「春、といえば!」

 パンパカパーンと、背中に擬音が付きそうな声で笑顔を向けてきた琥珀さんが俺達に問いかけてきた。
 はとが豆鉄砲くらう形となった俺と背中にいて畏まっている翡翠、だが向かいにいる秋葉は「はて?」と一瞬表情を
軽く崩したかと思うと、なにやら納得した様子でいる。優雅に啜る紅茶と掛け合わせると、それだけで一つの絵のようで
見ているこちらとしてはほとんど退屈しないんだが…。

(これで口がもう少しうるさくなければ良い妹なんだけどなぁ…)

 などと思っていると秋葉が俺の顔を拗ねた顔で睨んでくる。ほら、また小言が飛ぶぞ……。

「――――兄さん」

 どうしようか、ボーッとしていたはこの前使ってしまったし、下手に嘘をつけば泥沼だ。
だからといって沈黙を続けていればそれはそれで機嫌を損ねる恐れもあるし。

「ん、秋葉、言わなくてもわかるよ。花見だろ?」

 だからここはあえて琥珀さんの話題を題材にシラを切ることにした。口を小さく開閉している秋葉は、それが
自分の言わんとしていることを回避されたことに一瞬戸惑い、巧くかわしましたわね…と拗ねながらも紅茶を口にする。
その様子を見ながら、琥珀さんは苦笑しながらも話を続けてくれた。

「はい、遠野家お屋敷の少し離れたところなんですが、綺麗な桜が咲いているところがあるんですよ。
 丁度この間開花宣言がなされたということで見に行ったんですが―――」

 一区切りして息を整え、琥珀さんはその風景をもう一度想像するかのように目を閉じた。

「凄くきれいでした。それはもう私が生きている中で一番とも言えるような色鮮やかな桜でしたから、
 どうでしょう?ここは皆さんも呼んでお花見を催してみては」

 頬を僅かに紅潮させながら琥珀さんは皆に、明確にその凄さまで伝えるように話しかけてきた。
花見…か、なんて俺は意味もなく耽ってしまう。面白そうで、確かに賑わうように話を進めていけば
皆も呼んだほうが楽しい。それには賛成だけど…と、俺は秋葉の方をちらりと覗き見た。
 目が細くなり、静かで何を考えているかわからないときの秋葉は自分に対する絶対意志と、
それと相反する何かとの葛藤ということが最近わかってきた。つまり秋葉は今、何かと葛藤しているということになる。
 少しの間、居間を沈黙が支配する。そこにある音は時計の音のみで、それを適当に数えながら、秋葉の口から発せられる言葉を俺は待った。

「――――、時に兄さん」

 16回目の針の音をもってして沈黙は破られた。
 動揺を悟られないよう俺はきわめて平静を装って言葉を返す。

「ん、どうした?」
「兄さんは、花見というものが何故―――いや、発祥は何からきているかご存知ですか?」

 さて…、どう答えたらいいのやら。最近はその一言一言がやたらと重く感じられるのが辛さ半分、しかし
そうやっていつも俺に問いかけてくれる秋葉に、半分嬉しく感じてしまう。

 花見――――。
 一般的に知っている花見というのは花を愛でる、もしくは集まって宴をするというものだ。桜の咲く次期は始業という意味もあって
宴会を開き、親睦会みたいなのを行う。無論風情があって花を見るだけに来る人も、その綺麗さに酔いしれるため楽しんでいる。
つまり花見とは、綺麗な花の咲いた時季に楽しくするための一つの行時からきたと考えられる。
 
「半分ほど正解ですけれど、桜の発祥はもっと別なところにあるんですよ」

 教え子が割りと良い解答を導き出せたのが嬉しいように、秋葉は薄く笑った。普段怒られているためか、その笑みが妙に
新鮮で、つられて自分も笑ってしまった。香りのいい紅茶を啜り、こんな雰囲気もたまには良いと考えながら
俺は秋葉の思うところを聞いてみた。

「解答はどうなんだい?先生」
「あら、少し考えただけでもう人に頼るんなんて、そんな風に教えた覚えはありませんけれど」
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ってね」

 上手いこと言うようになりましたね…と、呟きながら秋葉は外を見ていた。

「良いでしょう、外に行きながらでも話します。
 琥珀、今ある材料で簡単な食事と飲み物を、それと…お酒はなしで」
「かしこまりました。では軽食としてサンドイッチでも作りますね」
「翡翠は敷物を持ってきてくれないか、確か倉庫にしまってあるはずだから」
「はい、それでは失礼いたします」

 パタパタと二人の従者達は役割を果たしに歩き去っていく。その様子を眺めながら俺と秋葉は二人で
玄関に向かう。
 こうして二人で一緒にいるのはいつ以来だろう、ここ最近は常に琥珀さんや翡翠が傍らにいて、
他愛もない話を4人でしていた。ある日は学校のこと、またある日は日常の移り変わりについて。
トランプ等の簡単なテーブルゲームもした。けれどこうやって二人きりになるというのは久々だった。
 今思えば、琥珀さんを離したのも自分と二人きりになるためなのかと、少し疑ってみたりもする。

「久々ですね、こうして二人きりでいられるのは」

 それは秋葉も感じたのだろうか、少しぎこちない顔を装いながら話を切り出してきた。

「うん。でもまぁ、たまにはこういうのも悪くないな。兄妹水入らずってやつかな」

 はははと笑いながら、本当に久々だなと思うことが少しおかしくなってしまった。おいおい志貴、
何を今更なこと言ってるんだ?ただ単に会いに行こうとしなかっただけのことじゃないか。それなのに久々はないだろ。

