さて。
 幻想卿にも春がやってきて随分となる。
 満開だった桜は息を潜め、杉花粉もこの梅雨時期になってはもう言葉もないほど飛ばなくなり、世間で鼻の辛い時期は去った、と思ってもいいのではなかろうか。
 もっとも、妖怪の潜むこの幻想卿に花粉症にかかっているものがどれくらいいるかは別の話だが、それはそれ。あってもいいんじゃないかと想像するのは誰だって自由だ。
 秋口には紅い霧が発生したり。
 春の初めにはまだ冬が残っていたり。
 そう思えば今度は花々の大量発生ときたもんだ。
 時間を重ねていくごとにこの世界は諍いを起こし、退屈だと嘆く巫女を右へ左へと仕事をさせる。
 いやはや、生活苦を強いられながらも平和を望む巫女はなんと働く子なのだろうか。なんて思っているのは恐らく私だけかもしれない。
 退屈だなんだといって出向けば、悪いことをする妖怪はきっちり退治すると喚く巫女。
 そして一度神社に戻れば再び退屈だと嘆く巫女。
 では、退屈をしない幻想卿で、かつ妖怪が悪さをしない、生活に不自由なく静かな人生を送れるとしたら、それは果たして巫女冥利に尽きるというものだろうか。
 いやいや、そんなことはまず起こり得ない。巫女とは在るべくして巫女なのであり、巫女がなくなってしまえば、元々在る必要がないことになる。
 想像してみるといい。妖怪が悪さをしないでいられるだろうか。人がほとんどいないというこの世界の中で、生活が急に好転するだろうか。
 そしてそもそも、巫女冥利に尽きるというのは。
 一体何を指し示し、
 一体何を目的として語られた言葉なのか。

 もちろん、ここにおいて指し示したのは、前文の全てである。とはいえ、巫女が妖怪を抑える行為は常に力であり、力の前では反発するものが必ず存在する。
 ならば、巫女は必ずいなければいけない。という説に辿り着くのは必然。
 たとえどんなに強力な魔法使いがいようとも、どんなに瀟洒なメイドがいたとしても、常にルールとなる存在は必要とされている。そうした中で、彼女の位置は非常に微妙な場所といえよう。
 そんな巫女が、ついぞ私のいるこの白玉楼で宴会を開いていた。後片付けをする人は大体決まってはいるものの、幽霊の住む場所で宴会を開こうという発想は、既に正気の人間が行うものとは思えない行動、だろう。少なくとも私は今もそう思っている。
 私が初めてここにきたとき、黒い魔法使いは確かこう言った。

「有り得ないということが、既に有り得ない」

 つくづく痛感させられるが、この世界では人間が思っている世界とは全く、天地ほどの差があると言ってもいいほど常識が違っている。
 私のいるこの場所はもちろんのこと、妖怪、魔法使い、メイド、吸血鬼、死神、閻魔、数えればそれこそたくさんの怪異が出てきそうな、一見冗談と思える世界が、ここにはある。
 私だって初めは困惑したものだ。人間として良くわからない場所に迷い込んだと思えば、いきなり童子に襲われ――本人達は遊んでいたと語るが、私から見れば喰われるかと思ったほど恐怖していたのだ――、やっとこさ人間のいる場所に逃げ込んできたと思えば今度は信じられないことを告げられてどこかへと逃げ出し、夢心地に森の中を彷徨っていたと思えば今度は巨大な竜の中。挙句の果てに自分の両親は既に他界していますと告げられて、一体どこがどう間違って話がすっ飛んだのかわからないほどの展開で、今の位置に収まっているのだから、笑い話にしたくても私の友達は全て当たり前だと流すだろう。
 ああ、そういえばもう昔の友達とは別離していることを言っていなかったか。
 人間に別れを告げた私は、今では立派な幽霊なのです。

「みきー。お酒を持ってきて頂戴」
「おぉ。取材中に酒なんか飲んでもいいのかよ?」
「大丈夫ですよ。私が飲んだところで本社につく頃にはすっかり冷めてますから」
「あははは、今日も空が青いねえ。れいむぅ〜」

 迷惑そうにしながらも膝枕をこしらえて鬼を寝かしつけている巫女に、苦笑してしまう。そういえばあの子もいるんだった。年は幾つなんだろうと聞きたくても、あの大人数の輪の中になかなか入れないのは、きっと自分が前の事件で迷惑をかけてしまった、その後ろめたさが足を竦ませているのだ。
 森を焼き払い。
 妖夢さんを傷つけて、なし崩し的にいる自分。
 目的はないけれど、ただ今は暫くこの世界を眺め続けたいと思い、主に嘆願した一ヶ月前ほどの話。
 胸を張って彼女達の前でお酒を飲めるのは、もう少し先の話かもしれない。

「おっ? おいおいどうした未来。そんな遠くにいたら話ができないだろ」

 いつものとんがり帽子をわきに置き、霧雨魔理沙という魔法使いが、私を見て手招きをしていた。

「いえ、私は皆さんの楽しんでいるところを見ているだけで楽しめるので。何かあればお申し付け下さい」
「そうかい? それじゃ、ちょっとこいつを頼まれてくれないか」

 なんだろう。特に出したりないといえば今私が持っているお酒程度だが、それも持っていけばお団子が少々、食事に関しては大分出揃っている。さして追加するものはないようにも見えるけど。
 と、突然首に腕を回し、外れないようにロックした。

「えっ、ちょ!?」
「おーいみんなー。今から未来が飲みっぷりを披露するってよ」
「待ってください。私は幽霊ですからお酒とか飲めませんって」
「心配するな未来。そんなことだろうと思ってだな」

 じゃーんと懐から取り出した一つの徳利には「魂殺し」と明記されている。なんだか妙に黒いオーラが徳利を包み、瘴気を通り越してどこか禍々しい。
 まさか?
「そのまさか。こいつは私が作った自家製の酒、幽霊だろうとなんだろうと飲めるその名も『魂殺し』だぜ!」
「笑えないですよ! 私未成年ですから」
「あぁ? まだ向こうの常識背負ってんのか。大丈夫大丈夫。ここは幻想卿で、法律なんて存在しないところだ」

 つい最近閻魔にこっ酷く説教されたのはどこのどいつだっただろうか。嘘ばっかつくからと裁判にかけられて、戻ってきて数日は物静かだった人物が、今では強引とも言えるほどの力で私を引きずっているのだから。

「っていうかなんで私を触れるんですかあんた!」
「魔法は何でも可能にするもんだ。死者蘇生以外な」
「ありえねぇ!」
「有り得ないと思うことが、ここじゃ有り得るんだぜ」

 快活に笑っている場合かと突っ込みたいところだが、目の前に持ってこられた酒を手に持たされて固まってしまう。そりゃ周囲の注目が既に私に向けられているんだ。多種族からの視線ほどリアクションに困るものはなかろうよ。
 とはいえ、これを飲まなければ場がしらけるというものだと思うのは、人間だった頃の習性だろうか。隣では幻想卿音頭とかいう聞いたこともない歌を妙にリズム良く歌う魔法使いに、それを囃す天狗と鬼が場を温めているのだから諦めるしかない。
 では。

「お?」
「あ」
「えっ」
「おお」
「やるぅ」
「あらあら」
「ほぉ」
「ふふっ」

 思い思いの感嘆符もよろしいですが、そろそろ前書きもよろしかろう。
 では最後に私、未来からこの幻想卿に向けて気合の一言。

「やるぞおおおおおっ!!」

 何についてかは、明日考えるとしよう。









      1

 






 春が来て一ヶ月ほどといったが、つまり外の世界から見ればそれは五月であり、梅雨の時期が来てもおかしくない時期だ。
 森林の多いここ幻想卿において、雨というのは木にとって好ましい反面、妖怪たちに比べればとても迷惑極まりないものでもある。とくに吸血鬼なんかは今頃うざったそうにして棺桶の中で寝返りをうっている頃だろう。ざまーみろ。
 白玉楼は空よりも高く、何重もの結界に守られているために雨がほとんど降らない。時折境界を操る幽々子さんのお知り合いが雨を持ってくるが、大抵は幽々子さんの気まぐれだそうな。何はともあれその水があってこそ、西行寺にある木々に水をやっているのだから驚きだ。一体どこからあんな大量の木々に与える水があるというのか。是非ともその辺りの不思議を聞きたいところだが、きっとその友人はどうでもいいことのようにはぐらかすだろう。ついこの間の宴会でもあったが、どうにもつかみ所のない人だった。
 幽霊になってからというものの、私のやることは大体が家の掃除が主である。
 朝起きて、洗濯、掃除、朝ごはんの準備から買い物お手伝い、庭の手入れに水撒き。細かく言えば風呂の準備やら結構あったりするが、学校がないだけ勉学に実を削らないのは嬉しいと思うところだろう。
 無駄な知識を詰め込まず。
 ただ与えられた家事をこなしていればいいのだから。
 これ以上の楽はない。
 自室にはわずかばかりの灯篭とマッチ。蝋燭が少数ある程度で、あとは布団が押入れに入っている程度となると、いかに私が質素な生活を送っているかがお分かりいただけるだろう。
 とはいえ、もともと無趣味な私としてはこれといって必要なものもないわけだし、ここにいさせてもらうだけでも嬉しい限りでもある。
 時折妖夢さんが私の部屋に遊びに来てくれるが――本当に時々で、幽々子さんが寝静まったときくらいだ――その時に見せられた遊具には内心驚きを隠せなかった。デジタル社会となっていたはずのあちらに比べて、こちらは未だにアナクロ。綾取り、ビー玉はもちろん、おはじきを取り出して遊びましょうというのだから、いかに私と妖夢さんの間にあるギャップの大きさというものが知れよう。
 まあ、もちろん遊んだが。楽しかったし。
 情報社会となった今、逆に重宝がられるのが昔ながらの遊び方だ。剣玉にしてもパズルにしても、私が覚えている限りでは、剣玉で遊んでいる子供など片手で数えても間に合うほどだし。
 そもそも、妖夢さんのように同年齢である人がこの白玉楼にはいない。
 魂魄のみとなった生物は、すべからく形を持つことはない。器を捨てた本体は全て青白い球体となり、閻魔に裁かれるまでその身をこの白玉楼によって留めているというのが、そもそものこの屋敷のあり方なのだと、部屋を割り当てられるときに教えられたことだ。
 私はその中でも異例だという。器であった過去をそのまま魂魄に映し出し、形を保ったままでいられるというのは、通常では有り得ないという。
 なるほど、有り得ないことがここでは有り得るなら、ここで有り得ないことならば、もっと有り得ないことなのだろう。
 皮肉な話である。
 形を保っていられるなら、こんなにも嬉しいことはないじゃないのと言ったのは幽々子さんだったか。

「妖夢に新しい友達ができたわね」
 なんて、母親よろしくな目線で見られては、私も妖夢さんも言葉を返すことができなかったわけで。
 実際、妖夢さんとは気があった。気の波長が合うというのは御幣だろうか。家事全般を手伝ったり、剣術の合間にお茶を運んで行ったり桶に水を汲んだり、ちょっとした休憩があればなんてことはない、私のいた世界のことを話したり、妖夢さんのいる世界を聞いたり。差し出がましいことばかりしていたような気がする。
 しかしまあ幽霊付き合いなんてそんなものだろう。他愛ない会話をするのだから、これ以上の必要性は今のところないし。
 つまり、きっと、私と妖夢さんは友達になれたのだ。

「未来、ちょっといいですか?」

 庭に落ちた葉を掃いていると、後ろから稽古を終えた妖夢さんが話しかけてきた。
 いつもはキチンとしているベストを脇に抱え、襟首のシャツのボタンを一つ外して息を整えている様は、まだ幼い剣士そのものだ。このくらいの子供が外の世界で妖夢さんほどの稽古をやったとしたら、大抵の子供は家に引きこもるかもしれない。
 そういえば喋り方について妖夢さんにタメ口でいいのといったら「タメ口ってなんですか?」と真面目な表情で返されたことがある。笑うところなのか真剣に答えるところなのか迷ったが、結局は言わなかった。妖夢さんには、きっとこれが普通の喋り方なのかもしれない。もう少し時間がたってから教えてもいいだろう。

「ん、どうしたの?」
「ええ、実は茶葉を切らしまして」
「茶葉、ですか」
「茶葉、なんです」

 わざわざもう一度繰り返されるほどボケたつもりもないんだけどなあ。
 彼女の中には懇切丁寧というのが第一に、第二に使命感というのが小さく前習え状態で押し詰まっているのかもしれない。

「それでですね。未来さんの手が空いたときでいいのですが、買い物に行ってきてはくれないでしょうか」
「買い物ね。いいよ、場所を教えてくれれば行ってくる」
「助かります」

 そうして教えてもらった場所は白玉楼を降りて西のほう、結構近いので歩いてでもいけそうだ。
 とはいえ、この屋敷から下る階段がまず長いのだが。

「すいません、できればこういったことは私が行くのですが」
「そんなことないって。住まわせてもらっている分、働くのが普通だから」
「そう言って頂けると。もう大分こちらにも慣れましたか?」
「あと少しといったところかな。食器の位置とかは妖夢さんが今まで担当だったし、私もどんどん知っていかないと」

 手に持った箒を隅に立てかけ、ちりとりに乗った葉を捨てに行く。どうやら妖夢さんも同じ方向らしく、肩を並べて私と一緒に歩くことになった。
 こうして話すのは大抵稽古を終えた後だから、普段の妖夢さんがどれほど忙しいのか想像するまでもない。

