる分には。
「あぁ、着きました。わざわざ送っていただいてありがとうございます」
「いえいえ、何かありましたら私はいつもあのスーパーで働いていますので、気軽に声をかけてください」
「わかりました。休日の日とかわかります?」
 メイリンさんはすぐに内ポケットから紙と鉛筆を取り出して、さらさらとメモを取ってくれた。
 メモにはわかりやすく日程と時間を書かれており、私の中で意外にもこの人は行動がまめの部類に入った。
「では私はこれで、おやすみなさいアリスさん」
「おやすみなさいメイリンさん」


戻ります?