「それで、さっきの解答をそろそろ教えて欲しいんだけど?」

 ドアノブに手をかけながら俺は後ろにいる秋葉に問いかけた。しょうがないですね…なんて嘯きながらも
その顔には笑みが絶えない。

「もともと花見というのは、農耕に結びついた宗教的な儀式だったんです。
 山の神に咲いている桜の木の元に来てもらい、その年の豊作を祈るためにお供えをしたことからこれが
 始まったんですよ」
「何で桜の木に?花が咲いている木であれば梅でもよかったのに」
「桜の木というのは神が宿る木として特別な扱いを受けていたんです。桜に纏わる幽霊話なんていうのがありますけれど、
 ほとんどこれが原因なんでしょう。
 そして時代が進んでいくにつれて桜の木は、綺麗な木として和歌を詠う格好の材料となり、貴族の間で魅て楽しまれました。
 今のような花見になったのは江戸時代あたりからなんですよ」

 わかりましたか?という妙に勝気の篭った目を向けながら秋は不敵に笑っていた。
 扉からでて暖かさを肌で感じつつも、いつもながらの秋葉の知恵に敵う気がしないのは彼女が遠野家当主を守ろうと
するためだったのだろうかと、少し不安に感じるところがある。

「秋葉……」
「はい、なんでしょう兄さん」
「そういった知識はどこで覚えてくるんだ?」
「浅上ではこれくらい基本知識ですよ。兄さんこそ少しはそういった知識を学ばれてはどうです?」

 そう言って笑いながら俺の前を秋葉は通り過ぎていく。春の暖かい風が舞う中、艶のある髪が踊るように、後ろで組んだ手は
精一杯の背伸びをするように、そして見慣れた顔が俺のほうを向いて――――

「兄さんも、そうしてくれれば私のことを少しは知ってくれるのに――――」

 ――――さわさわと、木々から葉を擦る音が聞えてくる。世界が一瞬止まってしまったかのような錯覚、
それは空想であってしかし本当のような感覚だ。
 思考が完全に一時停止する。今俺は何を聞いたのだろう……秋葉が?知ってくれる?何を誰に?そんな
自分でも意味不明な状況に陥っているのを秋葉は見て取ったのか、顔を真っ赤にしながら慌てふためいていた。

「あ、いや、これはその…なんていうかえぇと……、そ、そう。例えですよ、例え。
 こうしてくれれば兄さんも私みたいに知的になれるのになーって、そうですよ。大体兄さんはいつもいつも
 私に甘えてばかりでテーブルマナーもなってなければきちんとした知識ももってらっしゃらないんですから
 たまには本を片手に基礎的な用語とかを学んで、それでもって紳士としてのたしなみというものを理解してくれないと
 遠野家当主としての立場というものがありましてね、って聞いてるんですか兄さん!」

 ついつい、その明らかなごまかし方に俺は混乱するどころか笑ってしまい、秋葉に睨まれてしまった。
 ごめんごめん、でもな秋葉。そんな風に妙に怒って、時々素直でさ。その上恥ずかしいことがあったら
無理してごまかすの、これを皆が見たらどういうだろうな。きっと俺と同じように笑って、可愛くて、きっと
お前のことが今よりずっと好きになれるんじゃないかって、俺はそう思うよ。
 
「あぁ、聞いてるよ。秋葉……」

 だから俺は秋葉にゆっくり近づいていき、頭をそっと撫でる。この可愛さが、この僅かな素直さがいつまでも壊れないように
優しく、優しく俺は撫でた。

「う〜…もう、兄さんなんか知らない!」

 ぷいっと俺の手から離れていく秋葉。後姿からはわからないが、きっと耳まで赤くしてるだろう。なんとなくそれが
想像できて、また笑ってしまう。

「はは、待てよ。秋葉」
「知りません、兄さんのような人はもう一度女性というものを勉強したほうがいいんです!」

 他愛のない会話、一方が怒られるように見えても、その内は優しいものだ。その一つ一つを秋葉は送ってきてくれる。
わかりにくいサインをあいつは常に送ってきてくれる。だから俺もほんの少しだけ素直になろう。今よりもほんの少しだけ、
あいつに近くなれるようにがんばろう。
 前を歩いていく秋葉。離れていくようでその足はちゃんと俺を待ってくれている。その僅かな優しさを見逃さないように、
俺もあいつと歩いていこう。

「お、あれかな……」

 目の前に一本、桜の木が見えてきた。その下で待っているのは翡翠と、重箱を広げて木に寄りかかっている琥珀さんがいた。
何故か酔っていそうなアルクェイドもそれに絡んでいるシエルさんも、二人を宥める様に有彦もきていた。随分と楽しそうに
笑いながら、桜の木を見上げている。
 確かに緑豊かな樹木に囲まれている中、その桜だけは満開までには至らずとも十分な綺麗さを誇っている。
薄赤い、それこそ立ち止まっているこいつのように。

「―――綺麗ですね」
「あぁ、そうだな」

 お前も負けず劣らず、と言うのは伏せておく。それこそそれは満開の時にでも言うとしよう。桜が豊作を願う木だというなら、
俺は秋葉に変わらぬ優しさを願って。



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