「これから妖夢さんはどうするの?」
「どう……とは?」
「いや、何か友達とかが遊びにきたりとかさ。神社の巫女さんたちが遊びに着たりはしないの?」
「彼女達なら年がら年中、着たりはしませんが、そうですね。いつもの流れからして、今度の宴会は二週間後程度ですか」
「そうじゃなくてっ。今の年代に見合った遊びとかしないのってことよ」

 なにわけのわからないことを言っているのか。おはじきにしても剣玉にしても遊び道具があるのであれば、友達と遊ぶのが普通だろうに。

「普通、といわれましても」

 小さく苦笑を浮かべ、妖夢さんが考える仕草をしてから見合った答えを導き出す。
「私にとってはこれが普通ですので、彼女達にペースを合わせるということは、お互いを潰すということになりかねません。それに、場所によってはお互いに遊びますしね」
「へぇ、例えばどんな?」
「弾幕ごっこ」
「危険極まりないって!」
「そうですか? 確かに怪我はしますが」
「怪我してる時点で危ない事だとわかろうよ!?」
「大丈夫ですって。既に私は半分幽霊ですし、半分は十分労わってますから」
「もう半分にも優しさを与えてあげてっ!」

 そう言われましても、と腕を組む小さな剣士に、私は一体何といえばいいのだろう。
 でも良く考えれば、妖夢さんの力と、あの吸血鬼の力があって私の暴走が止まったんだよなあ。そう考えると今言った「弾幕ごっこ」というのもあながち馬鹿にできない遊び。なんて認識をしなければいけないのか。
 いや、いやいやいや。冗談はよしなさい私。いくら軽傷で済んでいるからって、どでかい化物だっていとも簡単に倒してしまうような力を持っている人たちがぶつかり合っているのだ。よしんば今まで大丈夫だったとしても、これからどうなっていくかはわかったものではない。もし重症になってしまえば、こちらに医者はいるのだろうか。その辺りもう少し強い認識を彼女には持ってもらわないとダメだ。

「ああ、ちなみに医者はいますし、未来さんみたいな事件が特別例外なだけであって、普段は全く危なげも何もないですよ」
「医者、いるんだ」
「少し離れた場所ですが。まあこっちにいる限りはどこか出会うかもしれませんし、そのときは挨拶程度交わしておいて損はないでしょう。私もその方には世話になりました」

 終わらない夜。
 闇を抄きとった永遠の夜。
 偽の月を打破して、再び幻想卿に、朝を齎したという、嘘のような本当のお話。

「実際は幽々子様の気まぐれで出かけただけなんですけどね」
「折角の短文が台無しだよ!」
「いいじゃありませんか。本当のことですし」
「くっ、ぐぅぅ」

 やりにくい。
 ボケ殺しというのがここまでやりにくい相手だとは、全くわからなかった。
 学校にいた頃は大抵、私自身が相手のボケを殺していたからなあ。ここに来て初めてその辛さがわかった気がする。
 そのボケ殺しを上手く扱う主、西行寺幽々子、恐るべし。
 ま、まあ何はともあれ、その英雄譚に他の人たちも関わったのだ。もう少し仲のいいところがあってもいい気がするのだが。
 妖夢さんにしろ、魔法使いにしろ、あの巫女、メイドにしても、ちっとも会う機会がない。会ったとしてもそれは宴会程度の話で、後はずっと家の仕事をしたり、どこかに出かけていたりだ。
 まるで会う気がない、というより、あっても仕方がないと思えるほどに。

「そうでしょうね。私たちは基本会うことはありませんから。博麗・霊夢と霧雨・魔理沙はちょくちょく会っているようですが」
「あの二人って仲がいいの?」
「さて。ですがここに来たときは彼女達と十六夜・咲夜でしたし、紅い霧事件は彼女の主であるレミリアの仕業だったそうです。そのときにもあの二人が出張ったらしいので、随分と古い仲なのかもしれません」

 そういえば、霊夢が一人でいるところを見たことがないな。といってもこの短い期間、博麗神社に行った事を数えれば二・三回程度の私がそれを語ったところで詮無き事ではあるのだけれど。

「あれ? ここでも何か前悪いことでもしていたの?」

 そういった途端、不要な発言をしてしまったとばかりに表情を固めた妖夢さんが、流し見る私の視線から逃れようとしている。
 嘘のつけない人とは、得てして損な性格だ。

「あったのね?」
「いえ、別に私は何も……」
「妖夢さんじゃないってことは幽々子さんかな。目的はなに? 結構凄いことだったんでしょ?」
「大それたことはしてないわ。ただちょっと桜を咲かせたかっただけよ」

 話すことに夢中になっていたのか、どこからともなく幽々子さんが割って入ってきた。
 いつも寝間着のような着物を着ている人だが、今は薄手のカーディガンを桃色のワンピースの上から羽織り、凪ぐ風を涼しそうに受けている。
 幽霊だから軽い。なんていうのは笑えない冗談だが、この人は本当に空気のように軽やかなステップを踏む。まるでそこにいないのかが当たり前、いること自体がおかしいと思わせるくらいの軽さで、いつもどこ吹く風と浮遊している人だ。

「みょ、幽々子様。おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう。妖夢、朝ごはんは?」
「近くの川で取れたニジマスを塩焼きにしました」
「わっ、今日も美味しそうね」
「幽々子さん、桜を見たかったんですか?」

 それだったら春になればたくさん見れるだろうに。
 こんなにも桜の木が、目を前に向ければたくさん、緑が生っている全てが、桜色に染まるだろう。
 この桜を咲かせて、一体なにがいいのだろうか。

「ふふっ、なんだと思う。未来ちゃん」
「そうですね……わかった。宴会でしょ?」
「ぶぶーっ! 残念、回答権は妖夢に移りました」
「私ですかっ!?」
「正解するともれなく私の朝食を作る刑が、間違えると朝食と昼食を作る刑が付いてくるビッグチャンス。さあ妖夢さん答えをどうぞ。残り五秒、よん、ぜろ。はあい残念でした時間切れでーす」
「ちょ、え、ああああっっ!!」
「というわけで、妖夢はあとでお団子を用意して頂戴。みたらしと粒餡がいいな。よろしくね」

 もうなんていうか滅茶苦茶だよこの人。
 食い意地が張っているとは思わないけど。幽々子さんの外見から察するに、十代前半、過ぎていても二十歳くらいだろう。私だって甘いものとくれば、普段の食事とは別に入ってしまう謎の胃袋がある。
 ビバ、便利袋。なんて威張れることではないな。

「そうそう、桜の話ね」

 肩をがっくりと落として引き上げていく妖夢さんを遠目に、幽々子さんが切り出したのは先ほどの話である。
 つまり、妖夢さんを含めた三人で話すより。
 私と、幽々子さんの二人で話したほうが都合がいいと、いうことなのだろう。

「ほら、あそこに大木があるの、見えるかしら」
「? 確か咲かない桜だって、妖夢さんから聞きました」

 他の桜木とは一線を引くその巨木は、何百年と、この地に根をつけていたのだろう。
 しわくちゃな木片で覆われた外壁は、一見弱そうだが、いざ触れてみるとものすごく硬い。太い幹から生える枝達は力強く、この桜がまだ現役だという証明にもなろう。
 雄々しい姿は、まさに周囲に散っている桜のリーダー格といっても過言ではない。
 だというのに、この桜と、周りとでは大きな差が、はっきりとわかる違いが見て取れる。
 新緑で空を覆う桜に対し、この桜は緑の形、小さな芽すらないのだ。

「不思議ですよね。今の時期なら葉を芽吹いてもおかしくない、花を咲き終えた後に来る哀愁さが、一つの風情でもあるというのに」

 まるで死んでいるように、葉を咲かさない。
 こんなにも生の脈動を感じるのに、巨大桜の時間が止まっているかのよう。

「あらあら、予想に反して、未来ちゃんは意外と詩人なのね」
「見たままの感想を言っただけですって」
「現実的に考えて? それにしても、死んでいるように、という言葉は、言いえて妙よ」

 酷く場違いな微笑を浮かべながら、幽々子さんが塀の向こう側にある、咲かない桜に近づいていく。

「ここは既に死人の場所。桜にしても松にしても、枯山水といった生物でない形にしても、須らく死んでいる場所。であれば、あの桜が死んでいるのは至極当然で、周りの桜が異変なんだって、思えない?」
「反転ですね。我々は生きているのではなく、常に死に続けている。哲学者が良く使いそうな言葉です」

 人は生まれたときに命を与えられ、平等に死を育んでいる。生という名は死ぬまでの一生をいい、生きるという言葉は、死の成長を終える時までのことを意味する。

「でも、それでは根本がずれることになります」

 どちらが生でどちらが死んでいるのか。という概念を撤去しない限り、この白玉楼では常に異変が起こっていることになる。
 多くの桜が屋敷を取り囲み、今か今かと何かを待ち望んでいる空想か。
 一本の大木が屋敷を見下ろし、いつまでも何かを待ち続けている空想か。
 それはどちらにしても、非現実的だろう。

「そっかそっか。それじゃあ未来ちゃんには正直なところ、教えちゃおうかしら」
「是非。あれってなんなんですか?」
「んーっとね、実を言うと、私も良くわからないの」

 ……はっ?
 それは、一体どういう意味なのだろう。

「何かはわからないけど、桜が咲けば面白いことが起こるんじゃないかなーって、桜を咲かせようとしていたのよ。そしたら失敗しちゃった。てへっ」
「てへっ、って笑われても」
「てふ」
「今は懐かしい古文使われましても」
「てへっ☆」
「魔法少女はもう間に合っていますからっ!」
「未来ちゃんはツッコミが上手いわねえ。こっちの世界じゃ貴重な人材よ。さておき」

 かわいらしいポーズを取ったのは誤魔化すためなのか、それともマジなのか判別が付かないが、ともかく話は戻る。

「そういうことなのよ」
「そういうことって……何もわからずにあの大きな桜を咲かせようとしたんですか?」
「いけない?」

 いけなくはないけど、常識的に考えられるだろうか。
 周りとは異なって聳え立つ巨大な木、もしかしたらその木には、曰くつきの伝説とか、咲いたら世界が引っくり返るとか、呼び覚ましてはいけない封印が施されているとか、そういった可能性を幽々子さんは考えないのかなあ。

「まあ、既に常識とは一線を掻く場所に私もいるわけだし」
「そうそう。普通の世界から摩訶不思議な世界に変わったのであれば、逆にそのギャップを楽しまなきゃダメよー。それでなくともこの屋敷には娯楽が少ないでしょ? だったらなおさらね」
「言われてみれば、ですけど」

 アレだけ時代錯誤な遊具なのだ。何度も扱っていれば、自然と飽きもしよう。飽きたら飽きたで新しい刺激が欲しくなる。そう考えてみれば幽々子さんの行動も、刺激を欲する延長線上のもののように思えてくるから不思議だ。

「あ、それとね未来ちゃん」
「はい?」
「妖夢のことなんだけど、根掘り葉掘り聞くのは、ちょっと控えて頂戴ね」
「根掘り葉掘り、ですか?」

 はて、私はそこまで深いことを聞いただろうか。

「あの子もここに来て随分なんだけど、庭師って結構大変なお仕事なの。博麗の巫女が来たりしても、いつもの癖で剣を抜いて、追い払おうとするし」
「……」

 庭師が剣を抜いて、巫女を追い払おうとする光景を浮かべてみたが、とても胡散臭かった。
 や、そもそも庭師というのは脚立に乗って松の木を整えたり、散った花や葉を箒で掃き取るのが仕事だろう。何故剣を抜いて、しかも人を追い払うのか。
 ……いや、人を追い払うのは当然か。
 ここは冥界。人の世から隔離された死の世界。
 であれば、人がここに来ること自体間違いなのだから。

「だからね、周りもちょっと妖夢とはなかなか深い仲に慣れなくて。宴会の席ではあの子も気のないふりをしているけど、本当は、寂しがり屋なのよ……」

 喉の嗚咽を我慢するようにして紡ぎだした言葉は、とても辛辣で、嘘の薫りはまるでなかった。
 確かに、常に攻撃的な位置に身をおき、人・妖が溢れる幻想卿で、半人半霊の中途半端な存在である妖夢さんが友達を作るのは、大変なのだろう。
 その大変さを隠すために、日々一生懸命庭師の仕事をし、幽々子さんに認めてもらうことこそが、彼女なりの結果なのかもしれない。
 中途半端で在るが故に必死になり。
 必死で在るが故に遠ざけられる。
 皮肉な話だ。寂しい気持ちをわかって欲しい人たちにわかってもらえず、頑張り続けることでどんどん遠ざけ続けるのだから。

「そう、でしたか」
「だから、余計な詮索とか、あまりしないであげてね。私でよければ色々話して上げられると思うから」
「わかりました。この話はなるべく幽々子さんに聞くとします」

 しっかし、あんだけ幼そうに見える妖夢さんに誰も友達になってあげないというのは、些か冷たすぎじゃないか? 幸いかどうかはわからないけど、こっちの世界は女子が多いんだし、仲間はずれにするのは酷い話だ。
 そもそも白玉楼にやってくる精神が知れない。ここは死者のための場所なのであって、生きている人が来る場所ではない。来たら妖夢さんが攻撃するのは当たり前だし、普通ならこんなところに用事なんかあるはずもなかろう。

「じゃあすみませんが、私はちょっと用事ができてしまったので、下界にでかけてきます」
「あ、引きとめさせちゃったわね。いってらっしゃい。どこへ行くの?」
 行き先を告げると、あああそこねと納得したかのように幽々子さんが相槌を打った。どうやら幽々子さんも何度かそこに行ったことがあるようで、それなら近道を教えてあげると簡単なメモを書いてくれた。

「茶葉を取りに行くんでしょ?」
「はい。そこは良い葉が取れるんですか?」
「葉も取れるし、ひょっとしたらおいしい山菜が溢れてるかも知れないわね。今は何が季節だったかな」
「じゃあ、おいしそうなのがあればとってきますね。今日の夕飯にしてもいいですし」

 この時、何故気が付かなかったのだろう。
 相手は西行寺・幽々子、ボケ殺し魂魄・妖夢を手玉に取るほどの強敵が、私に対して、これほど親身にしてくれるということに、何の疑問も抱かなかったのは、生涯を通して後悔したほうが良いと願わんばかりの失態。
 近道を教えてあげる。
 そんな野苺のように甘ったるいことが、彼女の口から発せられることは、間違いなく罠だと認識するのは、今から後三時間後。正午を過ぎた辺りになる。










        2








 大階段を下り、北東のほうへ半刻ほど進んだ辺り、魔法使いの住む森を通り過ぎ、更に二つ山を越えてから小春のような風が吹く麓を、私は地図を見ながら歩いていた。
 歩く、なんていう表現を用いても、実際は歩くように見えて浮遊しているだけで、地面を踏みしめる感触はあんまりない。人間だった頃の感触はどんどん失われていく一方だが、逆においしいことといえば、どこに行っても疲れないし、どこでも行けるという利点が増えたことだろうか。
 山頂付近にかかる雲はゆっくりと流れ、風には草花の匂いが含まれている。
 遠めには鹿が群れをなして草を食べており、林からは虫たちの鳴き声が響く。
 こう言っては何だけど、私が元いた場所に比べたら、ここはとんだ時代遅れの場所だった。面白くもない学校に嫌々通い、友達を話す。話しては昨日あったテレビで、どうでもよさそうな芸能人の名前をあげては、相手の表情を気にしながら話題をつなげていく。外を見渡せば汗水たらして臭そうな大人たちが右往左往、何をそんなに必死になっているのかと問えば、お前達のために頑張っているんだの一点張りときた。
 まっ、もちろん。
 勉強は理解力をつけるために行い、ひいては成績によってそいつの人生の大半が決まる。なんてことは、現実的に生きている奴なら誰だってわかること。
 そうして私たちは、常に「生きなければならない」っていう強迫観念の元、良くわからない数字に目をやり、意味が良くわからない漢文を翻訳したりしていた。
早い話。
知っていてもおかしくない世代だというのに、私たちはいつも生きる意味を与えられず、知らず、目的すらもわからずに、毎日見えない明日のために生きてきた。
そうして知ったことは、ただ無作為に働き、生き続けること。
 なんて意味のない生き方なのだろう、と思ったところで、世間様は上手いことできているのだから泣ける。安全に生きていれば、最低限の保障は付く。
 言い換えてしまえば、国の家畜。
それはつまり、人間が地球を侵食し、コンクリートで固められた建物の間を行ったり来たりして、国という偽りのコミュニティを作り上げ、知らずのうちに人は働き蟻のように支援している。
 私の知っていた場所は、そういうところだった。
 けれど、ここはなんだろう。
 動物達が自然と放され、草木が生い茂っている。人間にも妖怪にも、もちろん幽霊にだって支配されてもおかしくない世界は、人間にも妖怪にも幽霊にも支配されずに、そのままの形を保っていた。
 支配欲を悪戯に立ち上げなければ、誰も多くを望まない。自分達の本能が赴くままに好き勝手なことをして、静かに眠る。
 つまり、平等。誰もが一番を目指すわけでもなく、ただ己がいることを誇示しているだけ。それ以上は決して求めていないのが、この結果なのだろう。
 夢の都、幻想卿。
 まさに、御伽噺の世界に迷い込んだ気分だ。
 さて、話は戻って茶葉を取りに行く話しになる。
記されたマークを辿る限り、この先には小川が流れているようだ。草原を下り、竹林の入り口伝いに沿って歩くと、川が見えてくる。そこから下流へ真直ぐ進み、川の向かいに花畑が見えてきたところで、竹林へと入っていく。
 遠目からでもわかるが、随分と数多くの竹が乱立しており、林の中は薄暗い世界に覆われている。いくら昼間とはいえ、こうも薄暗いとなると入るのが躊躇われる。
 む、メモの最後に注意書きが……。

 空から入るのはダメね? キチンと歩きましょう。

                  幽々子

 ……。
 …………ふ。
 ふふふふふふ……。

 
 竹林に近づくに連れて、妙な温度差があることがわかった。多分太陽光が当たりにくいから、外気の温度に比べて、林の中は水分が多くひんやりとしているのだろう。藪蚊が多そうだ。
 事実、川の水が土手をはずれ、内陸に流れている。少量ではあったが、湿気を出すには十分のようで、いたるところに蚊が飛散していた。嫌過ぎる……。
 川沿いを除いてみると、どこもかしこも蚊の大群がまるで防壁のように竹林をガードし、通れるような道も全て埋め尽くしていた。なんだかこっちに来たせいで虫に邪魔されている感がある。まだ入り口にも入っていないけど。

「川に入ったほうが幾分ましかなあ」

 別に虫の中を突っ切っても、蚊に触れることはないので問題ないといえばないのだが、羽音にしても生理的に考えても苦手なものは苦手だ。できる限り避けて通れるものであれば、もとある人間通りに行動は取っておきたい。その方針通りに考えると、空から竹林に侵入するという考えは初めから破綻しているわけだから、一切問題はない。
 川に足を浸けこんでみる。当然のことながら感触はないが、少し冷えたようにも思えた。

「おや、こいつは珍しい。幽霊は幽霊でも、人間の幽霊がこんなところをうろつくとは」

 む、そういうあんたは一体誰だ?
 そこには大層煌びやかな衣服を何重にも纏い、金の髪飾りで髪を留めた、ちょっと古めかしい女の子。
 ふわふわと宙に浮かんでこちらを見下ろしている限り、あまり良い印象は持てそうにない。妖怪といえば確かに人にとって畏怖の対象だから、良いもなにもないのだろうけど。

「ぬし、この辺は初めてか? あたしの顔を見ても驚かないって事は、どこかの浮遊霊なんであろ?」
「そういうあなたは河童かしら? あいにくと膏薬は間に合っているんだけど」
「はははっ、河童に膏薬とはまた古いことを知っている女子だ。あやつらの中には未だに膏薬を使っている者もおるがな、残念ながらあたしは河童の類ではないよ」

 あたしは真夜、九十九・真夜さとそいつは言った。
 まあなんとも偉そうな子供が腕を組んでふんぞり返っているものだ。一度頭でも掴んで礼儀の何たるかを叩き込んでから行くのも悪くないが、私は私で今やることがあるし、そもそもそんな面倒ごとに首を突っ込むほど馬鹿ではない。ここは無視して進んだほうが利口というものだろう。
 小さくため息をつき、だんまりを敢行すると、どうやら真夜は意図を察したらしく、嫌味な顔を浮かべてこちらへとにじり寄って来た。

「ははあ。さてはおぬし、飛ぶことができないな? いやはやなんとも奇なるものだ。空を飛ぶことはおろか弾の一つも出すことができぬとは」

 空も飛べるし玉とはあの馬鹿らしい『ごっこ』のことだろうが、私にとって空を飛ぶのは付属であり玉は必要としていないだけなので、お前さんに突っ込まれるほど馬鹿なことだとは思っていないよ。

「大方この幻想卿に紛れ込んで妖怪どもに食われたという類であろう? なんとも残酷にして平凡な死に方よのう。おぬし、それを不思議と思わんのか?」

 不思議でもなんでもない。単にそれは私が死んだという事実があるだけで、死に方が平凡なのはいつにしたって変わることはないだけだ。
 自殺にしたって、殺害にしたって。それが妖怪に食べられたという事実が書き込まれただけ。
 結果と過程を混ぜようが分け隔てようが、死んでもここにいるという現実がある限り、不思議は存在しない。

「ふむ、誘っても返答しないとは……、では」

 むにっ、と。
 頬をつねられて、思わずあとずさった。

「なっ、なななにを!」
「ほほう。なにを、と言われても、あたしはただ頬を挟んだだけだぞ。柔らかいのうおぬしのほっぺは。弄繰り回したくなる気持ちよさじゃ」
「じゃなくて、なんであんたが私を触れるの、と聞いているのよ!」

 幽霊同士なら触れるものなのだろうと納得し、魔法使いだから特殊なものを使ったのだろうと強引に納得した。
 だけど今度の相手は見知らぬとはいえ、幽霊や魔法使いの風貌にはとても見えたものではない。むしろその辺にいそうな――。

「妖怪、とでも思ったかえ?」
「……驚いた。妖怪っていうのは触れるだけじゃなくて、心さえも読めるってわけ?」
「いやいや、顔を見ればなんとでもわかるよ。そういった顔をしておるからな。大層可愛がられるだろうて、百面相のようにころころ表情豊かに変わるとあれば、誰かしら寄ってくるに違いなかろ」
「持論は聞いてないわ。私はここを通りたいだけ、別段、あなたに危害を加えるつもりなんてまるでないんだけど」
「ほうほう、それはまた奇なる事を言う。あたしのいるところで話を振っても、まるで聞こえぬと言わんばかりに素通りしておった女子の言う言葉とは思えんな」
「それは」
「食われると思ったかえ?」

 そりゃ。まだこちらに来て一ヶ月程度だ。
 いきなり全てに慣れろなんていうことは到底できなくとも、妖怪程度をあしらう事はできるんじゃないか。そんな自尊心があったことは否定できない。

「はっはっ、人間とはいつの時代も硬い頭をしておるからの。妖怪などいない。天使などいない。賢者となるに連れて人間は聡明過ぎたるものだが、凡夫のままとあれば、妖怪どもに喰われても文句は言えないな」
「言っている意味が分からないわね。結局のところあなたは妖怪なの、人間なの?」
「さて、妖怪と言えばそうかも知れんし、人間といえば人間、かも知れん。そう、人妖とでも表そうか」

 人妖。
 人でも妖怪でもあり、人でも妖怪でもない者。
 九十九と名乗った少女は、意味ありげに含み笑いを忍ばせながら、私の前へ横へ後ろへと、ゆっくり旋回している。

「では幽霊や。あたしはぬしの問いに答えたので、そろそろこちらの問いに答えてもらおうか」
「……問い?」
「そう、まずおぬしの名じゃ。名はなんという」

 ――考えて発言をしたほうがいいのだろうか。
 事は妖怪。迂闊なことを発してしまっては、後々後悔することになりかねない。名前一つくらいはどうでもいいことかもしれないが。
 もし、私を追い込む誘いだとしたら?
 もし、この笑顔がニセ者だとしたら。

「そんな警戒せんでも、取って喰いはせんよ」
「どうかしら、妖怪は人を襲う種族だし、簡単に信用するのは馬鹿のすることよ」
「ほう、ほうほう。認識は間違っておらんな。妖怪どもは確かに人間を食べる。まごうことなき事実をぬしは申したし、種族という分け隔て方も正しい。彼奴らは化物と呼ばれるのを好まぬからのう」
「名を名乗る理由は?」
「名も知らぬままでは会話も弾まなかろ?」

 そりゃ、確かにそうだけどね。
 とはいえ、正式名称を明かすのはどうしても躊躇われる。どうにか言葉を濁したいのだけど……。

「名前は、みっちゃん。そう呼ばれてた」
「呼ばれてた? はて、随分と曖昧な言い方やの」
「昔の記憶が大分なくなってね。正確なところ思い出せないの」
「なるほど、妖怪に喰われた所で自らの記録回路も一部消去されたか」

災難よのう。と軽やかに口にする九十九・真夜。
 彼女の目的は一体なんなのか。

「じゃ、次の質問じゃ。どこから来た?」
「白玉楼……って、わかるかしら」

 その名を発したところで、九十九・真夜はなんだとばかりに旋回するのを止め、気配も何もないまま私の横につけた。

「白玉楼、ということは、ぬしは西行寺の?」
「幽々子さんのお使いでこっちに来たのよ」

 しめた。どうやらこいつは幽々子さんのことを知っているらしい。
 そうであれば話は簡単だ。彼女の使いであることをここでアピールをしておけば、そう簡単に手は出せないだろう。幽々子さんはかなりの力の持ち主らしいし、ここで私に手を出せば、彼女の機嫌を損ねることに等しい。であれば、この妙にうっとうしい少女も、興味を失って帰るに違いない。

「私ね、急いでるの。ここを通してもらえない?」

 そういうと真夜は少し、ほんの少しだけ悩んだ素振りを見せ、合点が言った風に一度頷いて私の前に再び回り、

「葉か?」
「はっ?」
「だから、茶葉が欲しいのか。と聞いているのだ」

 えらく神妙な顔で問い詰めてくるので、思わず引いてしまった。

「え、ええ。そうよ。白玉楼で使う茶葉がなくなったらしくって……」
「なるほど、では途中まで案内しよう。案ずるな、キチンと目的の場所まで連れて行ってやる」

 言うが早いか、真夜はそのまま川の流れに沿って進んでいった。
 突然の出来事にあっけらかんとしている私を振り返り、「早くしろ」と言葉をかけるのは、一体どのような、どういった理由から、先ほどのおちゃらけた表情を変えることになったのだろう。
 暫く進み、ようやく追いついたところでその質問をぶつけることにした。

「九十九さん?」
「真夜でよいぞ。なんじゃ、半刻もすれば入り口に着く。飽きるにしてはちと早いの」
「そうじゃなくて、ええっと、真夜? 幽々子さんを知ってるの?」
「そうのう。百年単位で生息していると、顔見知りも増えるというものよ。幽々子は古い知人に当たる」

 そっか。確かに真夜も長く生きる種族であれば、幽霊とだって知り合いになることもあるだろう。とすれば同じように幽霊である妖夢さん、幽々子さんとも顔見知りになることは決して無い話ではない。
 しかし、人妖と自らを表する真夜が、一体どういった経緯で幽々子さんと会うのだろう。
 突然キキ、キキキッと、動物っぽい鳴き声が聞こえる。動物だといいが。妖怪だったら逃げ出したい気持ちだ。

「心配せんでも、今のところ妖怪は近づかんよ。昼間のうちに出てくる妖怪など、未だかつて稀じゃ」
「そう、なの。真夜は?」
「あたしは稀じゃな。稀少品ぞ?」
「この世界はとても稀少に満ち溢れているのね」
「しかし、行くまでの間は暇じゃな。ちと些細になるが、どうじゃ、退屈しのぎに遊んでみるか?」

 またこの世界で大流行真っ盛りの弾幕ごっこ? あいにくと私は争いごとは嫌いだし、例えごっこといえど、死ぬかもわからない真似事をしたくもないよ。やりたいなら一人でやって欲しいもんだわ。

「そうかえ? しかし、そういっていられるのも初めのうちやも知れんぞ。ぬしはあの屋敷で温室育ちなのであろ。であれば、いずれな」

 まあ百聞は一見にしかず、と真夜が懐から何かを取り出したのが見えた。
 どうやらそれはスペルカードというもので、自らが考案した弾幕を封印した、一種の武器なのだと説明した。まあ弾幕だというほどだし? 小さいのと大きい弾を山ほど手に持っていたんじゃ、戦うも何もあったもんじゃないからね。

「よく見ておれよ」

 パッと、宙にふわりと浮かんだカードに、


 〜〜瞑符・不浄蓮華〜〜


 そう言霊をのせた。
 刹那、カードは消失し、一瞬の静寂が訪れる。

「……わっ」

 昼間だというのに、私と真夜の上には一面の華が咲いていた。
 透き通った華、川の水を汲み上げて睡蓮を描いているのだろう、四筋の糸が華に向かって伸びており、少しずつ形を造ろうとしていた。
 水に浮かぶ睡蓮が、今水によって蓮を象っている。なるほど、これはキレイだ。

「どうじゃ。これもまた弾に生りえるものだぞ」
「む」

 こう言われてしまっては私とて返す言葉がない。事実、私はこの蓮に見蕩れてしまい、キレイだと感じてしまったのだ。自らの感情に蓋をして、芸術を虚像と偽ってしまえば、この華も穢れるというものだろう。
 とはいえ、こんなにもキレイな形を造ることができるというのに、何故また崩してしまうようなことをしなくてはいけないのか。

「簡単なこと。この世界を総括する娘が平等を求めているからの」
「意味が分からないんだけど」
「あいや、わからないのも仕方あるまいて。ぬしは生成するのを拒んでおるし、知る必要もないことだからの」
「なんでよ。知るも知らないも、関わらなければいいことでしょ」
「知るということと、知っておくというのでは覚悟が違うということ。ぬしが言っているのは単に興味で知りたいといっているだけに過ぎぬ。そんな覚悟じゃ、教えることはできんの」

 笑ってごまかす真夜が「封」と唱えれば、宙に浮かんでいた華は、命をなくしたかのように急速落下し、大きな音と共に川へと同化していく。
 知ると、知っておくこと。程度の問題だとなんとなく解釈していたが、真夜の言っていることはもっと違う意味のことだろうか。
 確かに私は色々なことを知ろうと図書館に本を借りに行ったり、身近な人間――例えば蓮子とかがいい例――からどうでもいいような与太話を聞かされてきた。それは今となっては、決して無駄なことではなかったし、これからもきっと無駄なことではなかった。現に、蓮子のいうよくもわからん世界が、今私がいる場所なのだし。
 しかし、どうして知っておくことすら許されないのか。その覚悟とは一体なんなのか。まるで見当も付かない。
 九十九・真夜の言っている覚悟とは、一体なんのことなのだろう。

「さて、時間もまだまだたっぷりあるし、ぬしの時代のことでも話してもらおうか」
「私の時代?」
「時代とは時が代わっていくこと。一つの暦が終わるごとに、時は新しく代理が用意されるものじゃ。つまり、あたしのいた時と、ぬしのいた時、差は大きかろ?」
「世間ではそれを世代と呼ぶと思うけど」
「はははっ、世代とはまた奇なる話じゃ。世を基点として見ておるなら、差し詰めぬしは神か式の類かえ? あたしはぬしが見た世を聞きたいのじゃ」

 道すがら、私は真夜に現代の世界、私の知っている世界を、大まかにだが話すことになった。
 くだらない学校のこと、平凡な生き方、友達、家族、日常、平和、戦争。取りとめもない会話の中で、とりわけ真夜の興味を強く引いたのが戦争の話題だった。どうやら彼女のいた時代には他国というものは想像の範囲で、一部として知られることはあったものの、そこまで細かな情報を得られることはなかったということだ。
 真夜も自分がいた時代のことを話してくれたお陰で、大分どういう人だったのかもわかってきた。今で言う関西、和歌山辺りの神社に勤めていた人で、修行僧だったとか、各地を練り歩き、参拝をし続けていたところ、迷い込んだらしい。今時と考えれば参拝をするために和歌山から各所歩き回るなんて、お遍路じゃあるまいし、普通の思考を持っている人であればなんてナンセンスなことだろうと一笑に伏すだろうが、真夜の時代はそれが普通だったのかもしれない。
 それに話してみる限り、彼女に敵意といった攻撃姿勢は見受けられるものはなかった。先ほどの華といい、会話を楽しむ語り口調といい、本当は人と話すことが結構好きなんじゃないだろうか。
 それとも、幽霊だからこうして話してくれるのだろうか。憶測が頭の中で飛び交う中、ただ一つハッキリしているのは、私はまだ襲われる心配はない。という、漠然とした自信だけだ。
 やがて右側に広がっていた草原も、いつしか木々が茂る林へと変化し、風に靡く草の音がやや強みを増してきたところ。

「この先に花畑って、あるの?」
「あるよ。花畑というにしては種類が少ないが」
「ふぅん……随分と寂しい花畑なのね」
「寂しい、か。うむ、なるほど。考え方によっては寂しいと思うかも知れんな」
「色彩豊かな花畑のほうが、見るほうは楽しめるじゃないの。どうしたの急に」
「いやなに、もう答えはぬしが言ったようなものなのだが」

なによ。また自分だけ納得した風にするのは、ちょっとずるいんじゃない? 今度は私にもわかるように説明してくれないと、いくら幼い格好しているからって、今度は本気で怒るよ。
 真夜は苦笑いをしながら、どう説明したものかと空を眺めつつ、口笛を吹き始めた。どうやらその手の質問は自分で考えろと遠まわしに忠告しているのかもしれない。言葉を紡ごうとしては止め、止めては何か思い浮かべたかのように発しようとする。しかし、結局は何も言わないまま時間は無為に過ぎていく。
 ……。
 …………。
 こめかみをグーで挟んでやった。

「いぃいたあっ! な、何をするのだぬしは!」

 おっ、やっぱりこちらからでも触れることはできるのか。

「だんまりするのか喋るのかハッキリしなさい!」
「あたしは、別にどう説明しようかと悩んでいただけでだなあ」
「うりうりうりうり」
「に、にゃああぁああぁぁぁ!」

 いやー、久々に人をおちょくる快感を得ることができるとは、なんとも清々しいねえ。
 涙目でもう止めてと懺悔する仕草がまた、くぅ、可愛いなあもう!

「暴力は止すんだ! ここは暴力に頼ったら人間が太刀打ちできなくなる場所なんだからな!」
「えーえーそうですね、私はどうせ玉も出せなけりゃ、真夜が出す華のように芸術を嗜む心もありませんよ。そんなことはいいから、まずは言いたいことを吐き出しなさい!」
「にゃああ!」

 うめぼしをくらうなんて暴力というよりはお仕置きの部類だ。こんな些細なことで暴力など言われては、今後いかなるときにも言語で解決しなければいけなくなる。そんなあちらさんの風潮めいたことは、考えただけで虫唾が走る。
 どうやら痛さも八分。反省もしてきたようだし、両腕から真夜を開放させてやった。しばらくは痛みが残るだろうが、その痛みを今後の教訓に生かして欲しいのが、本来の望みでもあるんだけどね。

「おおう、暴力的な女子とは露ほども知らなんだ」
「あんだとこのチビっ娘は」

 そこまで痛々しいことをした覚えはない。

「しかし、言うことはわかった。人前であれだこれだと迷うのは、時として迷惑だと、言いたいのであろう? ほほう、今考えれば迷惑とは迷い惑わすと書くか。ぬしの言葉によって、私の迷惑は払われたというわけだ。感謝するぞ」
「えっ? あ、うん。どうも……」

 感謝されることかなあ。
 そりゃお仕置きをしたのは正しいことだと思ったからだけど、なんだかそこまで急に改められると、こっちが妙にこそばゆくなってしまう。

「うむ、先ほどの問いだが、ぬしは種類の少ない花畑を寂しいと、そう言っておったな」

 色彩豊かなほうが、見ていて楽しいのにと、確かにそう言った。

「じゃが、それは私たちが楽しいのであって、花達が楽しいという意味ではなかろう。付け加えれば、一種類の花だって、時には周囲に負けないほどの艶やかさを演出することだってできる。ということをあたしは言いたかった」
「……まあ、そうかもね」

 さっきの、水でできた蓮だって、闇夜に包まれた場所では、きっと何の味も出なかっただろう。
 昼間造り上げたからこそ、太陽光の反射を引き込み、虹を描き、澄んだ透明感を存分に表現した。一瞬であったからこその芸術性も、花ではない、水という華を用いた発想も、全ては演出によるものだ。
 言い換えれば、ただ一つの花があるあという先入観だけで、私は花に対して評価を下してしまった。

「それはちょっと、悪いことを言ったわね」
「殊勝な心がけだ。反省の美学を知っておる人間なぞ、久しく見るよ」
「一方からしか見ていなかったしね。歩道に咲く一輪の花だって、キレイと思うわよ」

 硬いコンクリートの下から出てくる雑草は別としても、蒲公英だと違って見えてくるし。

「で、後どれくらいなの? 結構歩いたはずだけど」
「はっはっ、ぬしの身体で歩くとは真に奇なる言だの。幽霊に足はあるのかえ?」
「もう一度やられたいのかしら?」

 さりとてそれは叶わぬ話よと、今度は少し前に出て真夜は語る。
 どうやら終着点についたようだ。左側の竹林にはぽっかりと、人を招き入れるために存在するような入り口があり、竹は入り口を模って折れ曲がっているほど。さすが妖怪の住む世界だ。硬い竹でこんなことをするとは、芸が細かい。
 しかし見えるといっていた花畑が、てんで目に付かないのはなぜだろう。幽々子さんにしても、真夜にしても、花畑は在るよと言っているのに。

「ここでいいの?」
「ああ、ここよ」

 そういったきり笑顔で締め括る真夜の顔がなんだか憎たらしい。さも「お前さんに茶は手に入らないだろうけどな」とでも言いたげにこちらを見下ろすあたり、性格なのだろうか。だとしたら今度強制的に直してやる必要がある。覚悟しとけ。
 中は意外と太陽の光が射し込んでいるらしく、じめじめとした雰囲気は見受けられない。薮蚊も少ないし、どうやらこれなら一人でもいけそうだ。

「ありがとうね真夜。何はともあれ助かったわ」
「なに、袖振り合うも他生の縁って奴でな」
「あんたがいうと、なんだか妙に説得力あるわね。まあいいわ。さっさとお茶を手に入れて幽々子さんのところに――」

 僅かに進んだだけ。それは人の時で言えば一歩であり、凡そ三十センチも進んでいない、それくらいに短い間を進んだだけなのに。
 私の頭を、妖怪が食い千切ったと思うほどの寒気が襲った。
 呼吸することすら苦しい。震えこそないものの、少しでも動こうものなら得体の知れないナニカが私を襲い、心ごと破壊してしまう。恐怖を超えた絶望が、手を広げて待っている感触。
 そう、言い換えればこの先は魔窟だ。
 魔に支配された場所。自分でもいけそうだとか安心なんてもってのほか、入ったら最後、二度と出ることの叶わない地獄。
 呼吸を抑えて後ろに下がる。うまく下がれたのかはわからないけど、きっと私の顔はものすごくおびえた顔をして、酷く惨めだったろう。その様子を傍から見ていた真夜は、相変わらずの笑顔で私を見て、小さく頷いていた。

「良くわかったの。とても正しい判断じゃ」
「あんた、知ってて――」
「試したのは悪いと思っておる。すまなかったな。じゃが、それは必要最低限、暴力にしても弾幕ごっこを嫌うにしても、みっちゃんは必要になってくるものよ。今ならわかろ?」

 後ろを指差され、川の上流を眺めてみる。先ほどまで何の変哲もなかった木々のスキマに、黒い靄が所々に染み付いている。その全てが先程の畏怖とまでは思わないが、きっと傍を通っただけで私は萎縮していたに違いない。

「あれって」
「妖気だの。ああやって自分の縄張りを妖怪たちは主張して、不可侵を保っておる。意思を持たぬ妖怪もおれど、こと水辺に近いこの場所は力のある妖どもが多くてのう」

 幽々子さんはこんなところに私を放り込んだというのか。幽霊だから冷や汗はかかないものの、人間だった頃は冷や汗だけで済んだだろうか。生きた心地がしない。いや、もう死んでるけど。

「ほれ、此処に木に巻き付いた向日葵があろ? ここの妖怪は一際力が強くての。太刀打ちできるものはそうそうおらんのよ」
「……真夜、あんたは平然としているけど、大丈夫なの?」
「あたしか? ふふっ、あたしはのう」

 含み笑いを忍ばせて笑う真夜は「さて、遊びが過ぎたな、もうすぐそこだ」と先を促し、一人で勝手に前に進みだした。
「ちょっ」慌てて私も追いかける「置いていけないでよ」

「みっちゃんや。先程体験したものは如何じゃった」
「怖いなんて形容がちゃんちゃら可笑しいわ。あんた私があのまま中に入っていったらどうするつもりだったのよ」
「その時はその時じゃ」

 つまり見殺しってことかい。随分といい性格してるなあこのチビっ娘も。

「はっはっ、だからこそ自衛手段として玉が存在する。勝負して、勝ち負けをハッキリさせる。敗れなければ良いことよ」
「弾に当たって死んだら?」
「その時はその時じゃ」

 笑えないジョークね。相手がどれだけ強いかもわからないのに勝負を挑んで、負けなければいい? だとしたらそれは敵に遭遇してしまうほど最上級に運の無い人で、弛まぬ努力を毎日欠かさずしているオリンピック選手も真青な猛者なんでしょうけど。

「もう大丈夫であろ? もうぬしの眼にも視えてるはずだが」
 えーえーお陰さまで。さっきからいろんなところに黒い靄が竹林に張り付いて、視ただけで君が悪いですよ。早くお茶を持って帰って、幽霊専用のシャワーでも浴びて布団にもぐりこみたいわ。

「そんだけ可愛いことを言えるのであればたいしたものだ。では行こう。もうすぐそこだ」









        3









 果たして、真夜の言っている入り口は、実に簡素なものだった。
 ただぶっきらぼうに立て看板が地面に刺してあり、「茶葉、お譲りします」と汚い字で乱暴に書かれている程度。こんなんでいいのか?
 花畑なんて対岸の雑草に生えている蒲公英程度、さっきみたいに大きな向日葵もなければ、菫の一つでも咲いていればもう少し様になったかもしれないのに。打って変わって、こっちはボロを感じさせる風貌に、一瞬なにを言えばいいか忘れてしまったほどだ。

「この先に行けば次の案内人がいる。そやつに今度は導いてもらえばいい。ぬしだけでは危険だしの」
「今度は本当に大丈夫なんでしょうね?」
「信用がないのう。まあ、それも已む無しか。安心せい、今度はえらく本気よ」

 だがみっちゃん、と真夜は一言。

「あたしがここに案内をしたということ、他言無用ぞ?」
「そうなの? 別に恨まれる性格でもないでしょ」
「想われるのと、感じるのは紙一重じゃ。案内を引き継いだなんて聞かされて、良いように捉えるのは鈍感の証拠よ」

 なるほどね。そりゃ得も知れないやつの後を任されるって言われて、いい気分はしそうにない。

「それはそうと真夜、ちょっと」
「なんじゃ、あたしがいなくなって寂しいか?」

 近くに寄ってきたので、容赦なく羽交い絞め、こめかみを絞り上げる。

「に、にやああぁあぁあ!」
「人をいきなり殺そうとした罰よ。うりうり!」
「だっ、だってそれはちゃんとした理由がだのう!」

 理由があったところでやったことに変わりはないだろ。お前さんはさっき友達になったばかりの人をいきなり殺そうとして、はいそうですかと納得できるやつかと思っていたのか? いい根性だ、修正してやる。

「痛い痛い痛い! 痛いよみっちゃん!」
「痛いくらいが反省しやすいのよ! ほれほれ!」

 ふん、どんなもんだってのよ。少しくらいはこちらの気持ちくらい汲んでくれたって罰はあたらんでしょうに。おいたの過ぎる子供にはこれくらいが丁度いいのさ。
 段々泣き声になってきたのでようやく放してやるが、これに懲りて今度はもう少しやり方を考えて欲しいと切に願う。それにいくら真夜が妖怪に襲われないといっても、まだ子供なのだ。子供は子供らしい遊びを、今度会った時は教えてやりたい。

「いい? 人を無闇に殺そうとしちゃダメだからね。わかった?」
「うう、だからそれは――」
「めっ!」

 デコピン一つ。
 これで済めば安いもんだ。

「約束して。人でも幽霊でも、優しく接すること。どうしてもって時はしょうがないけど、それ以外はダメなんだから」

 小指を出して、強引に真夜の指と絡ませる。最初は戸惑っていた真夜もその真意をどう捉えてか、難しそうな顔をしてどう対応すれば良いかわからない表情で俯いていた。

「ぬしは難しいことを言うの」
「慣れないことは全て難しいでしょ」
「それもそうじゃ。みっちゃん、あたしらは、だな……その、友達かえ?」

 なにを赤面して言ってるんですかねこの子は。

「友達よ。私たちは友達」
「一緒に、鞠付きしてくれるか?」
「ええ、友達だもの」
「遊びに行ったり、また外の世界のことを聞いたりしてもいい?」
「良いわよ。たくさん話しましょ」
「……えへへ」

 ああもうこっちが恥ずかしくなる笑いをしないの。とにかくこれで約束したから、なるべく気をつけるのよ。
 そうして入り口前で真夜と別れ、私は林の中へと入る。後ろのほうで手を振っている真夜が小さくなっていくが、それも暫くすれば見えなくなった。
 そういやあの子は妖怪なのか人間なのか、はたまた幽霊だったのか、まったく聞いていなかったな。まあ今度会うこともあろう、その時に聞いてみればいいことだ。
 さてこうして竹林の中に入って見ると、なかなかに不気味である。日の光は草木で隠れ薄暗く、蜘蛛の巣が至る所に張り巡らされ、時折動物――だと信じたい――の鳴き声が聞こえては、僅かに萎縮してしまうほど。
 一体全体どうしてこんなところに私を使いに出したのか、幽々子さんの目的がいまいちわからない。茶葉を手に入れるにしても危険な場所を指定してしまっては、万が一、それこそ私の意志によらぬ何者カの意志によって強引に変えられた、つまるところ運命が超々意地悪に転んだとしたら私は本当に消えてしまうのに。
 いや、きっと何か意味があるんだろうとは薄々感じている。さっきの真夜にしたって幽々子さんの知り合いだし、危なそうな妖気だって見えるようになったわけだ。この辺一体が薄暗いといっても感知できるのだから、真夜の取った行為は最低の行為とは確かに言い切れない。
 ああいかんいかん。後ろ向きに考えるからこそ幽々子さんを疑っているのであって、前向きに捉えれば決して疑う意味などなく思えてきたぞ。

「おや、なんだ? ここ」

 なんといえばいいのやら。じめじめした場所というよりは風通りがよく、むしろ人が普通に通っても可笑しくないような広さに出てきてしまった。無論周囲は竹林に囲まれているわけなのだが、さっきみたく蜘蛛の巣はおろか、ここだけ外界から隔離された空間のような。んー……つまり。
 雰囲気が違う。
 漠然とした物言いだが、その言葉がしっくり合う。張り詰めていた空気が、ここに来てなんだか緩やかになったのだ。
 枯葉で敷き詰められた地面、所々に伸びる竹の下には、時折筍をかじったような痕も見受けられる。とすると妖怪でもいるのかと思うが、それらしい妖気の影もまるでない。
 そんな場所がどうしてここに? と、疑問を口にしようとした時だ。

「おいっ」

 人間のときだったら口から心臓が飛び出たんじゃないだろうか。自然と前に進んでいた私の後ろから突然、本当になんの脈絡もなく声をかけられたときは、叫び声すらも忘れてしまうらしい。
 飛び退る体勢で固まってしまった私をどう思ったか、そいつは少しイラついた様子で私に尋ねた。

「お前、誰だ? この辺じゃ見かけないやつだな」

 ゆっくりと振り返る。足先まである青白い髪に大きなリボン、身体に合わない大きなズボンをバンドで止めて、変な格好をした男がいた。
 妖怪というには人間らしく、人間にしてはどこか場にそぐわぬ気軽さが印象的ではあるが、どこかたずねる言葉にも真剣さが足りていない。まる
で、また来たのか、とでも言わんばかりに。

「幽霊か。何でお前がここにいるのかはしらねーけど、幽霊なら帰れるだろ。ここは私の寝床なんだ」
「は、はひっ?」

 呂律すら回らなかったのは緊張の名残だと言い訳しておく。

「鈍いなあ。さっさと帰ってくれねーと、ゆっくり寝れないって言ってんの。判ったならさっさと――」
「藤原のぉぉォオ!」

 横を振り返ると今度はどっからどう見ても妖怪のイメージに沿った妖怪がいた。
 鬼のような顔をして――いや実際鬼なんじゃないだろうか――こちらへ走り寄り、手に持った棍棒をやたらめったら振り回している。ドスドスと乱暴な走り方は、なんだか良い印象は持てそうにない。妖怪なんだから当たり前だが。
 ところで隣にいる男の名前は藤原っていうのか。

「あっ、あなた人間……なの?」
「人間だよ。あー……、いやまあとにかく人間だ」

 その人間に妖怪が襲い掛かるって、ピンチなんじゃないの?
 あれ、もしかしてこれやばいんじゃない?

「逃げるわよ!」
「はあ? ちょっ、なにすんだお前!」

 有無を言わさずに藤原の手を取って走り出す。逃げる場所なんて全然考えていないが、今妖怪に捕まって食われるよりは全然ましだ。そもさん、藤原が暴れているが、体勢が整っていないせいもあって全然苦にならない。どうせならそのまま大人しくしていてくれ。こっちは妖怪の恐ろしさを先程味わって内心妖怪を眼にも入れたくないのだ。
丁度いいことに私は妖気が見えるし? どうせこいつはその辺の森から迷って、妖怪どもから逃げてきていたのだろう。うまくいけばこいつを人里に返すことだって出来るかもしれないし、それはそれで面倒ごとが減って一石二鳥だ!

「放せっ! っていうかなんで逃げるんだよ!」
「あったりまえじゃないの! 妖怪よ? 人食いよ? 襲ってくるのよ!? そんなの逃げたほうがいいに決まってるでしょうが!」
「待て、お前がなにを勘違いしてるか今スゲーわかったぞ! いいからまず放っ――」

 草が生い茂る地帯に思い切り飛び込んだ衝撃で、藤原の顔が後方へ吹き飛ぶ。しまったなあ、実体がないから草の中に突っ込んだけど、藤原は実態があるんだった。
 まあいいそんなことは些細だ。今はとにかく三十六系逃げるにしかず!

「素敵にふざけたこと抜かしてんじゃねえぞお前! ペッペッ、口に蜘蛛の巣が」
「我慢しなさい! 命がなくなってからじゃそんな苦い経験も出来ないのよ!」
「だから……っておいおい、そっちは崖なん――」
 …………。







         4








「あー、ほらなんだ。妖怪のいる森に一人、人間がいたら誰だって迷い込んだと思うでしょ? 私だってつい最近幽霊になったばっかりなんだけど、それでも妖怪から逃げる事に関してはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ得意になった、と思うのよ」

 崖下、大体三十メートルはくだらないだろうかね。走りながらというか、浮遊しながら妖怪から逃げる最中、文字通り私たちは転がり落ちた。木々の間を縫いながら、途中何度も木にぶつかってはまた転がるという繰り返しを行い、挙句の果てに最終地点である水辺に顔から浸かり込んでしまったのは、藤原という人間ただ一人。当たり前といえば当たり前だが、その水辺がまた泥水だったりして、藤原の服は言わずもがなドロドロのびしょびしょである。

「いくら私も幽霊になったとはいえ、人を助けることくらいの人情まで人間の時に捨てたわけじゃないのよ。そこに人がいて、危ないと思ったなら勇猛果敢に義を行う。これって普通でしょ? ほらほら、そんなむくれた顔をしないの。男の子でしょ?」

 こうして言い訳しているのは決して自分の責任を問う目線を藤原から受けているからではなく、私のした行為がどれほど正義感に溢れ、仁慈に長けた積極性かつ緊急措置だったのかというのを、こうやって説いているわけだ。最近の若い者に欠けているのは人を思いやる心だと思うね、人が苦しんでいたら見過ごすのではなく、声の一言でもかけるようにすべきだと常日頃から心が舞えておかねば。
 ごめんなさい、言い訳でした。

「だってー仕方ないじゃないのよう。妖怪よ? よ・う・か・い。人を食べちゃう生き物がいるんだから、逃げるのは当たり前でしょ?」
「だから待てと言ったんだけどね。人の話を聞かずにずかずか先に進んで、人のことを考えずに藪に突っ込んで、人の忠告を無視して崖から降りる。第一印象は最悪」

 返す言葉もないわ。
 お気に入りの一張羅がーと聞こえるように言うのは間違いなく皮肉なのだろう。

「怪我は、ない?」
「おかげさまで。まったく、眠気も一気に吹っ飛んじゃったよ。ああ……この服また慧音に縫ってもらわないと。なんて言えばいいんだよ」
「服、乾かしたほうがいいんじゃない?」
「そのうち乾くよ。それよりあんた」

 袖で顔を拭って藤原がこちらに向き直る。そりゃあ怒ってるだろうなあ。なんせ私の早とちりで被害を受けたわけなんだし、張り手の一つくらいはもらったところで文句はいえない。
 しかしそう思って強く目を瞑ってしまったものの、肝心の張り手は一向にくる気配はなかった。はて、一体どうしたのかと薄く眼を開けると、怪訝な顔つきでこちらを眺めている藤原が、なんとなしに立っているだけだった。

「なにしてんだ?」
「なにって、てっきり殴られるのかと」
「はっ? ああ、そういうことか」

 合点がいったという風にため息をつく。

「いいよ、どうせお前さんもこの森に迷い込んだ口だろ。よくいるんだ、妖怪に出会ってびっくりしちまうの。まあ確かに、私が巻き込まれるとは思わなかったけどね」
「いや、迷ったわけじゃないんだけどね」
「だとすっと散歩かなんかか? にしちゃ、妖怪を見て動揺するなんて随分だな」
「妖怪に慣れてなくて……」

 たまに白玉楼にも妖怪が来るけど、それは幽々子さんや妖夢さんの友達だし、ついこの間は妖怪でも人間でもない、『式』っていう動物――なんか尻尾がたくさんある狐っぽい人だった――を見かけた程度だ。あんな巨大な、しかも棍棒を振り回してやってくる妖怪を目の前にして、動揺しないほうがおかしいだろう。

「妖怪に慣れてない、ねえ」

 その言葉を繰り返す藤原は、歯に物が詰まる表情で何かを考え始めている。

「あの、藤原くん?」
「ん? 名前なんて教えたっけ?」
「あの妖怪が叫んでいたじゃない」

 そりゃもう大声で。

「あー……そういやそうだったな。つまらないところに気がつくんだな、あんたは」
「未来」

 なに? と繰り返すので、もう一度私も返す。

「未来って言うの。ミライと書いてミキ。どう呼ばれても構わないけど、できればそう呼んで」
「ミキ、未来か」
「藤原くんはどうしてこんなところに?」
「この辺に住んでるから。未来はどうしてこんなところに来たわけ?」

 質問の切り返しが速く、思わず答えに窮する。

「えっと、お茶の葉を売ってくれるっていう話で来たんだ。なんかこの辺りにくれば案内してくれる人がいるっていうから」

 あ、もしかして。

「あなたが案内してくれる人?」
「なんだそりゃ、私は茶なんて嗜むほど良い趣味してないし、それ以前にこのあたりを案内するやつなんてよほどの変人なんだろうな」

 男の癖に『私』とはまた妙な言葉遣いをするやつだ。しかしそれを言うと女の子で『僕』を使うのはどうなのだろう。確かクラスの中で、そういった女の子たちは得てして『ボクっ娘』と呼ばれていた。
 ボクっ娘ならぬ、私っ子。
 なんだかなあ、酷く受け入れ難い呼び名になってしまった。
 にしてもこの辺はどの辺りになるのだろう。適当に逃げてきたとはいえ、場所もわからなくなってしまっては帰る道も大雑把な方向でしかわからない。崖の上に戻ればいいのだろうが、先程の妖怪がいるかもしれないと考えると、ここは別のルートを通って行くのが定石か。

「未来、空飛べるのか?」
「飛べるよ。伊達に幽霊じゃないもん」
「そりゃそうか。じゃあ崖を登って戻ろう」

 そうはしたいけどねえ、妖怪なんぞに襲われでもしたら正直生きて変える自信ないわよ。

「あの妖怪とは一度戦ったことがあるよ。別にこのまま遠回りしていてもいいけど、疲れるし私は早く寝たい」
「戦った? 藤原くんは妖怪と戦えるの?」

 当たり前だろと、平然として言うのは自信があるからなんだろう。

「弾幕ごっこなんだから、戦えないほうがどうかしてる。……まさか未来、あんたできないのか?」

 うっ。そこを突くとは藤原、なかなかやりおる。
 弾幕ごっこがどうのと言っている自分としては、絶対に必要のない力だと思っているわけでもあり、それ以上に、何で弾幕というものが存在するのかも、理由が曖昧だったりするのだ。
 死ぬかもしれない遊戯を進んで覚えるなんてこと、常識の頭を持っていれば、忌避すべき能力だろう。なんでこの辺に住んでいるやつら皆は、弾幕で物事解決するのかね。

「藤原くんだって人間でしょ? どうして弾幕なんて、出来ちゃうのよ……」

 どうせまた常識外れの言葉で跳ね返されるだろう最低限の抵抗を取ってみるが、なんと弱々しい語尾だろう。もう少し「私は弾幕なんてできません、それが何か?」くらいの自信で言えたら、それはそれで相手を呆れさせることくらいはできたはずだ。

「まあ、人間だからな」
「理由になってないわよっ!」
「この辺りに住んでいるからな」
「妖怪との接触で気でも触れちゃったっ!?」
「別になんでもいいでしょ。……よくよく考えれば私のイメージの中にいるあいつらがおかしいのであって、未来が普通なのかもしれないし。幽霊が弾幕ごっこできるって、どういう理屈だよ」
「私だってどうしてこんなことになったのか、できれば早く帰ってシャワーの一つでも浴びたいわよ」

 はあ、と仲良くため息をついてしまう。
 初めての会い方がもう少しまともであれば、意外と私たちは意気投合していたかもしれないなあ。
 なんにしても、藤原くんが弾幕を作れるというのであれば、崖から登るという判断も悪くない。さしずめ私にその弾幕の余波が来ないように、遠目から眺めていればいいのだ。そのうちほとぼりが冷めるだろうし、終わったら終わったで私はまた森を彷徨えば……、

「って、良くないよそれ!!」
「いきなりどうした」
「藤原くん、この辺に住んでるって言ったよね? お願い、助けて!」
「だからどうしたと聞いている」
「茶葉が欲しいのよっ!」
「それはさっき聞いた」
「なにが聞きたいのさ!?」
「逆ギレされた!?」

 落ち着け、私は今とても焦っている。ここはうまく、相手が私を助けるように仕向けるよう、言葉を誘導しないと。

「すぅー、はぁー」
 深呼吸を一つ。
「迷子になったの」


 そのときの藤原くんの顔を、私は一生忘れない。
 先程まで軽く痛い子なんだなという視線――それも十分嫌だが――が、急に様変わりする。なんだかとてつもなく可哀想な人を目の前にして、自分の力じゃ到底及ばないのでもう無視しようかという、完璧に人を下にしている顔だった。

「お前はなにを言っているんだ?」

 そんなの当たり前じゃないかと口に出さないあたり、もう言う気力もなくなったんだろう。

「私、帰るね。なんだかひどく疲れた」
「ちょっと待って! あんた私が弾幕ごっこできないのをわかった上で言ってるの!?」
「幽霊で迷子って……そりゃこんなところにいるんであればさ、妖怪に食われたか、さもなければ幽霊の身で迷い込んだかだ。そういった場合は私じゃなくて、神社か幽霊にでも聞けばいいだろ」
「白玉楼ってところからお使いを頼まれたのよ。このままじゃ帰れないわ」

 真夜にこんなところを見られたりでもしたら、それこそ笑いものだ。

「白玉楼? ああ、慧音がんなこと言ってたなあ。難しいことは判らないけど」

 私だってさっさと帰りたいとは言ったけど、それはあくまでお使いが終わったらの話だ。妖怪の住まう近辺で談笑をしているくらいなら、週起きに発生する宴会の後片付けをしている方がまだましというものだろう。

「じゃあお前だって覚えればいいだろ? 弾幕ごっこをさ」
「そりゃ、そうかもしれないけどさ」

 さて困ったぞ。確かにそれが一番手っ取り早いんだろうけど、何せ私は玉どころかまだこっちの世界に入って日が浅いのだ。なにをどうすれば玉を作り出せるかも判らないし、それ以前にごっことはどういうルールなのかも良くわからないじゃないか。いくらなんでも命がけの弾幕ごっこをいますぐ覚えるなんて、どだい無理な話だ。
 とはいえ、このごっこを覚えたところで一体なんになる。真夜みたいに芸術性溢れた弾を造り上げて妖怪をばったばった倒しまくる? 冗談も休み休み言ってくれ、私にそんな能力があれば今頃あっちの世界でも十分芸術性に富んだ生活を送っていたさ。

「と、とにかくっ、案内してくれる人が見つかるまででいいの。一緒にいてくれない?」
「別にいいけどさあ。案内人に当てなんてあんのか? ないなら随分長いこと一緒にいることになんだぞ」
「覚悟の上よ! 一人で迷子になるくらいなら人間のあんたと一緒にいるほうがまだましよ」
「やっすい覚悟。まあいいや、どうせ慧音が昼飯作りに来るだろうし、それまでなら――」
「藤原のおぉぉォオ!」

 話も纏まりがつき、一つ落ち着けるかと思えば、今度は崖の上から一気に駆け下りてくる、さっきの妖怪が藤原くんの名前を叫び続ける。

「うるせーのが来たよ……」
「藤原の! 今日という今日こそはお前の弾幕、見切ってやろうぞ!」

 ごっつい剣幕に圧されてついつい藤原くんの背中に隠れてしまう。女の子だもん、これくらいは許して欲しい。
 にしてもこの藤原くん、さっきから動揺している気配も何もないけど、一体何者なんだろう。

「危ないから、ちょっと離れてな」
「いっ、いやよ。そんな事したら妖怪に食われちゃうじゃないの」
「心配ねーよ。そんな簡単に幽霊を食う妖怪なんて、ここ最近じゃ滅多に見かけないよ、それに――」

 急に胸焼けを起こしたかと思った。
 呼吸をすると熱い空気が肺を侵し、咽返ってしまう。思わず藤原くんに背を向けて後ろに下がると、今度は先程以上の熱気が周囲に広がり始めた。

「近くにいると、火傷するぞ」
「藤原くん、あなたって一体――」
「……焼き鳥屋」

 はっ?
 今こいつなんていった?

「なんだって?」
「だから、焼き鳥屋だって言ったんだよ。割と健康に気を使ってる、野良の焼き鳥屋さんだ」
「焼き鳥屋って、あんたバカじゃないの!?」
「お前に言われたくないよ!」

 私もバカだなーと納得してしまったのは不覚。
 なんにしてもこうなってしまってはもう、藤原くんの見せる弾幕というのが頼りだ。一体どんな戦いなのか、危ないのか危なくないのか。その基準が問われる一戦となろう。

「スペルカードは如何する?」
「どうせ敗れないんだ。一枚で簡単に決めよう。報酬は山の幸一ヶ月分」
「ぬぅ、もしわしが藤原のカードを破ったなら、領土の二割を譲れ!」
「構わないよ。どうせ無理だから」

 ならば、と互いに離れて手を前に差し出す。
 手には一枚のカードがあり、それが妖怪の言っていたスペルカードというものなのだろう。実際に見るのは初めてだけど、妙に力の篭った気がカードの中に封印されているようだ。

「わしから行くぞ!」
「どっからでも」

 妖怪が持つカードが宙を舞う。小さく回転をするカードを両者共に見上げ、重力の力に沿って地面に接触する。
 ――刹那。


〜〜妖符・山茶花〜〜


 カードが光り始め、周囲の景色と同化する。一体なにが起こり始めたのかと注視していると、藤原くんの周囲に四つの茶色い塊が浮き始めた。

「なによ、あれ」

 思わず口にしてしまったのが合図か、塊が徐々に口を開く。ゆっくりと動くその仕草に、藤原くんも私も思わず見蕩れてしまった。

「……ああ、そういうことか」

 始めに納得したのは藤原くんのほうだった。

「未来、巻き添えくらいたくなかったら伏せてなよ。水に顔が浸かるくらいに伏せていれば、多分当たらないから」
「えっ? 何でそんなこと判るのよ」
「いいから。来るよ!」

 突如、山茶花の華が芽吹いた。
 茶色の塊から飛び出したのは、小さな剣の形をした弾だ。四つの弾から全て同時、赤、白、桃に白桃様々な色合いを成した弾が、周囲に飛散する。
 当然私のいるところも同じように飛んできたからたまったものではない。掛け声と同時に伏せていなかったら、今頃あの弾が私のお腹に刺さっていてもおかしくないだろう。一つ一つに篭っている殺傷能力は低そうではあるが、続けざまにもらえば痛いだろう。
 弾は中央にいる藤原くんにも襲い掛かる。だがどういうわけか彼は別段焦る気配もなく、弾の軌道を見極めながら、円を描くように動き始めた。

「なるほどねえ、山茶花か。こうしてみると意外とキレイなもんだなあ」
「ぬぅ、これでは相手にもならぬか」
「そりゃあね。私の持っているカードにも似たのがあるし。四つ同時に避けようとするから危ないのであって、一つ一つの弾を見極めれば、別段難しくもないな。おっと」

 そういいながらも当たりそうになってるじゃないのさ。一体どこ見てんのよ!

「しかし随分と腕を上げたじゃないか。もう一癖あってもいいとは思うけど、無い頭を絞ったな」
「く、くそっ!」

 バチンと、音を立てて山茶花の華たちが散っていく。効果が切れたのだろう。地面に落ちているスペルカードが、なんとも所在なげに空を見上げていた。

「持続効果までは上がらなかったか。さてじゃあ私の番だけど、やるかい?」
「当たり前じゃあ! 避け切れたら続けて勝負だかんのお!」
「なにからなにまで喧しいやつね」

 それじゃあ、と今度は藤原くんがカードを放り投げる番になった。

「いくよ。今日は難易度低めにしてあげる」


 〜〜不死・火の鳥〜〜


 それは何かの間違いだったと思う。
 藤原くんの背中に炎の羽が生え、高く飛び上がる姿は不死鳥のよう。垂れ下がった三尾が揺らめき、対する妖怪をこれでもかと威嚇する。
 人は決して不死になることなどできやしない。いつの時代にもそれは請われる願望であり、決して届くことのない幻想のようなものだから。だから藤原くんが作り出した鳥は、決して不死鳥なんかじゃない。贋物だと、私はたかを括ったのだ。
 でも、でもこれは。

「さあいくよ!」

 炎を纏った不死鳥が妖怪を襲い掛かる。火は軌跡として残り、横飛びで避けた妖怪の跡を容易く火の海に変えてしまった。
 妖怪とてバカではない。自らのいる場所を狙ってくるのであれば、タイミングを見計らって良ければいいだけだと見切りをつけたのだろう。何度も避けつつ安全に避けては、相手の時間切れを静かに待つ。
 しかし一向に終わる気配がないと気がついたのは、凡そ十回以上の攻撃を避け終えてからだ。

「卑怯ぞ藤原の! このスペル、時間制限がないではないか!」
「おいおい、まだ始まって一分と経っていないぞ?避け切るっていうのはそうだな、九十秒が基本の目安だろう」

 妖怪の放った技は三十秒程度だったので、大体三倍くらいの長さだ。

「くっ、くそがあ!」
「でもそんな時間を考慮する必要もない。もう避ける場所もないだろ」

 そう、避けられる場所がない。
 妖怪は避けられるが故に、安全に避け続けた。その安全とは僅差で避けるのではなく、完璧に、十分な余裕を持ってしまうので、もう妖怪の周囲は火で囲まれていたのだ。
 完全に詰め将棋、香車に全ての駒を埋められたようなもの。

「空を飛ぶことを疎かにしているからこうなる。あえて私は平面しか出していないのにな、まあこれも勉強だ。今日はさっさと家に帰って――」

 火の鳥が妖怪を今度こそ捕らえる。

「山菜取りにでも励みな!」
 
 







        5








「だからー、弾幕の都合上、安置とか作るっていうのは、最終的に全て逃げ道が埋まる可能性があって、それを見越した上で造っておかなければならないものなんだって。あれは確かに難易度低い技だし安置なんてないけど、風の影響を考えたりしないものだからさ? 風を考慮して作ったりすると、どうしても難しくなっちゃうんだよ」

 妖怪が去って間もなく。
 身辺の整理を終えて歩く私の背中に、藤原くんはそう話しかけていた。
 茂みの場所を避けて、虫の多そうな場所も避けて、ともすれば歩きやすそうな場所を極力選択しながらも、妖気の留まるところはキチンと回避する。大分コツも覚えてきたので、簡単に歩くこともできるようになってきた。

「私が作る弾幕の基は火って、初め見たときに判るだろ? 火は風に吹かれて強くもなれば弱くもなる。その辺わかってるだろうと思っていつものようにやっちまったのは、確かに未来のことを考えていなかった。それは謝るって。だからほら機嫌直してくれよ。そんなだと私だって困る」
「…………」

 手に携えたカードの類は全て藤原くんのものだ。一々弾幕を張られたら、こちらの身が持たない。早急に手を打つべきだと思ったのが、このカード没収。
 いい気味だ。存分に困るといい。

「なあ、もういいだろ? 別にそのカードがなくたって弾幕張ることぐらいはできるんだからさ」

 ……こいつになにを言い返せばいいか、もうよくわからなくなってきた。

「服だってちょっと焦げ付いたくらいじゃないか。さっき私の服を水浸しにしたのでおあいこ。それくらいでいいんじゃない?」
「……別に、怒ってなんかいないわよ」

 怒ってる? とは一言も聞かれていないが。

「そりゃ服が燃えたことは悲しいけど。水じゃないから元に戻るわけでもないし、縫わなきゃいけないし。熱かったのを考慮に入れても、私が注意してみてなかったのがいけない、とは思う、けどさ」
「けど?」
「なんていうか、その」

 早い話、悔しいんだと思う。
自分くらいの男の子がキレイな弾を創れて、その上あんな簡単に妖怪を追い払うことができる。それを目の当たりにされては、幽霊として暮らしている私の立場だってもう少し上に向いたっていいのではないか。
 そう思うからこそ、落ち込むのであって、気にしなければいい話なんだけど。
 それでも気にしちゃうんだよなあ、私の性格上。

「ええい、もういいったらもういいの! ほっといてよね」
「なんだ、拗ねたり怒ったり顔色の変わりやすい奴だな。小魚が足りてないんじゃないか?」
「うるさい! あんたに言われてなるもんですか」

 カルシウム不足だとは確かに思うけど、それなりに食べてはいる、はず。

「とにかく、まずは私の捜し求めている案内人というのを見つけるのよ。話はそこから!」
「あーはいはい。なんでもいいからそのカードを返してくれ」

 やに冷静な藤原くんなので、思いっきりカードの束をなげ返してやる。ふんだ、誰がこんな薄汚いカードを欲しがりますか。
 しかし深緑とは言ったもので、どこに目を向けても緑、緑、緑。森林が続くばかりだ。何度も行っては引き返し、そしてまた同じところに出てきてしまったのではないかと思える錯覚。正直、今自分がどこにいるのかも定かではない。
 だというのに、後ろからついてきている男は上辺を目で撫で、どうにも場所をキチンと把握している様子。一体どれだけこの辺に住めば場所を知ることが出来るのか、今度ゆっくりと聞いてみたいものだ。

「未来、そっちはまずい」
「ん? なんかこっちにあるの?」
「あるにはあるんだけど、そっちは妖怪の住処だ。危険はあっても、探している案内人は多分いない」
「そっか。じゃあ違うほうを探してみましょ」

 うん、と素直に頷く藤原くんは、どうやら私に任せておくと危険なところに入りかねないと察したらしく、私の手を取り先導し始めた。嬉しくないわけではないけど、誰が触って良いと言った? 意識がないだけあくどい気がしなくもない。
 まあ人気がないとはいえ、短い時間接してきてまったく理解がないわけでもない。どうやらこの子は、余り人と接するという壁がないようだし、手を繋ぐことくらいは普通だと思っているんだろう。確かに普通といえば普通だし、間違っていない。でもなー、もう少し意識して欲しいなあと心の中で願うのは、決して杞憂で終わってほしくない。

「そういえば藤原くん、自分を健康に気を使う焼鳥屋だとか言っていたけど。どこまで本気?」

 今更流行りそうもない冗談だ。

「なんでもいいだろ。健康には気を使ってるし、焼鳥には間違いないし」
「まあ、そりゃね。でもまあもう少し捻りのある言葉でもいいと思うんだけどなあ」
「逆に聞き返すけど、そんな心配をするなら案内人の詳しい話を教えてほしいんだけど」
「私だって知りたいことの一つよ。ここにいくと案内人がいるって聞いたから着たのに。藤原くんは違うみたいだし、どうしたっていうの」
「誰だよそんなデマ流した奴……」

 他言無用ぞ、とにやけた顔でウィンクを飛ばす真夜の顔が浮かぶ。ええい、でてくるな。話がややこしくなる。

「まあいいや。それよりも私が案内するより、慧音に聞いたほうが早いかもしれないな。一旦私の家まで戻ろう。そろそろ来てもおかしくない頃だ」
「さっきからケイネとか言ってるけど、誰よその人」
「んー……なんて説明すればいいかな」
「簡潔でいいのよ簡潔で」
「私の友達」
「簡潔すぎよっ!」

 なんだよもうと困った表情をされてもな。もう少し上手く説明して頂戴。

「随分昔から世話になっている奴でさ。色々と焼いてくれる、まあ恩人みたいな友達だよ」
「世話焼きって言いたいのね。あんた今遠まわしにその友達を馬鹿にしたわよ」
「してないよ。ただまあ世話を焼きすぎてるって所はあるだろうけど。とにかく、そいつだったら妖怪にも人間にも精通してるし、私よりは探し人を見つけることが出来ると思うよ」

 妖怪にも人間にも精通してる、ねえ。世の中には変な奴がいるもんだ。
 いや、そんなこともないか。その世には冥界に来る人間もいれば妖怪と仲良く酒を交わしたり幽霊とも放す奴だっている。そもすれば鬼だっているわけだし、変な奴なんてその辺にごろごろいるわね。
 なんとも変な話だ。妖怪は人を食べる。そんな常識の中に私は生きていたというのに、今私のいる場所は強い妖怪がいて、そんな妖怪に呆気なく勝利してしまう人間がいて、その人間もおかしな能力が使えるっていうんだから。一体世界はどこに向かっているのか。改めて確認してみたいよ。
 さて、太陽を見ている限り五度くらい傾いた頃だ。ようやく歩いてきた距離を引き返し、腹減ったーと騒ぐ藤原くんを軽く無視しながらたどり着いた頃には、日も暮れ初め、夕方になってきていた。

「おっ、ほら、あそこに薪をくべている奴がいるだろ? あれが慧音」
「……へぇ。世話焼きが好きな慧音さんね」

 遠目からで姿形程度にしか判らないが、見た限り人の良さそうな人だ。人であればいいんだが。

「けいねー。こっちこっちー」
「ん? ああ妹紅、どこに行っていたんだ? 今日は珍しくいないと思っていたら、こんな時間に帰ってくるなんて」

 モコウ? ああ、藤原くんの下の名前か。なんか変な名前だな。

「それが聞いてくれよ。寝床に幽霊がいるなと思って話しかけたら、これがとんでもない奴で。人の弾幕張る邪魔をするわ服を汚すわ、挙句の果てに意味のわからないことまで言い出したと思ったら急に助けてと言い出すわで。散々な目にあった」
「うっさいわね、私だって好き勝手に邪魔したわけじゃないわよ」
「む、幽霊か。この辺では確かに見かけないが……」

 えーえーそうでしょうね。藤原くんもそんなこと言ってましたよ。

「はじめまして。上白沢慧音だ。あなたは?」
「未来。上の名前は忘れました。今は白玉楼で幽霊やってます」
「白玉楼というと、西行寺の……。ははあ、なるほど、いつもなら妖夢が来るんだが、今日は何か別の用件で?」
「慧音、そいつはなんか案内人を探してるんだと。知ってるか?」
「知らないといえば嘘になるし、知ってるといっても嘘になる。数ある人妖の中で案内人とだけ言えば、死神とて案内人だ。妹紅、君はもう少し物事を端折らずに話せれば、もっと接しやすくなるんだがな」

 随分と博識な人だ。どことなく先生っぽい雰囲気を醸し出しているが、彼女も妖怪なのだろうか。

「あの、えっと……」
「ああすまない。案内人を探しているということだったな。ならば夕食でも食べながら、ゆっくり話すとしようじゃないか。それとも急務だったか?」
「いえ、いつまでにとはいわれてないです、けど」

 正直幽々子さんがどこまで我慢できるか、というのがネックになるだろうけど。

「ふふっ、まああの食に煩い女のいうことだ。今日中に帰れれば事足りるだろう。では少し待ってくれ。先程から薪に火がつかなくてな。いつもなら簡単に付くんだが、なかなかどうして」
「それは私に対する遠まわしな嫌味か」

 そうだそうだと笑う仕草にも、どこか大人びた余裕が感じ取れる。なんか善い人そうで安心した。これで藤原くんみたいな人だったら、また心労が増えるところだった。


「なるほど、茶葉か。だとしたら、探していたのは私だな」

 夕餉を啜りながら話を進めるうちに、慧音さんとすっかり友達のような関係になりつつあったのは、多分落ち着いて話を聞いてくれるからだと思う。
 理路整然と話せないところでは、彼女なりの推論と確証を、話しやすいところでは黙って耳を傾けている。そんなところは、どこか心を寄せても大丈夫と、自然にそうさせる柔らかさを与えてくれた。
 藤原くんはどこか面白くなさそうに私たちを見つめ、そうそうに寝転がって欠伸をかいている。へへん、子供にはわからないだろうな。

「普段なら妖夢が来るのを未来に任せるとは、随分と屋敷の中で株をあげているみたいだね」
「それほどでも。ただ生活をさせて頂いているわけだし、何か手伝えることがあれば、積極的にやっているだけだから」
「謙遜することでもない。等価交換なんていう言葉はあれど、未来がやっていることは当然のことであり、やるべきことだ。ただ最近の奴らは、その当然すら守れないのが多いだけでな」

 そうだろう? と話を振られる藤原くんは、完全に拗ねている。本当に子供か。

「何はともあれ、用件は確かに聞いた。片づけをしたら案内してやろう」
「ありがとう。助かるわ」
「気にするな。それなりに面白い話も聞けたしな。いやいや、まさか妖怪から逃げるために自分から妹紅の手を引いて駆けるとは、人情溢れる幽霊なんて私も初めて見たよ」
「んなアホな。そいつは単に滅茶苦茶人を振り回して崖から突き落としただけに過ぎないよ。面白くはあっても私は面白くない」
「もう、いいじゃないのさ。結果としておあいこなんでしょ?」

 ああそうだ、そういえば一つツッコミたいところがあったんだった。

「それに、男の子が『私』なんて、気持ち悪いんだけど?」

 そういうと、どういうわけか藤原くんはともかく慧音もなぜか呆気らかんとした表情をしたと思いきや、いきなり笑い出した。私何かおかしいことを言ったっけ?

「いやいや、まさか妹紅を男扱いする人間がいる問いは思わなくてな。まさか、いやでも確かに……」
「笑うな慧音。そうかやっぱりお前わかってなかったのか」

 判っていないってなにがさ。

「未来、妹紅はああ見えてれっきとした女性だ。粗暴は確かに男っぽいが、あれはあれで事情があって、男らしい格好となっているだけなんだよ」
「へぇ……へ!?」

 今なんと仰いましたか慧音さんや。
 こいつが、男じゃなくて、女? 棘があって目つきもそんなに良くない、言葉の使い方も女というより男寄りで、しかも服装にも全然欠片も微塵も残ってないような、これが?

「悪かったな、こんなんで」
「悪いわよ。間違えちゃったじゃないのよ」
「それより謝るのが先決だろうがっ!」
「あーはいはい悪かったわね。ゴメンナサイ」
「うわー投げやりだよこいつ。慧音、未来はこんなんだから気をつけなよ。寝首をかかれるぞ」

 本気で悪かったと思ってるわよ。ただまあもう少し物腰柔らかくなったなら、私の態度も柔らかくなるかもね。その辺は後の付き合い次第ということで。

「ふふっ、まあ未来もその辺にしておくれ。彼女にも色々と事情があるんだ」
「事情、ね」

 聞きたいという言葉を喉まで出しながら、どうにか奥に引っ込める。昼に真夜から言われたばかりだし、少なくともここで首を突っ込んでも野暮というものだろう。

「ところで、どうしてこんなところに来たんだい?」

 食休みにしては的外れな質問に、私ははじめ何のことか迷った。

「どうして、というと……」
「西行寺から来たとすれば、本来こちらからではなく、キチンと通り道から来るはずだろう? 今日に限って、しかも新しい使いを遣すのであればなおさらだと思うんだが」

 現界と冥界の境にはあの神社がある。その他にもあるにはあるが、余り利用されていなかったりするのが現状だ。まあ一番の理由は現界に行く用があるのは私たちや他の人間たちなんだから、妖怪が進んで行く場所ではない。

「幽々子さんが言ったんです。茶葉を取りに行くなら、こっちから来たほうがいいって」

 そのお陰で真夜に会えたり、妖気を感じ取れるようになったと思えば、まあ良しと考えるべきだろうか。あくまで肯定的に捉えれば、の話だが。

「こちらから、ねえ」

 しかし慧音はどうにも思うところがあるらしく、素直にその話を受けていいものか、吟味しているようだった。

「あの娘は本当に人の迷惑を迷惑と考えないからな。ひょっとしたら、一杯食わされたのかもしれないぞ」
「と、いいますと」
「さてね……、そこからは推測だし、考えてもわからないことだ」
「あの幽霊か。ついぞ来たときは痛い目にあったからなあ」

 二度と来てほしくないとぼやくのは藤原……さん。
 いやもう面倒だから妹紅でいいや。

「ねえ、妹紅って呼んでいい?」
「勝手にしなよ。藤原でも、妹紅でも」
「じゃあぐうたら人間でいいわね」
「からかってんのか、からかってんだな? 良し判ったちょっと来い、修正してやる!」

 そんなー別に私はもう少し親密な関係をと思ってちょっと冗談言っただけですよ。んな怒ることじゃないって。

「ちっ、まあ確かに弾幕も創れない奴と争ったって不毛なだけか」
「なに? 未来はできないのか?」

 まあね、どうにも創る創らないという話ではなく、やるやらないの位置からして否定的な私ですから。どうにも人を傷つけたりする行為に繋がるっていうのがねえ、なんていうか意識的に拒絶しちゃってるのさ。

「妖気は見れると言ったか」
「うん、まあ一応視れるようにはなったけどね」
「な? 甘いことぬかしてるだろ。さっきだって私が弾幕出したときに、避けようという意識がまるでなかったんだ。危なっかしいたらありゃしないよ」

 それはあんたがこっちを意識せずにやり始めたからだろ。

「ふむ……未来、弾幕の必要性というのは、どこまで判っている?」
「こっちで妖怪に食べられないようにするには、弾幕を覚えるしかない。それくらいかな」
「――妹紅、それは君が?」
「違う。でもまあ似たようなもんだな。妖怪を追っ払うのにはそれが大前提でもあるし」
「うむ、確かに妖怪を退けるには戦うのが一番簡単だ。しかし……」

 未来、と私に向き直った慧音は、開口一番妙なことを聞きだした。

「君はどうしてここまで来た?」
「へっ? いや、どうしてもなにも、頼まれたから来たわけで」
「そうじゃない。妖怪がいることをわかっていながら、どうしてここまで一人でやってきたのかということだ」
「それは、それは、その……」

 なるほど、いや確かに。
 こいつは私に非がある話になりそうだ。

「幽々子さんに頼まれた当たりから、もしかして妖怪にあうこともないんじゃないか。なんて思っていたのよ。軽率だったとはいえ、二回も会ったけど」
「二回!? 良く生きていられたな……」
「一回目は幽々子さんの名前を出すとここまで案内してくれて、もう一回は妹紅が追い払ってくれたから。助かったの」
「……わかった。どうして幽々子が未来をここに呼んだのか」

 ハッキリと慧音は言い切る。

「未来に弾幕を教えるためにここに送ったんだ。妖怪の危うさと、必要なことを身に付けるために」
「ああ、そういうことか。確かに慧音はそういうことを教えるのは得意かもな」

 ケラケラ笑う妹紅はほっておくとしても、慧音。そう簡単に言われても困る。

「最初にいったと思うけど、私って余り好きじゃないのよ。なんていうか、生理的に受け付けなくて」
「しかし、必要であることは理解したのだろう? 幸いなことに妖気が見える、ということは、素質があることだ。できるなら速めに覚えたほうが後学のためにもなるんだがな」
「それはそうかもだけど、ねえちょっと待って。どうしても覚えなければいけない?」

 なんというか、ぞわぞわとした悪寒が走るのだ。
 背中にいやな汗というか、心の底を冷やす。
 あの向日葵の向こう側に感じた悪寒にも似た、寒気が。

「そうだな、結論だけを求めれば覚えたほうがいい。というのも、弾幕の一つでも覚えておかなければ、その身が危ない。いつまでも西行寺にいるわけにもいかないだろう、そうなった場合、どうしてもその力が必要になってくる」
「構うことはねえよ慧音、未来は嫌だって言ってるんだ。そいつの意見を尊重してやろう」
「妹紅、そういうわけにもいかないだろう?」

 良いんだよと妹紅は冷たく言う。
 いや、冷静にと言い換える。

「弾幕っていうのは言い換えれば、身を守る手段だ。そいつは逆に言えば敵がいるということ前提に話しているから、敵がいないところに逃げればいい。一生引き篭もっていれば、別段覚える必要なんてないんだからな」
「それももっともな意見だ。とはいえ、その西行寺に攻め込む輩がいないとも限らない。やはり覚えられるものは早急に――」
「だから、そいつが甘いんだ」

 いいか?

「未来が弾幕を覚えずにそのままでいたとする。そして仮に、西行寺へ得体の知れない奴がやってきた。だがそれがどうした。あの幽霊剣士と扇子幽霊が簡単に退治するだろうよ。未来はじっと部屋の隅っこで震えてりゃ、そのうち悪夢は去る。そんだけの話だよ」
「……部屋の隅っこで震えてれば?」
「おおうそうさ。ガタガタ震えて『お母さん助けてー』なんて言ってりゃ、そのうちにでも妖夢がおしめを取り替えてくれらあよ。ははっ、そいつは見物だなあ。まるで赤ん坊だぜ」

 高らかに笑う妹紅に平手を上げて、力強く振り下ろす。
 乾いた音が林の中に響き、残ったのは手に伝わる痛みと熱さだけ。

「判ってるわよ。私だって、力が足りないなんてこと、ここまで来るので十分すぎるほどにねっ!」

 真夜にしたって、山茶花を咲かした妖怪にしたって。屋敷に遊びに来る人間妖怪諸々を見続けていれば、どれくらい自分が足りない幽霊なのか。
 痛いほど判ってるさ。

「でもしょうがないじゃないの。怖いのよ私だって、弾幕なんて覚えたら、私が私じゃなくなってしまう。そんな恐怖を妹紅にはわかるの? 判らないでしょ。なのになによ、そんな簡単に覚えろだの震えてろだの。それが私の人生見たく言わないでよ!」

 好きで幽霊になったわけじゃない。
 好きで手伝っているわけじゃない。
 好きで弾幕を覚えるわけじゃない。
 人のことをさも当然のように言う妹紅が、今はただ憎らしく感じる。

「殴っちゃったわね。ごめんなさい、でも妹紅、あなたのこと、もっと良い人だと思ってた。でも勘違いだったみたい」

 それだけ言い捨てて、私はその場にいるのがいたたまれなくなり、焚き火から離れた。
 頭の中が真っ白になるとはこのことだ。自分でやっていることに対して、冷静さが保てない。自分の都合に合わせて物事を考えているのを、認められないからといって彼女に八つ当たりしてしまったんだから。
 完全に私が悪い。
 こちらの世界では、弾幕ごっこというのがあって初めて生活できるのに。
 それを自ら望まずに、ごっこを必要としない生活を望んでいるなんて。
 力のない奴がなにを言ったところで、それはただの言い訳でしかない。そんなこと、昔っから判っていただろう。
 おばちゃんが死んだときだって、そうだったんだから。
 空を見上げる。葉に姿を重ねる星々たちが、ただ静かに輝いている空。
 ああ、もう。私はなにをしているの。迷っているのが既に間違っている。私がやらなければいけないのは、既に一つしかないのに。

「未来」

 背中から慧音の声。

「落ち着いたか?」
「……ん。ごめんね、雰囲気悪くしちゃって」
「気にするな。妹紅も、少し言い過ぎたところがある」

 そういって、慧音は私の横まで歩き、同じように星空を眺めた。

「未来、あいつを責めないでやってほしい」
「色々あるから?」
「……すまない、本来ならキチンと話すべきなんだろうが」
「ううん、いいの。私だって、話したくないことの一つや二つあるし」

 だから、それはおあいこ。
 痛みわけだ。

「先程の話なんだが、いますぐにとは言わない。未来の心が決まるまで、待つという選択肢だってある」

 慧音の言葉に優しさが篭る。
 きっと彼女にも、どこか含むところがあるのかもしれない。人として力を得ること、それは時として、破滅に向かう力を与えることにもなる。

「そうね」

 だから、私はただ頷くだけにした。
 知るだけの覚悟が足りない。望む、望まないに係わらず、力を知り、得るための覚悟が。
 小さな深呼吸から、大きな深呼吸を繰り返す。

「はぁ、なんか怒ったらスッキリしちゃった。現金だね、私も」

 熱くなった目尻を拭い、苦笑する。なんだ、まだまだ私も立っていられるんだな。
 そう思うと、こうして危ない森の中にいるのも、どこか余裕が持てた。

「そうだな、未来は現金だ」
「あーっ、なによそれ、ひっどーい」
「ふふっ、未来が自分で言い出したことだろう? 私は別に酷いことを言っていないよ」
「ちぇ、いいですよーだ」 

 そうしてお互い、なんか笑い出してしまった。
 こんな危ないところなのに、こうして話して、笑って、傷つけあって、許しあえる。そんなところが、あの屋敷以外にもある。
 なら、その優しさに、少し勇気を持って触れに行くのも大切なんだろう。
 あとでもう一度、妹紅に謝ろう。今度はちゃんと、顔をあわせて、また笑えるようにして。
 きっとあいつは、不貞腐れる顔をするだろうけど。

  





          6








 例によって例の如く、どこぞの作者が書いた作品のようにこの作品にも後日談を綴ろう。
 あの一日が疾風の如く過ぎ去って早三日ほど。茶葉はどうやら妖夢さんたちだけでなく、神社の巫女にも必要だったらしい。私はそのままの足取りで現界から神社まで足を運び、茶葉を巫女に届けた。
 帰り際に紅白の巫女は「お煎餅を今度持ってきてくれると嬉しいわ」などと注文を並べていたが、それは私に言うべきことではない。というより自分で行って来い。それくらいの労力は、自分でも出来ることだろう。
 白玉楼に戻ってからというものの、幽々子さんの許可を得て屋敷の隅にある書庫に向かい、書物を漁りに漁った。そのどれもが玉、つまりは弾幕というものに関しての資料集めなのだが、思うように作業は捗っていない。弾幕に関する資料が少ないのだ。
 どうしてこんな大事なことが資料に載っていないのだろう。流し読みした限りでは、西行に伝わる一本の桜や、この屋敷のこと、大結界についてや、死神、閻魔についての書物もあったというのに、肝心の基礎となる弾幕にはほとんど触れていなかった。

「なにを探してるんですか?」

 頭にねじり鉢巻をしている私を視て、妖夢さんは大変いぶかしんだ事だろう。私だって傍から見れば『こいつなにやってんだ?』程度には怪しく思う。

「んーっと、弾幕について載ってる本を探してるんだけど、なかなかなくて」

 ああなるほど、と妖夢さんは意図を察したらしく、その足取りで散らかした本を片付け始めた。

「それじゃあこの書庫にはないですね」
「ないの?」
「ええ、あれは知るものじゃなくて、感じるに近いですから」

 んな某カンフー映画の主役みたいなことを言われても。

「じゃあ、何はともあれ特訓しましょうか。幸いにも時間をもてあましていたところですし」
「え? いや、待ってまだ基礎も何もわかって――」
「ですから、そこから教えます。ふふふ、ストレスの発散場所が見つかりました」
「なに不吉なことぼやいてるのぉー!?」
「心配要りません、キチンと加減はしますから」
「そういう問題じゃないでしょ! 妖夢さん?」

 スラリと取り出した二刀が、歪に輝きを増しているのは、恐らく天窓から入る光が反射しているものだと切に思いたい。

「さあ、今日は時間がなくなるまで遊びましょう。コンテニューはいくつ必要ですか?」
「弾幕はやっぱりいやあああああっっ!!」


 ああ……。
 まあ、こうして彼女達に近づけるのであれば、これもまた幸いなのだろう。
 見蕩れる弾幕と共に、幸せを守れるのなら。


――――To be continued


もどります?